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ショートショート:臓器くじ

 チャイムが鳴ったのは、穏やかな日曜日の午後のことでした。その時、僕はお父さんとお母さんと一緒に映画を見ていました。お母さんがレンタルビデオショップで選んできた映画で、家族愛をテーマにした映画なのよ、とお母さんは言っていました。お母さんの言っていることはあまりよく分からなかったけれど、映画を見ながらお母さんとお父さんは泣いていました。なので、きっといい映画なんだと思います。

 チャイムが鳴ると、お母さんは少しむっとした表情を見せて「いいところなのに」と言いました。そして、玄関に向かいました。
 ガチャり、と開くドアの音と共に、クラッカーの音が響きました。同時に、お母さんの悲鳴が聞こえました。驚いた僕とお父さんは、慌てて玄関に向かいました。するとそこには、一人のピエロが立っていました。


 「おめでとうございます! 優太君は、今回の臓器くじに当選しました!」


 優太、とは僕のことでした。ぽかんとする僕の隣で、お父さんが声を漏らしました。
 「臓器くじって・・・」
 「そう! 優太君は今回の臓器提供者に選ばれたのです! それはとても光栄なことなのですよ。残念ながらこの国では、臓器移植を待つ方が沢山います。しかし、臓器提供者はなかなか現れません。そこで、この国の王は考えたのです。定期的にくじ引きをして、健康な全国民の中から臓器提供者を一人選べばいいのではないか、と。それが『臓器くじ』なのです」
 ピエロは声高らかに言いました。そんなピエロとは対照的に、お母さんは震える声で言いました。
 「あの、いくらくじで選ばれたとしても、実際に臓器提供をするかどうかは任意ですよね?」
 その質問に、ピエロは指を振りました。
 「臓器くじに拒否権はありません。当選した人は、臓器の全てを提供しなければいけないのです」

 臓器を全て提供する、その意味は、子どもの僕にも理解することが出来ました。
 「じゃ、じゃあ、僕は、死んじゃうってこと?」
 僕はピエロを見つめて訊きます。ピエロは指を鳴らして、言いました。
 「その通り! 臓器提供をすれば、君は死んでしまう。けれどね優太君。優太君のおかげて、苦しむ人たちが最低五人は助かるんだよ。臓器提供を行うことで、君は五人の命を救った英雄になれるんだよ」

 ピエロの言葉で、僕は自然と想像してしまいました。僕が切り刻まれて、今こうして体の中にある臓器を取り出されて、病気も、事故も、悪いことも何もしていないのに、人助けの為に死んでしまう僕の姿を。そんな光景を酷く鮮明に思い浮かべてしまうと、僕は自然と泣いていました。怖くて、悲しくて、切なくて、泣いていました。

 「こんな話信じられるか! 実際に俺たち家族の目の前でくじを引いたわけじゃないんだ。こんなこと、いくらだって捏造できるだろ。臓器くじなんて言って、本当はお前が適当に臓器を売って儲けようとしているんじゃないのか? とにかく、優太をそんなものの被害に合わせるつもりはない。いい加減出て行かないと、警察を呼ぶぞ!」
 お父さんは強い口調で言いました。
 「お父さん。臓器くじに不正は絶対にありえないのですよ。別に私のことをペテン師だなんだと思ってもらっても結構ですが、優太君が当選したことは事実なのです。今確認を取ってもらっても構いませんよ」
 ピエロの言葉を聞いたお父さんは、何も言わずにリビングへと向かいました。どうやら、何処かに電話をかけているようでした。戻ってきたお父さんは、泣いていました。

 「優太が臓器くじに当選したのは、本当らしい」
 お父さんが言うと、お母さんはその場に泣き崩れました。
 「だから言ってるじゃないですか。本当だって」
 ピエロはため息を吐き、飽きれたように言いました。
 「あ、あの。どうしても優太じゃないといけないんですか。人工の臓器や死体からの移植とかじゃあ、ダメなんですか?」
 泣きながら、お母さんは訊きます。
 「だめです。今この国での臓器移植は、この臓器くじ以外に方法がないんです。例外を認めてしまったら、くじの意味がないですから」
 返答を聞いたお母さんは、僕を抱きしめて大声で泣きました。

 「けれど、臓器移植をしたって移植手術が成功するとは限らないじゃないか。もし成功しなかったら、いや、成功したとしても、これは立派な殺人じゃないのか?」
 お父さんは怒鳴るように言います。

 「今の医療技術だと、臓器移植は確実に成功するのですよ。なので、優太君の命一つで五人の命が助かることになるのです。それに、殺人と言うのであれば、臓器移植を待つ方々を見殺しにしようとしているあなた達の行為も殺人と言えるのではないでしょうか? まさか直接手を下さないから殺人じゃないとでも? 潰えそうな命から目を逸らして見て見ぬふりをするというのは、消極的ではありますがれっきとした殺人ではないでしょうか」
 ピエロは張り付けたような笑顔を崩さずに、こう続けました。
 「それにね、臓器くじは本当に誰が当たるか分からないんですよ。くじには、権力や地位、知名度、年齢を問わず、全ての人が当たる可能性があるのです。だから優太君が当選したのは他意も悪意もない。本当に、たまたまなんです」
 そう言い切ると、ピエロは「明後日、迎えに来ます。明日は家族で最後の時間を楽しんでくださいね」と言って出て行きました。
 
 
 玄関には、僕たち家族の泣き声だけが響いていました。
 
 
 その夜、僕たち家族は静かに食卓を囲っていました。こんなに静かな夕食は、初めてでした。食卓に並べられていたのは、僕の好きなハンバーグでした。けれど、僕は全く食べたくありませんでした。

 「さあ、優太。食べよう」
 そう言い、お父さんはハンバーグに手を付けます。
 「おお、優太。今日のハンバーグは今までで一番おいしいぞ。流石、お母さんだな」

 お父さんはハンバーグを口に詰め込んで笑います。けれど、その表情は何処か強張っていました。そんな様子を見たお母さんは、口元を押さえて立ち上がりました。どうやら泣いているようです。お母さんが席を外そうとすると、お父さんはお母さんの手を掴みました。
 「もう、泣くのはやめよう。折角の家族の時間なんだ。楽しんで、夕食を食べよう。さあ、優太も食べよう。折角お母さんが作ってくれたんだ」
 促されるまま、僕はハンバーグを口にしました。やっぱりお母さんのハンバーグは美味しくて、僕は自然と笑顔になっていました。僕を見たお母さんは涙を浮かべながら、「美味しい?」と僕に微笑みかけました。
 「美味しいよ」と僕は言いました。
 
 夕食を食べ終えると、お父さんはある提案をしました。
 「明日は、優太の行きたい所に行こう。お父さんは明日有休を取る。お母さんも、いいよな?」
 お母さんは微笑み、頷きます。お母さんの瞳は可哀そうなくらいに充血していました。
 「優太は、何処か行きたい所あるか?」
 僕はしばらく考え、答えます。
 「僕、ディズニーランドに行きたい!」
 「分かった。明日行こう。じゃあ、今日は明日に備えて、早く寝るんだぞ」
 
 それから、僕はいつもみたいにテレビを見て、いつもみたいにお風呂に入って、いつもみたいにベッドに寝転びました。
 お父さんに言われた通り早く寝ようと思ったけれど、明日のディズニーランドが楽しみでなかなか寝付けませんでした。仕方がないので、僕はディズニーランドでしたいことを考えます。ミッキーマウスに合って、いろんなアトラクションに乗って、美味しいものを食べて、お父さんとお母さんと、沢山写真を撮って。
 「でも僕は、撮った写真を見れないのかな」
 そんなことを思うと、急に寂しくなってきました。寂しさから逃げるように、僕はぎゅっと目を瞑ります。
 暗い瞼の裏で、僕は考えます。
 どうして、僕は死なないといけないんだろう。臓器移植を待つ人と同じくらい僕も生きていたいのに、どうして僕だけが犠牲にならないといけないんだろう。
 何度考えても、答えは出ません。ただ分かるのは、僕が死ぬことで助かる命があるということ。けれど、それが本当に正しいのか、僕には分かりませんでした。
 
 それからしばらくすると、僕は自然と眠っていました。
 
 
 
 翌日、僕達はディズニーランドに行きました。ミッキーマウスに合って、いろんなアトラクションに乗って、美味しいものを食べて、お父さんとお母さんと、沢山写真を撮りました。やりたいことを全てやって楽しいはずなのに、僕は何だか楽しくありませんでした。
 お父さんとお母さんもあまり楽しそうではありませんでした。一生懸命笑顔を作っているけれど、その笑顔は何処かぎこちなくて、悲しそうでした。
 けれど、それも全て仕方がないことだと思います。
 だって明日、僕は死んでしまうから。子どもが死んでしまうのに、親が楽しめるはずはありません。
 アトラクションの順番待ちをしている時、お母さんはトイレに向かいました。トイレから戻ってくると、お母さんのメイクは少し崩れていました。きっと泣いていたのでしょう。
 
 
 結局、僕たち家族はお土産も買わず、早くにディズニーランドから帰りました。
 
 
 家に着くと、もう太陽は沈んで夜になっていました。
 この夜が終われば朝が来て、僕は死んでしまう。そう思うと、無性に怖くなりました。

 「ねえ、僕、死にたくないよ」

 僕がそう言うと、お父さんとお母さんは僕を抱きしめ、大きな声で泣きました。そして何度も「ごめんね」と繰り返しました。二人は何も悪くないのに、「ごめんね」と言い続けました。

 三人の涙が枯れると、僕たちはぽつぽつと話し始めました。
 僕が生まれた時のこと。僕が初めて話した時のこと。僕が風邪を引くと、いつも付きっきりでお母さんが看病してくれたこと。僕が生まれてお父さんは初めて仕事を頑張ろうと思えたこと。僕がハンバーグを好きと言うから、お母さんは必死になって練習したこと。お父さんはいつも僕は笑わせようとしてくれていたこと。
 
 
 それから、二人は僕の事が、大好きだということ。
 
 
 話す内容は全て僕のことでした。けれど話が尽きることはなく、気付けば夜も遅い時間になっていました。僕が「もう寝る?」と訊くと、二人は首を振りました。そして、「今日は寝たくない」と口を揃えて言いました。
 
 その日、僕は初めて夜更かしをしました。暗い夜を越え、白い夜明けを迎え、明るい朝が来るまで、僕たちはずっと話をしていました。話しながら、お父さんとお母さんは何度も言いました。
 
 「優太を愛しているよ」と。
 
 
 チャイムが鳴ると、僕たち三人は玄関に向かいました。お父さんがドアを開けると、そこにはあのピエロが立っていました。
 「おはようございます。おや、昨日はあまり眠れなかったのですか? 三人ともクマが酷いですよ」
 ピエロの言葉に、僕たちは何も言いませんでした。
 「まあ、とにかく、決心は決まったみたいですね。私はお三方が逃げているのではないかと冷や冷やしましたよ」
 胸をさすりながら、ピエロは言いました。
 「逃げたって、どうせ追い回してくるだろ」
 お父さんが睨みつけると、「まあ、そうですけどね」とピエロは変わらず笑みを浮かべていました。
 「では、さっそく行きましょうか。もう臓器提供を待ち望む人たちは待っています。さあ、下に車を止めてあるので行きましょう」
 
 
 ピエロは車を三十分ほど走らせると、森の中にある施設の前で車を止めました。
 施設のドアを開けると、僕たちは盛大な拍手に包まれました。何が起きたのか分からずに呆然としていると、一人の女性が僕の前に現れてました。そして泣きながら、「ありがとうございます」と言いました。

 「この方たちは、君から臓器提供を受ける人たちの家族ですよ」

 ピエロは僕に向かって、言いました。そして、「さあ、周りを見て見なさい。君ひとりのおかげて、これだけの人が救われるのです」
 僕は周囲に目を向けました。すると、大体二十五人くらいの人たちが幸せそうな表情を浮かべて僕たち家族を見つめていました。

 「確かに、君は臓器を提供することで命を落とすかもしれない。ご両親は深い悲しみの底に落ちるかもしれない。けれど、あなた方のおかげでこれだけの人が幸せになるんですよ。例えば一人の苦しみをマイナス1、一人の幸せをプラス1としたら、君たち家族の苦しみがマイナス3で、臓器提供を受ける当事者と家族を合わせた幸せはプラス30になります。その両者を合わせても、プラス27の幸せが生まれるのです。一つの家族で27の幸せを生み出せるなんて、とても素敵なことだと思いませんか?」
 ピエロは相変わらず笑顔を浮かべたまま言います。お父さんとお母さんは泣き崩れてしまいます。僕が二人に近寄ろうとすると、ピエロは僕の手を掴みます。

 「さあ、そろそろ時間です。行きましょう」
 ピエロは僕の手を引きます。
 徐々に離れていく僕を見て、お母さんは「行かないで、行かないで、優太ぁぁぁぁぁ」と叫びます。
 お父さんは「優太、優太、ごめんな、優太」と泣いています。


 僕の周囲には臓器提供を待つ人の家族がいました。皆、連れていかれる僕を見て、笑っています。今から殺される僕を見て、笑っています。皆僕のことを、自分の家族を生かすための道具だとしか思っていないのです。そう思うと、僕は急に怖くなりました。

 「お父さん、お母さん。死にたくないよ。行きたくないよ。助けて」

 お父さんとお母さんは僕を追いかけようとしたけれど、すぐに施設の人に止められてしまいます。引きずられる僕を見ても、周りの人たちは誰も僕を助けてくれません。皆、僕が死ぬことを望んでいるのです。
 

 そのまま、僕は手術台に乗せられました。そして無理やり、麻酔をかけられました。


 「優太君ありがとう。来世ではきっと、幸せになるよ」 
 笑顔を崩さぬまま、ピエロは言いました。
 僕の意識は麻酔によって徐々に薄れていきます。薄れゆく意識の中で、僕はお父さんとお母さんのことを思い浮かべました。

 ああ、もっとお母さんのハンバーグ食べたかったな。もっと、お父さんと遊びたかったな。もっと、一緒に居たかったな。

 そしてふと、僕は日曜日に見た映画のことを思い出しました。
 確か、家族愛をテーマにした映画なのよ、とお母さんは言っていました。
 あの時はよく分からなかったけど、家族と離れた僕はようやく理解することが出来ました。家族愛っていうのは、いつもは近くにあり過ぎてよく見えないこと。それなのに無くなってしまうととても恋しく感じること。
 ああ、そっか。離れ離れになったときこそ、家族愛っていうのはよく分かるものなんだ。だから、あの映画も家族が引き離されていたんだ。

 そう思うと、僕は酷く悲しくなりました。そして、僕に感謝を述べたあの女性の顔が浮かびました。
 あの人も、誰かの家族なんだ。病気で引き離されそうになっていた自分の家族が元気になるから、あんなに喜んでいたんだ。僕が死んでしまうのに、代わりに僕たちの家族が引き離されてしまうのに、笑っていられたんだ。

 もう、足の感覚はありません。だんだん、眠くなってきます。

 ああ、僕はもう死ぬんだ。でも、僕の命で五人の命が助かるんだ。その家族も、僕は助けたことになるんだ。僕一人の命で多くの人が幸せになるんだから、それはいいことなんじゃないかな。

 僕は無理やりにもそう考えてみました。けれど、心の中に靄が残りました。

 何人かの幸せのために、僕は殺されて、お父さんとお母さんともう二度と会えなくて、とても悲しんで、苦しんで、でも、そんな部分には目を瞑って。命の繋がった五人を見て幸せだと言って、僕のことは無かったことにして、苦しみに蓋をして、それって、本当に幸せなのかな。
 幸せのために何かを犠牲にすることが、本当に幸せなのかな。
 
 
 臓器くじって本当に、正しいことなのかな?
 
 
 もう、目も見えません。耳も聞こえません。体も動きません。
 僕は記憶の中のお父さんとお母さんと手を繋ぎながら、静かに眠りに就きました。
 
 

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