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「何が価値なのか」が変われば社会は変わる(植田かもめ)

植田かもめの「いま世界にいる本たち」第31回
"The Value of Everything: Making and Taking in the Global Economy"(全ての価値:グローバル経済における創造と収奪)
by Mariana Mazzucato(マリアナ・マッツカート)2018年4月発売

「価値」とは一体何だろうか。

以前この連載でKickstarter社の共同創業者ヤンシー・ストリックラーの本を紹介した(過去記事)。簡単にまとめると「何が『合理的』なのかの価値基準と、その測定方法を変えてしまおう」と彼は主張している。

本書"The Value of Everything"はそうした主張の理論的な裏付けとなるような本だ。

著者のマリアナ・マッツカートは、「イノベーションは民間企業が起こす」「国家は市場が失敗したときだけ介入すべき」といった通説に異論を唱えている経済学者である。前作の『企業家としての国家』(原題は"The Entrepreneurial State")では、GPSやインターネット誕生などを例として「国家こそが最初の投資家であるべき」と説いた。彼女は国連やEUの政策アドバイザーも務める。

過去約30年の間に、単なる価値の「抜き取り」(Value Extraction)が、価値の創造(Value Creation)と混同されてしまった。マッツカートは本書でそう主張する。そして、経済格差など現代の課題に根本的に対処するためには、そもそも「価値」とは何なのかまで問い直す必要があると語る。

「価値」は見る者の目に宿る

まず本書は、経済学における「価値」の定義を17世紀までさかのぼって通観する。

非常に乱暴に要約してしまうと、かつては財やサービスの生産と紐づいていた「価値」が、所得に換算できるものであれば何でも「価値」とカウントされるようになった。つまり、市場で誰かが1億円を払うものには、その中身が何であれ、1億円の価値がある。この変化を、価値の源泉が客観的なアウトプットから主観的な評価に変わったとマッツカートは表現する。価値は見る者の目に宿るのだ。("Value is in the eye of the beholder.")

その結果として、特に1980年代以降、経済全体の「金融化」(financialization)が進んだ。経済全体に占める金融セクターの規模は膨張し、ファンドの影響下にある企業の数は増大し、企業は「株主価値の最大化」を目標に掲げて株価の向上を目指した。

「金持ちに課税せよ」では問題が解決しない理由

こうした「金融化」は、所得格差の拡大などを招いた。けれども注意しなければならないのは、社会に不平等や不公正をもたらす行動であっても、ひとつひとつの国家や企業や個人にとっては、より大きな価値をもたらす「正しい」行動であることだ。たとえば従業員に利益を分配するよりも自社株買いをして株価を向上させることが、企業の価値を高めて、GDPという「国の価値」も高める。

だから、単に高所得者に増税をするといった政策だけでは問題の根本解決にはならないとマッツカートは主張する。「金額に換算できるものであれば価値がある」とする定義から見直さなければならない、と。

そして、価値とは何かを定義することは、元々は経済学の中心的なテーマだったのだと本書は述べる。

価値の「創造」か、価値の「抜き取り」か

何が価値の創造で、何が価値の単なる「抜き取り」なのかを定義し直す。この影響は、あまりに広くて深い。なぜなら、GDPをどう計測するか、経済の「金融化」をどう評価するか、イノベーションをどう起こすか、政府の役割をどう評価するか……これら全ての土台には、何を「価値」とするかの考え方があるからだ。

近年、SDGs(持続可能な開発目標)やESG(環境・社会・ガバナンス)といったコンセプトが提唱されている(ちなみにマッツカートは国連で実際にSDGsの検討にも携わっている)。また、企業は「株主価値」(Shareholder Value)ではなく「利害関係者の価値」(Stakeholder Value)の向上を目指すべきとも言われる。さらにはCOVID-19の影響で、医療従事者など「エッセンシャルワーク」の重要性を見直すべきとも言われている。

こういった動きはある意味、何を「価値」とするかを私たちの社会が定義し直そうとしている現れではないだろうか。

ただし、この道のりはまだ始まったばかりに思える。マッツカート自身が、本書は「価値とは何かの議論をしよう」という問題提起であり、答えを提供するものでは無いと述べている。

マリアナ・マッツカート著"The Value of Everything"は2018年に発売された一冊。フィナンシャル・タイムズとマッキンゼーが毎年選んでいるビジネスブックアワードにも同年に選出されている。

執筆者プロフィール:植田かもめ
ブログ「未翻訳ブックレビュー」管理人。ジャンル問わず原書の書評を展開。他に、雑誌サイゾー取材協力など。ツイッターはこちら

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