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南仏に隠遁した文豪はメフィストフェレスだったのか?(園部哲)

「園部哲のイギリス通信」第7回
"The Devil's Own Work"(悪魔の作品) by Alan Judd(アラン・ジャッド) 1991年出版

1946年生まれの著者は寡作だけれども文学的伝記からスパイ小説までと執筆ジャンルは幅広い。本書はそのなかでも「文学的」な存在でかつ最も短い作品だ。短編小説と中編のあいだに位置する「ノヴェラ形式」といえよう。

辛辣な書評を機に変移する「私」と友人の人生

本書は、一人称の「私」が友人エドワードについて語り続けるという形をとる。
二人ともロンドンの大学で英文学を専攻した。波打つ金髪に青い瞳のエドワード、文学の世界で成功しようと野心満々のエドワードは「私」にとってまぶしい存在だった。

しかし、卒業後エドワードは小説を一冊だけ出版するが、彼の「文学的」活動はもっぱら書評の寄稿で、小説家として世に出ることもなく、編集者やコラムニストという業界の中枢に入り込もうともしない。あくまで周縁を浮遊しているようにしか見えない。父親の遺産で生計をまかなうエドワードには就職の必然性はないらしい一方、「私」は地道な教職につく。

「私」は徐々にエドワードの消極的な態度に疑問を抱きはじめる。端的にいえば、エドワードは本当に文学者になるための才能を備えているのだろうか、という疑問である。

だが、エドワードがある著名作家の最新作について書評を書いたときから彼の、そして「私」の人生が変わる。

85歳の大作家オリバー・ティレルは文名と富を欲しいままにし、世間とはほぼ絶縁した形で南仏のヴィルフランシュに50歳も年下の愛人と住んでいる(因みに、この設定に近い実在の作家としてはグレアム・グリーンなどがいる)。エドワードのティレル評は彼の最新作にとどまらず、大作家の全著作に対する辛辣な批評だった。

例えば、ティレルは小説家として順風満帆だったが、みずからのスタイルに囚われるあまり現実から剥離し始めた。そして、自分自身の空疎な思想をごまかすためにスタイルに逃げた、というような主張である。

エドワードの攻撃的な批評は、ティレル作品の売り上げを伸ばすという社会的現象をもたらしたが、最大の驚きはエドワードのもとにティレルから手紙が届いたことだった。それもヴィルフランシュの自宅への招待状である。

ちょうどその頃、同じ職場のフランス人教師シャンタルと婚約していた「私」は、期末休みにシャンタルの家族が住むアンティーブへ行こうとしていた。アンティーブからヴィルフランシュまではニース経由で小一時間のドライブである。「私」とエドワードはアンティーブで落ち合うことにする。

このあとに、わずか8ページという本書中最短の章がくる。最短だけれども重要な章である。読書の楽しみを奪わぬ程度に紹介すると――エドワードがやってくる数日前、「私」とシャンタルはヴィルフランシュへ出かけてみた。ティレルの住処を探ろうなどという意図はなかったが、たまたま入ったレストランでティレルとその愛人を見かける。興味をそそられた「私」は二人のあとを追う……。

さてその数日後、エドワードはティレル邸を訪れて面会を果たす。だがその日の夜、ティレルは心臓発作を起こして死ぬ。「私」はエドワードが滞在しているホテルを訪れるが、彼はいない。ようやく次の日の朝、エドワードが「私」に会いに来て、ティレルとの面会について話す。容易には信じられないような内容である。

この事件以降、エドワードはティレルとの生前最後のインタビューを果たした人物として注目され、同時に彼自身の創作活動も活発になる。文名をあげ富を蓄えたエドワードはヴィルフランシュの旧ティレル邸に移り住む。しかしそれは幸せな老境を約束するものではなかった。またそれは、「私」の不幸を生み出す原因ともなったのである――。

ファウストを下敷きにした成功と没落の寓話

本書はゲーテの戯曲『ファウスト』を下敷きにした作品である。と言えば、それではファウスト役は誰で、メフィストフェレスに相当するのは誰なのか、という詮索が始まるだろう。
よろしい、少しだけ暴露しておこう。ファウストに相当するのはエドワードである、という半分だけの謎解きを。

ノヴェラ形式の本書は90ページしかない。だらだらした読書ではなく、夕方から深夜にかけて一気に読み終え、陰鬱なロンドンから明るい南仏への地理的移動、文学青年の隆盛と没落、平凡な日常のなかにふいに現れる超常現象、といった心の振り子が右から左へ振り切れる感じを短時間のあいだに体感するのがこの読書の醍醐味だと思う。

スティーヴン・キングが絶賛したせいで本書をホラー小説に分類する向きがあるけれども、それは正しくない。ホラー小説か、と納得した瞬間に大事なものをとりこぼしてしまうような気がする。偏見承知の宣伝を許してもらうなら、サマセット・モームにエドガー・アラン・ポーの要素を染みこませた作品、あるいは、ジョン・ファウルズの大長編『魔術師』(これ自体諸手をあげてお勧めしたい作品!)の風味を90ページで味わえるミニアチュール、と言っておきましょう。

執筆者プロフィール:園部 哲 Sonobe Satoshi
翻訳者。通算26年ロンドン在住。翻訳書にフィリップ・サンズ『ニュルンベルク合流:「ジェノサイド」と「人道に対する罪」の起源』、リチャード・リーヴス『アメリカの汚名:第二次世界大戦下の日系人強制収容所』(いずれも白水社)。朝日新聞日曜版別紙GLOBE連載『世界の書店から』のロンドンを担当。

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