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劣化したアメリカ社会が取り戻すべき“コモングッド”(倉田幸信)

倉田幸信 「翻訳者の書斎から」第6回
"The Common Good" ( コモングッド )
by Robert B. Reich ( ロバート・B・ライシュ ) 2018年2月出版

人が怒りを表現する方法はさまざまだ。大声で怒鳴る人、悲しげにため息をつく人、顔色も変えずに秘めたる情熱へ昇華する人もいるだろう。時に怒りの表現方法は、その人の成熟度を表す一種のバロメータになることもある。
本書は現代アメリカを代表する思想家・政治経済学者であるロバート・ライシュの徹底的な怒りに貫かれた本だ。私はこれほど冷静で客観的、そして効果的な怒りの表現を見たことがない。何に対する怒りかといえば、それは「私利私欲のために社会を壊す人々」への怒りである。巨額の個人報酬を得る大企業のCEOや、権力のためになんでもする政治家への怒りだ。
本書には具体的な個人名が多数登場するが、ライシュの怒りの矛先は個人に向けられているのではない。“勝つためならなんでもする”(whatever it takes to win)のが当然となった今のアメリカ社会に向けられている。

なぜそのような社会になってしまったのか。ライシュはその原因を“コモングッド”(common good)が失われたからだ、と分析する。コモングッドとは、ある社会のメンバー全員が共有する価値観で、他のメンバーに対する義務でもある。自分の利益にならなくても、みんなの利益のために自発的に守るべきもの、それが“コモングッド”だ。
政治哲学の世界では「共通善」という耳慣れない訳語があてられているが、本書でライシュが扱うコモングッドはそんな小難しい概念ではなく、一番近い意味の日本語としては「良識」や「公益」あたりだと思う。例えばエスカレーターでは急いでいる人のために右側を空ける、というのもひとつのコモングッドだろう。もちろん「左側を空けるべきだ」とか「そもそもエスカレーターを急いで上るのは危険だ」といったように、個別のコモングッドの是非について議論が分かれることはよくある。だが、ライシュが問題視しているのはそうした次元の話ではなく、コモングッドという概念が忘れ去られ、議論のテーマにすらならない現状である。

トランプは「原因」ではなく「結果」

アメリカ社会が変わり始めたのは1970年代からだ、とライシュはいう。コモングッドを食い物にして個人の利益を極大化する人々が現れたのだ。わかりやすい例え話として、ライシュは「誰も家に鍵をかけない村」を持ち出す。

どのような制度の社会であれ、その社会に広く受け入れられている暗黙のルールを最初に破る人は簡単に私腹を肥やせる。例えば、誰も盗みをしないのが当たり前となっている村を想像してほしい。そのような村で最初に盗みをする人は、ものすごく有利な条件で盗みを行える。どの家にでも簡単に侵入できるからだ。だが、人々が事態に気づき、家に鍵をかけるようになれば、この先行者利益はすぐに消え失せる。現代社会にも守るべき暗黙のルールがたくさんあり、それを「社会的制約」ではなく「自分だけ得をするチャンス」と見る人はいくらでもそれを悪用できる。(本書49ページより)

一度でも盗みが起きれば、それ以降は不便だろうが費用がかかろうが、みんなが家に鍵をかけるようになる。こうしてコモングッドは食い物にされていく。そして、「コモングッドを食い物にして、勝つためになんでもする」行為が一度でも行われると、「自分が不利にならないために、しょうがなく」という理由で追随する人が大勢現れる。ついにはそうした行為がごく当然なものとなり、システムの一部になってしまう。この悪循環が1970年代から繰り返し起きた結果、今のアメリカ社会になったというのがライシュの主張だ。

彼は本文中で12ページにわたり、過去50年にアメリカで起きたその種の行為を延々とリストアップしている。1964年から2017年まで、代表例として52件の事件やスキャンダルをひたすら書き連ねている。
一部を示すと、ベトナム戦争の契機となったアメリカ政府によるトンキン湾事件のねつ造(1964)、ビル・クリントン元大統領夫妻のホワイトウォーター疑惑(1993年〜)、大手会計事務所アーサー・アンダーセンの解体につながったエンロンの粉飾決算事件(2001年)、大手リテール銀行ウェルズ・ファーゴの不正口座開設事件(2017年)などである。

すべての事例に共通するのは、富や権力を持つ人々が、コモングッドを犠牲にして自分の富や権力をさらに増やそうとした結果であるという点だ。そして、こうした事件が表面化するたびに、アメリカ社会の基盤をなす制度、すなわち自由市場や企業、政党、議会、大学、裁判所、行政組織、メディアなどへの不信が累積し、人々はますますシニカルになっていった。
そうした現代アメリカ社会の一つの究極の姿がトランプ大統領なのだが、トランプは「原因」ではなく「結果」である、とライシュはいう。50年間かけて積み重なったアメリカの政治経済システムへの不信と不安の論理的帰結がトランプ大統領の誕生だというわけだ。

確かに、前述の12ページに及ぶスキャンダルのリストを見れば、アメリカ社会のトップ層がどれだけの不正と欺瞞を繰り返してきたか、暗澹たる気持ちになる。バラク・オバマ大統領に象徴されるリベラル的理想主義に対して、冷笑的になるアメリカ人の気持ちもわかるような気がする。だからこそ、ライシュの危機感は深刻なのだろう。

「なにがコモングッドか」を話し合うところから始めよう

ライシュは民主党員であり、クリントン政権では労働長官も務めた。彼や本書の主張に「典型的なリベラル」というレッテルを貼ることもできるだろう。だが、ライシュが凡百の政治思想家やアナリストと異なるのは、現代社会の本質を見抜く眼力の鋭さだ。

例えば約30年前に書かれた『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』では、国家をあたかも船のようにイメージし、その船が沈めば国民もみな一緒に沈むと考えるのは幻想だと指摘した。グローバル化や経済格差で深く分断された今のアメリカを予言しているかのようだ。
10年前の『暴走する資本主義』では、消費者や投資家としての個人が力を得る一方、同じ個人でも労働者や政治的市民としての力は失われていくと予言した。今になれば、アマゾンやウーバーの利用者と、それを支える労働者の雇用環境を予知したかのような鋭い指摘だったとわかる。

そのライシュがトランプ大統領の誕生後に、コモングッドをテーマにした本を書いた意味は決して小さくないと思う。リベラルや保守といった政治信条の違いを超えて、社会の構成員が全員負うべき義務があるということをもう一度思い出そう、というのである。中身に合意できなくてもいいから、なにがコモングッドなのか考え、話し合う習慣を取り戻そう、と訴えているのだ。
彼の目に映るアメリカ社会はそんなところから始めなければならないほど劣化し、機能不全に陥っているということなのだろう。

執筆者プロフィール:倉田幸信 Yukinobu Kurata
早稲田大学政治経済学部卒。朝日新聞記者、週刊ダイヤモンド記者、DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部を経て、2008年よりフリーランス翻訳者。

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