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妖怪繚乱の島、台湾(倉本知明)

「倉本知明の台湾通信」第2回
妖怪台湾:三百年島嶼奇幻誌 妖鬼神遊巻
著:何敬尭  画:張季雅 2017年1月出版

いま、台湾では妖怪が熱い。母親に化けた虎が幼い姉妹を騙して食い殺そうとする「虎姑婆(フゥグゥポー)」に、人間の姉妹を娶った蛇の化身「蛇郎君(シェランジュン)」、あるいは地中深くに暮らして地震を引き起こす「地牛(ディニウ)」など、日本では馴染みのない妖怪たちが、九州ほどの大きさしかないこの南の島に跋扈している。
ここ数年、台湾の書店には必ずと言っていいほど妖怪に関する書籍が陳列され、作家や絵師たちによってキャラクター化された妖怪たちが、イラスト集や文学作品、映画やボードゲーム上に出没している。一昔前までは考えられなかったが、台北や高雄など、都市部のおしゃれなカフェなどでも、「文青」(文学青年)と呼ばれる洗練された若者たちが、こうしたコンテンツを通じて妖怪に触れ合っている光景をしばしば見かけるようになった。

中世の早い時期から怪異や怪談が文字として記録され、そこからインスピレーションを得た絵師や作家たちによって創作された作品を一種の娯楽として享受してきた日本とは違い、長らく文字をもたなかった台湾では、怪異や怪談はあくまで口承によって語り継がれ、出版メディアとは本来無縁な存在であった。また、外来の異民族によって繰り返し支配され続けてきたその歴史的背景から、ときにそうした物語は迷信や後進性の証として、長らく公の場で語ることが忌避されてきた。早い話、若者が真面目に妖怪の話などすることは“ダサかった”のだ。

時を越えていま蘇る台湾の妖怪たち

しかし、そうした状況はここ数年でまさに一変した。久しく日の当たらぬ場所に打ち捨てられてきた台湾妖怪たちは、まるで長い冬眠から目覚めたように次々と視覚化され、人々の集合意識にそのイメージが形作られている。こうしたブームの背景には、1990年代の民主化運動以降続く台湾人アイデンティティの問題に加えて、2014年に台湾全土で巻き起こった「ひまわり学生運動」の存在がある。中国の政治・経済的圧迫が強まり続ける中で、中国とのサービス貿易協定に反対した学生らが台湾の立法院(日本の国会議事堂)を占拠して当時の政権に抗議した「ひまわり学生運動」は、同時に若者たちの間にそれまで見過ごされてきた伝承や伝説への関心と興味を広げていく効果をもたらしたのだった。妖怪に関する出版が目立ち始めるのもちょうどこの時期で、まさに日向の政治が闇夜に潜んでいた妖怪たちを強く照らし出した結果と言える。

だが、長らく文字文化から遠ざかってきた台湾の妖怪たちを創作するにあたって、台湾には中国の『山海経』や『聊斎志異』、あるいは日本の『遠野物語』や『怪談』にあたるような依拠すべき古典作品が存在しなかった。そこで、ないなら作ればいいと生まれたのが、『妖怪台湾:三百年島嶼奇幻誌妖鬼神遊巻』だった。

数々の古文書から編纂された「台湾妖怪の百科事典」

本書を執筆・編集した何敬尭(か・けいぎょう)は1985年生まれの若手作家で、これまでに台湾妖怪に関する小説集『幻之港-塗角窟異夢録』(2014年)を執筆するなど、従来口承文芸の領域にあった妖怪を積極的に現代文学の枠組みに組み込もうとしてきた。
宮部みゆきや京極夏彦らから大きな影響を受けたと公言する何敬尭は、本書を執筆した動機として、台湾における幻想世界への想像力が、中国や日本、西洋の妖怪/モンスターたちに「植民化」されている現状を憂い、将来土着の妖怪たちが彼ら外来の妖怪に排除されてしまうのではないかと危機感を募らせた結果であったと述べている(しかし、「妖怪」といった言葉自体が本来外来語(日本語)であることを考えれば、何敬尭の推し進める台湾「妖怪」の国産化運動は、そのはじまりからしてある種の矛盾を孕んでいるとともいえる)。

とまれ、同書は1624年のオランダ植民地時代から1945年の日本植民地統治の終了に至るおよそ321年間、およそ500冊にのぼる古文書に描かれた妖怪や奇談を収集・編集して作られた、まさに「台湾妖怪の百科辞典」となっている。オランダ人や日本人といった様々な異民族の支配者に加え、国内の漢族や原住民族たちの神話・口承から生まれた229種類にも上る台湾の妖怪たちを一部イラスト付きで解説するそのスタイルは、さながら水木しげるの『日本妖怪大全』を彷彿とさせる。

「魔神仔(モシナ)」と「河童」が出会う日は来る?

個人的に一番気になったのは、「魔神仔(モシナ)」と呼ばれる山地に出没する妖怪で、山中で道行く人を迷わせ、子供をさらったりすると言われている。実際、台湾で山登りをしているとよく知り合いから冗談めかせた口調で、「魔神仔にさらわれるなよ」とからかわれる。魔神仔はさらった人間の口にイナゴや牛糞をつめこんだりするが、つめこまれた本人はそれをご馳走だと思い込むらしい。
赤い帽子と赤い服(あるいは赤い髪、青黒い皮膚)をした子供、あるいは老人の容姿をした背の低い妖怪とされ、日本統治時代の資料には「赤い帽子を被った幼児の亡魂、子供を失神状態に陥らせたりするとの俗信がある」とも記述されている。

いまでも台湾のマスコミは、山地で行方不明になった人を「魔神仔に出会った」と形容することがあるが、台湾全島に出没して、漢人・原住民の区別なく信じられてきた魔神仔は、ある意味で遠野地方における河童と同様、非常に貴重な文化資源として、現地の研究者や文学創作者たちから重宝されている(現代台湾には何敬尭を含めて、魔神仔を描いた文学作品が非常に多い)。
いずれ遠くない未来、日台の交流イベントの場において、人間同士ではなく、河童と魔神仔の交流が行われるようになる日が来るかもしれない。

執筆者プロフィール:倉本知明
1982年、香川県生まれ。立命館大学先端総合学術研究科卒、学術博士。文藻外語大学准教授。2010年から台湾・高雄在住。訳書に、伊格言『グラウンド・ゼロ――台湾第四原発事故』(白水社)、蘇偉貞『沈黙の島』(あるむ)がある。


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