随筆/2020年3月

 恐ろしく普段通りの生活しかしていない。ニュースは見ている。流行病の話を多く耳にするが、それを見て自分の生活を改めたりすることはない。生活とは結局のところ自分のリソースをどのように分配するかという試みなので、何か新しいことを始める、ということは、何か古いことを捨てる、ということになる。少なくとも自分の中では、自分の生活から何かを捨てさせてまで始めたいと思うような出来事は、今のところ起きていない。今のところ、だが。

 自分に届いてくる色々な人の言葉が、「誰かの何かを変容させよう」という指向性に満ちているような気がする。変わらないことにバリューはなく、変わることにバリューがあるとすれば、色々な人の言葉は、そこにバリューがある、と思わせるためだけに、変容を迫っている可能性もあるんじゃないかと思ったりした。

 かといって、耳を塞いで自分の直観ばかりを当てにするわけにもいかない。自分は無知であり、直観を基に常に正しい選択をできるほど無謬な存在ではない。ただ、自分の直観が全く当てにならないと思うこともない。これまで生きてきた一万を超える日々の中でそれ以上の判断をこなしてきた。それは昼ご飯のメニューであり、乗り換えの路線であり、気になる女の子にかける言葉だ。判断のたびにいくつかの成功、いくつかの失敗を経験し、少しずつ変容し形作られた自分が今ここで文章を書いている。

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 「判断に至った根拠を説明できるかどうか」について、自分はこれまでかなり神経を使ってきたような気がする。その根拠は何か科学的なものをベースにしていなければいけないというわけではなく、自分の言葉であれば何でもいい。「言語化」なる単語を持ち出してしまうとややお堅い。「反省」というニュアンスが近い。判断するために参照した根拠、その判断のどこが間違っていて、どこが正しかったのかを確認して次の判断のサイクルを回す。

 恥の多い生涯を送ってきた。いまでも過去の自分がやらかした「恥」がフラッシュバックして奇声を上げたり足をじたばたさせたりしたくなることはしばしばだ。忘れてしまいたいことはあるが、「反省」をサイクルに組み込む以上は逃れられないことでもある。ただ、最近ようやく反省と生活の帳尻が合ってきた気がする。「帳尻が合う」とはどういうことか表現するなら、「夜中の寝床で薄い靄のような将来への不安と戦うことがなくなった」ということだ。

 いつからこの靄がなくなったのかは分からない。ただ、就職やら結婚やら「何かの事件」がきっかけで靄が晴れたわけではないということは確かに言える。日々の生活の中で少しずつ少しずつ薄れてきた。少しずつすぎて気づかなかった。ここに書き連ねる作業を通して、なるほどそうだ、靄はなくなっている、と気付いた。「反省」を繰り返して、少しずつ剛性を得てきた自分の判断能力が、「将来への不安」を「処理できる問題」として捉えられるようになったからではないか。だったらいいな、と思う。

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 趣味でテニスをやっている。週に一度の頻度で、インストラクターの指導を受けながら汗を流している。高校生のころ、部活動として取り組んで以来、十年以上のブランクを経て改めてラケットとボールに向き合う。レッスンの時間は限られているため、今は一球一球を丁寧に打とうとしている。丁寧とは、先ほど述べた、「参照した根拠の確認、どこが間違っていて、どこが正しかったのか」というサイクルを回す、という意味だ。

 まずは言葉にしてやってみる。だが大体うまくいかない。一つのことを気にし始めるとそれ以外のバランスが崩れてしまうからだ。それでも言葉にすることから逃げずに続けていくとだんだん処理ができるようになっていくから面白い。高校時分でこのサイクルを意識的にやれていたら、もう少し何かを残せたかもしれない。

 「判断」をフローと捉えるか、ストックと捉えるか。判断それ自体はフローだが、換骨奪胎を経ればストックに回せるというイメージで今は解釈している。フローからストックに至る際、自分の体、自分の考えを、インプットを受けて、一定のプログラムに沿ってアウトプットを吐き出す機械に見立てる。イメージに過ぎないが、意図的に制約を設けることで、客観的な視点を得る助けになると考えている。


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 読み返してみると、あまりにも当たり前のことしか書いていないような気がする。だがタイトルを思い出してほしい。これは随筆であり、「誰かの何かを変容させよう」という指向性のない文章だ。よってここにバリューはなくても構わないし、大阪に住まう自分にとって甚だ不本意なことであるが、この文章に「オチ」がないのも仕方ないということで。<1912字>


ちくわ(@ckwisb


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