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【後編】変態的なカバへの愛に人生を狂わされた話。

<前編はこちら>

踏み入れたサバンナ


2014年7月18日深夜3時過ぎ。ケニアの首都ナイロビのジョモ・ケニヤッタ空港に、岡山から一人のアフロが降り立った。今回の渡航に向けて士気を上げるべくした特殊パーマも効果なく、岡山を離れるほどに不安は募るばかりだった。やたらに旅慣れした髪型と初海外の不安さがやけに不釣合いで、私は無性にそれを恥ずかしく感じた。

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「どうしても現地で野生のカバを見たい」そんな想いだけを抱えて、私は真っ暗な部屋からケニアまでやってきた。とはいえ、野生のカバを見るだけの7日間のサファリツアーでは物足りないとも思った。カバを調べるにつれて、アフリカの野生動物全てが好きになってしまった私は、絶滅危惧種であるロスチャイルドキリンの生息環境を整える野生動物保護プロジェクトに参加することにしたのだ。もちろん、保護区内にカバが生息していることは確認したうえで。

ナイロビからミニバスを2度ほど乗り継ぎ、ようやくサバンナに着いた。そこで、最初に出会ったのは、カバでもキリンでもなく、イボイノシシだった。それを見たときの衝撃は忘れられない。サバンナを縦横無尽に駆け回るプンバの姿は自由そのものだった。残念ながらそこにティモンの姿はなかったが。空港で感じていた不安は、サバンナの雄大な自然を前にしてとっくに消えたかのように思えた。

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地獄の対面


今日からここに2ヶ月間暮らすという事実は、私からホームシックを存分に遠ざけた。しかし、感動も束の間、私は地獄を見ることとなる。キャンプサイトでの他のメンバーとの対面で、全く予想もしていなかった事態が起きた。メンバーは私を含め全員で14人。そのうちケニア人のレンジャーが4人で、残りの9人はなんとヨーロッパ各地から来た金髪美女たちだったのだ。

なぜその桃源郷が地獄に感じたのかと言うと、私は英語を使ってのコミュニケーションが全く出来なかったからだ。初めて受けたセンター試験模試の点数は30/200点。彼女たちの名前すら聞き取れない。何で盛り上がっているのかもわからない。そもそも何を話しているのかもわからない。きっとこの世界の共通言語は英語だと思った。私の笑顔では、何も会話が生まれなかった。彼女たちとの2ヶ月間の共同生活は幸先の悪いスタートだった。

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二度聞き返してやっと聞けた「なぜケニアにきたの?」という質問に対して、「ビ、ビコーズアイライクアニマル!」としか答えられなかった自分が恥ずかしくて情けなかった。わざわざケニアまで保護活動に来ているのだ。アイライクアニマル程度の熱量ではない。もっと自分をここまで突き動かしたものを説明したいし、カバへの熱い想いも話したい。しかし、私の英語力ではその1/100も表現することができなかった。

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衝撃。別世界で繰り広げられるネタ祭り


こうして幕を開けた私のサバンナ生活だが、結果的には毎日めちゃくちゃ面白かった。でも苦痛だった。面白いことが起きれば起きるほど、苦痛も強くなった。今でも鮮明に覚えているくらい、毎日が非日常だった。

夕方にみんなで枝木を拾ってきて、焚き火の中に羊を丸ごと一本背負でぶち込む。焼きあがった羊にはこれでもかとコショウをかけ、あとは各々がちぎって食って終いだ。

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ケニア人女性レンジャーと自己紹介をし合えば、
「私の名前はガゴロステュピッ(そう聞こえた)。アンて呼んでね」
いや、なんでやねん!アン全く関係ないやんけ!と頭の中でツッコミを入れる。イングリッシュネームなどこれっぽちも知らない19歳の私にはとても面白く聞こえた。

日本の音楽を聞きたいというので、携帯に入っていた湘南乃風の『黄金魂』を聞かせると、
「オーー、ベリースウィート!」とアン。甘い歌声への感性の違いに驚愕した。

どうやら私の名前、”リョウスケ”に含まれるRyの発音は、国外では難しいということがわかった。ある人は「ジョースケ」、ある人は「キヨスケ」と呼んだ。そんな中、アンだけは最高難度であるRyの発音を完璧にやってのけたのだ。

「リョッツェ!」

いや、そっちが出んのんかい!

という具合に、自分のこれまでの常識が一切通じない状況で、意味不明なことが毎日のように起きていたのだ。こんなに面白い場所はこれまでなかった。それなのに、うまい返しも出来ず、相手と掛け合うこともできず、ただニコニコしているだけなのが苦しかった。大学では引きこもりになっていたが、これでも高校までははしゃいでみんなにネタを提供する側だったはずだ。私はサバンナでは、ただの寡黙でアフロなアジア人でしかない。その本来の自分とのギャップが無性に苦しくてしんどかった。

ささやかな自己表現として、みんなで写る写真には全て変顔で映った。いつもは無口で喋らない不思議なアジア人が、急にひょうきん者として写真に写るのだから、一瞬の笑いにはなる。それでも、いや、だからこそ余計に強い不完全燃焼感があり苦しかった。

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キリンの出産


野生動物と同じ場所での生活は、極上だった。日の入りと共に眠りにつき、日の出とともに起きる。外にはインパラやシマウマの群れがいて、彼らの鳴き声で目を覚ます朝もある。こんな場所で人生を送れたらどれだけ幸せだろうかと思った。夢のような2ヶ月間は冒頭にも書いたが、キリンの保護活動が主の活動だった。その中でやるべきことは次の5つ。

①外来植物であるサボテンの除去
②本来あるべき種の植林作業
③密猟者の取り締まり
④保護区内を取り囲むフェンスの修繕
⑤各個体の行動をチェックするためのカメラトラップ

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キリンの体の網目は個体によって柄が違う。そのため、私たちのチームはその柄から個体を識別し、順番にサラ・トム・ヤスミンといった具合に名前をつけていた。サラのお腹にはトムとの間にできた赤ちゃんがいた。ある日、いつものように目を覚ますと、すでに数人が起きてはしゃいでいた。「サラがベイビーを生んだわよ!」と興奮気味に教えてくれた。

カメラにはしっかりと出産の様子が映っていた。2m以上もあるところから地面に産み落とされるキリンの赤ちゃん。その新たな命が生まれる様を見たとき、全身の血が沸騰するような興奮を感じた。新しく生まれた子はジュリアと名付けられた。ジュリアとは、一緒に活動していたドイツ人のメンバーであり、誰とでも親しくみんなから愛されるキャラクターを持つ女性だった。その赤ちゃんに極東の寡黙アフロ「リョッツェ」の名が付くことはなかった。

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(左から、トム、アレン、ジュリア)


カバとの対面


アフリカでもっとも人を殺している動物は何か、と聞かれたら「カバ」と答えることはすでに小学校の義務教育として組み込まれている。現地のレンジャーでさえも、カバの足跡を見つけたときは全くふざけなくなる。それでも、私はカバによってここまで人生を狂わされたのだカバに出会っていなけば、私はサバンナに来ていない。どれだけ危険な動物とはいえども、野生のカバを一目見たい。

そう毎日強く願っていた私に、感動の瞬間は突然訪れた。フェンスの修繕をすべく、保護区内を歩いていた時だった。それまで陽気に話していたマサイ出身レンジャー、チャールズの足が止まった。その顔は、私の双眼鏡を奪い取っては自分の目の方がよく見えるとおどけて見せた男のそれではなかった。こわばった表情にしたたる汗を光らせながら、私をブッシュの中へと隠れさせた。

「シィーっ…」数秒の沈黙のあと、川の中をゆっくりと川上に向かって歩いていく一頭のカバの姿を捉えた。この瞬間、全身の毛が逆立ち煮え滾るのがわかった。もうここでヤツに噛み砕かれて死んでもいいと本気で思った。日本からはるばる9000km、ストーカーの執念で追いかけた思いがようやく実を結んだ。この興奮をすぐにメンバーに伝えたかった。しかし、私は「Hippo! that's my favorite animal!」と、それ以上に表現することはできなかった。

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帰国。新世界への入り口


こうして文章を書いてみると、結構辛い思いが多かった。しかし、帰るときにはすでに記憶は美化され、充実した思い出に変わっていた。それはケニアでの初めての海外生活の中で、本当にたくさんの優しさに触れたからだと思う。

帰国便で乗るはずだった仁川行きの飛行機が、エボラ出血熱の大流行により欠便になったときは、ジュリア姉さんが代わりに航空券を手配してくれた。タクシーに拉致されそうになった時には、ドイツ人のジェニーちゃんが助けてくれた。突然思いついたように隣国ウガンダに行き、バンジージャンプを飛んで帰ってきたイギリス人のアレックスとヘレナのクレイジー双子姉妹からのリスニングレッスンも忘れられない。巨大サボテンの下敷きになりながらも無傷で生還した還暦アメリカ人のサンディおばさん。彼女のくれた10円玉ほどの大きさもある薬のおかげで、40度の高熱も一瞬で治癒することができた。

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素晴らしく刺激的な出会いを重ねた。神戸市北区の真っ暗な一室に居ては決して出会うことのできない人々が世界にはいることを知った。世の中には野球だけではなく、もっと大きくて刺激的な世界が広がっていることを知った。もっと色々な世界を見てみたい。ぶくぶくと私の中で湧き立ってきた好奇心をもう止めることはできなかった。真っ暗な部屋は私にはもう必要なかった。そして帰国してからすぐに、私は新たな目的地となったドイツへと向かった。自分の目で確かめにいかないと。そんな気持ちだけが私の背中をぐんぐん押した。

Text by 祇園涼介
Edit by Jun Yasui


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