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注目の書き手・世田谷ピンポンズ特別寄稿「サンライツ青葉台」

さまざまな街、そしてそこで生まれた思い出。どこか郷愁を感じる文章や音楽を発信しているフォークシンガーの世田谷ピンポンズ。又吉直樹とのコラボなどでも話題になった彼が「上京」をテーマに、書き下ろしエッセイを寄稿。


文/世田谷ピンポンズ

「ちん」

 ひとけのない食堂にサトウのご飯を温め終えたレンジの音が鳴り響く。食堂は入寮するちょうど数ヶ月前に廃止され、今は機能していない。一応、キッチンは自由に使っていいらしかったが、料理をするような寮生を見かけることなど全くない。勝手が分からず必要以上に温まってしまったそれを指先で摘みながら、足早に自分の部屋に帰る。青葉台の男子学生寮。204号室。
 
 二〇〇三年の春、僕は「上京」した。

 初めて住んだ街・青葉台は横浜市の北部に位置するベッドタウンで、僕が入学した駒澤大学へは電車で三〇分くらいの距離にあった。


 学生寮には自分と同じようにその沿線の大学に入学し、同じように生まれて初めての一人暮らしに対する期待と不安でいっぱいの友達がたくさんいるはずだ。自分のプライバシーなど全く省みられず、荒っぽくそれでいて熱に浮かされた慌ただしい大学生活が始まる。先輩に無理矢理飲まされたり、同級生と缶チューハイ片手に熱く語り明かす夜もあるかもしれない。恐れとほんの少しの期待を抱いて僕は入寮した。マイペースな方なので、自分の領域を侵されるのは嫌だったが、それ以上に高校の頃に謳歌できなかった青春を取り戻したい気持ちが強かった。引っ越しも終わり、両親は帰っていったが、そのときは寂しさよりも高揚感の方が大きかった。
 
 次の日、早速、様子が違うことに気づいた。まず寮内を誰も歩いていない。風呂は共同の大浴場だったが、年頃の若者たちにとってがさつなくらい騒動の場所になるはずのそこにもせいぜい二、三人がいるだけ。それも無言で頭や体を洗ってさっさと上がっていく。無人のコインランドリーに洗濯機の回る音だけが響き渡る。食堂は真っ暗闇。手探りで電気をつけた。
若者どころかいきものの気配すら全くしない。電気がしっかりと点いて明るいのに、寮内は病棟のようなじっとりと陰気な気配に支配されていた。入口に設置された寮生の名前のパネルだけが彼らの在・不在を知らせてくれていた。


 こんなはずじゃなかった。いきなりどこかのアパートでひとりぼっちになって寂しさを味わうよりはと選んだ学生寮が完全に裏目に出た。寂しいどころではなかった。

 隣人とは入寮してすぐに一度だけ顔を合わせた。勇気を出して気さくに話しかけてみた。

 「入学式はいつですか?」
 「もう終わりました」
 言うやいなや部屋に入り、鍵をかける隣人。

 これが結局、寮で他人と交わした最後の会話になった。それから彼は僕が地元の友達と電話で話しているとすぐに壁を叩いてきて、こちらがやり返すとその二倍の量叩き返してくるのだった。こちらがその二倍返すと、またその二倍、といった感じできりがなく、いつも自分の方から折れた。そんなとき、ちょっと手が震えている自分が心底情けなかった。そんな陳腐な応酬だけが寮での他人との唯一のコミュニケーションになった。二年後、僕は寮を後にした。

 あの頃、僕が一番恐れていたのは、何かを始めようとすると何かが始まってしまうということだった。一見矛盾するようだけれど、この感覚の支配下にあるために、まず電話をかけることができず、サークルに入れなかったし、アルバイトを始めることもできなかった。そのまま結局、大学でも友達作りに失敗した。僕は聖蹟桜ヶ丘に住む高校の友達を頼るしかなかった。行きたい場所には彼と行き、たまには居酒屋で飲んで、僕の部屋に泊まってもらうこともあった。それは新しく築けなかった憧れの大学生活の代替行為だった。何も起こらない東京での生活を一番恐れながら、一方では、知らず知らずのうちにそれを望んでいる自分が確かに存在していた。


 「大学では自分から動かないと何も始まらないよ」叔父から言われた言葉をずっと反芻しているうちに大学時代はあっという間に過ぎた。
大学を卒業し、ようやく重い腰を上げて、一番やりたかった音楽を始めた。腰を上げるまでに四年もかかってしまった。本当に何をそんなに恐れていたのだろう。やり始めたら、また時間は転がるように過ぎていった。やることがあってもなくても時間はあっという間に過ぎていく。

 上京して十八年。いまは東京を離れ、京都に住んでいる。東京には十年住んだ。その間には本当に色々なことがあった。コロナ禍前には東京での仕事が多く、そのたびに自分の思い出の街を訪れて感傷に浸るのが常だった。人よりセンチメンタルの出る量があきらかに多いから、いまも歌を作って暮らしている。


 先日、学生寮のことが急に気になって、グーグルアースで調べてみた。記憶をたどりながら、思ったよりあの頃とほとんど変わっていない青葉台の街並みの先に、寮はまだあった。しかし、いまは名前も変わり、女子学生寮になっていた。間取りなどは全く変わっていなかったものの、内装は明るく好ましい感じに変わっていた。僕がひとりぼっちでサトウのご飯をチンしていたあの食堂では、いまは朝と夕に美味しそうな食事が出るらしい。

世田谷ピンポンズ●歌手、フォークシンガー。吉田拓郎や70年代フォーク・歌謡曲のエッセンスを取り入れながらも、ノスタルジーで終わることなく「いま」を歌う。
2012年『H荘の青春』でデビュー。今までにアルバム6枚、シングル3枚を発表。
2015年にはピース・又吉直樹との共作を発表し、注目を集める。
2020年、初の書下ろしエッセイ集『都会なんて夢ばかり』を岬書店より刊行。
音楽のみならず、文学や古本屋、喫茶店にも造詣が深く、今後様々な方面での活躍が期待されるあたらしいフォークの旗手。
エッセイ連載「ぶんがくとフォーク」( https://setagayapingpongz.goat.me/ )毎週土曜日21時更新中。

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