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「いつもスマイルしなくてもいい 深刻な女はきれい」【戸田真琴 2021年7月号連載】『肯定のフィロソフィー』

2020年5月号連載『「half of it」−愛:思惑すること』(無料)はこちら


 思えば去年の夏よりも、その前の夏よりも、もちろん4年前の夏よりも10年前の夏よりももっと、誰かと出会い、話し合い、人生を見せ合うような機会が増えている。
 人生を見せ合う相手なんて一人もいなかった頃、中古屋で探したボロボロの二つ折りケータイのカメラ機能で覗いた世界はいつも雨の日のバスの車窓のようで、遠くの光は色とりどりに、でもそのオレンジ色がなぜオレンジなのか、あのピンク色がなぜピンクなのか、そういう理由は全てその解像度の低さが隠してくれていた。あの頃の私にとっては知らないものや怖いものが多すぎて、きっとこの窓の曇りを拭き取ってしまったら、新しいデジカメを買って覗き込んでしまったら、今さっき魂の色みたいだと見惚れて過ぎ去っていったあのピンク色が風俗店の看板だとわかってしまったかもしれない。汚れないことが汚れないための唯一の方法だと思い込んでいたあの日の私なら、それを心底嫌悪したかもしれない。

 だけれどこの夏は今まで生きてきたどの夏よりも一番、もう何を見ても目を擦らない夏だ。目の前にあるものは現実であり、目に見えないものさえもまた、こことは異なる次元での現実だと知る。どんなひどいことも、どんなにありえないことも、眼前に広がる現実で、それがいくら漫画の中みたいな絶望を象っていても、いやになるほど現実だ。

 もう何度目かもわからない緊急事態宣言に入る前、たまたま予定をつめこむことになってしまい、1週間強のうちに10人近くの女の子たちと話をした。ほんの少しだけ会った女の子、何時間も話し込んだ女の子、初対面の女の子、皆生きることに真剣に悩み、何度も疲れ果て、それでも悩み、決断と、傷つくことを繰り返し、目の前に座っていた。
 嵐のように過ぎた1週間だったけれど、それぞれ別々の記憶として保存され、そのデータ同士が混ざることはない。孤独も苦しみも、何人ぶんを覗き見てもきっとそれぞれでしかないんだ、と思う。あの車窓から見た光だって、重なり合うことはあってもおんなじ一つの光にはならない。そういうものが近づいたり離れていったり、たまたま連れ添って動くように見えたりするのは、ひとつの星座に見える星々がほんとうのところそれぞれ全然違う遠い位置にいる同士で、互いの存在さえも知らないのであろう事実と少し似ていた。そういうのが好きだった。

 過干渉な家族に悩む女の子、誰かの卑怯さに苦しむ女の子、小さな息子を育てながら生きる女の子、恋人からの束縛を受け入れる女の子、壊れてしまった恋に泣く女の子、さまざまに苦痛と悲しみが生傷のまま滴っている。どんな苦しみにもほんとうにはかける言葉などなく、そこには、燃えている命があるというだけ、きっと今私たちがいる3次元以外のほかのレイヤーでこの瞬間を視るのなら、悲しみに打ち震えゆらめくエネルギーの塊があるだけなのだろう。それをそっと言葉に置き換えるのなら、誰もが皆、愛と自由について悩んでいた。愛のために生きようとする代償に自らの自由を悪魔に渡すのか、ほんとうの愛のために自由を胸に抱えて歩もうとする道にガラスの破片が散らばっているのか、間違った愛を振りかざして自由を奪い取ろうとする相手に憎しみを抱いているのか、もうすでに奪われ遠く持ち去られてしまった自由を懐かしく悲しむのか、誰もがそれぞれに、愛と自由という二つの瓶になにを入れるのか、またそれらの瓶を手に持つことができるのか、あるいはそれは松明のようなもので、すでに燃え盛る炎がてっぺんに向かって吠えているのか、そういうことについて直感的に、時には直情的に考えていたのではないかと思う。それはどんな政治的な理由にも関わらずただ単に個人的なところから生まれ出て、燃え盛る。誰にも渡すことのできないバトンを、人は生命という乗り物に例える。愛も自由も、そこにしか宿らない。

 世論と遠く逸れてしまった権力者たちによって東京五輪がそろりと開催されようとしている2021年の東京で、東京事変はこう歌う。

“自由よ 愛している もう遠去かんないで側に抱き寄せて
終始貴様を尊び敬って求める”
(「緑酒」)

「自由」を擬人化してそれを追い求めることを軸に、現在の日本とそこで生きる国民たちの様相が独自の視点から高密度に語られている歌詞に、キャッチーなサウンドがのっている一曲だ。同曲が収録されているアルバム『音楽』自体も、”簡素な真人間に救いある新型社会”(「緑酒」)という言葉に代表される、まっとうな人がまっとうに生きられる世界を望むような凛とした眼差しが背骨のように一本通っている印象を受ける一枚だった。

 一方で、アスリートやミュージシャンの「自分にできることは人に感動を与えることだけ」「自分にできるのは音楽を作ることだけ」といったような発言も目立つ。日本社会では、特殊技能や才能を生かした職業に従事する人たちについて一般職の人とは違う特別な存在であるかのように持ち上げようとする慣習があるのに加えて、大衆に顔と名前を晒してある種人気商売をしている人間が政治の話をすること自体、リスクが大きい。自分に課された使命をただまっとうする、という姿勢はこれまでだったら聞こえがよいものだったかもしれないけれど、きょうび2021年、さすがにそうも言っていられないと思い至っている表現者も多いのではないかと思う。だって私だって流石に、今の社会についてどう思いますか? と問われたところで、「自分はAVに出ることしかできないので…」なんてふざけたことは言えない。明日からも生きていくのは確かに今私たちが呆れて見て見ぬふりをしたいと願ってしまうこの手遅れの世界だから。

 東京五輪に関する議論をはじめ、選択式夫婦別姓やパートナーシップ制度など誰かの生き方を左右してしまう問題についての議論、緊急避妊ピルや性交同意年齢の引き上げなど女性が不当に苦しめられている物事についての議論、またコロナ禍での休業要請や補償のあり方についての議論など、確かにこうなってほしい、苦しむ人を一人でも減らす方向へ向かってほしい、とはっきりと願うトピックスがあるけれど、気まぐれに政治ニュースを追っていても驚くほど信じたくない結果ばかりが目に入る。

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