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モディアノ最新作。記憶は不可視インクで書かれている(園部哲)

「園部哲のイギリス通信」第15回
"Encre Sympathique"(不可視インク)
by Patrick Modiano(パトリック・モディアノ)2019年10月出版

モディアノの小説というのは中毒性があって、新刊が出るとついつい手が出てしまいます。フランスの新刊書は日本のように「帯」をつけることが多く(英独にその習慣はほとんどありません)、彼がガリマール社から出す新刊にはほぼいつも「MODIANO」と、ラーメン屋ののれんの意匠に似た、太い白抜き文字の真っ赤な帯が巻いてある。フランスの空港や駅のキオスクでこれを見かければ、家族もかえりみず赤帯めがけてミツバチのようにまっすぐ飛んでゆき、中身も確かめずに財布を出すことになるのです。そんなことを長年繰り返しているけれども、全部が全部傑作かというとそれはまた別の話。個人的な好みで言えば90年代以前の作品が良くて、それ以降は不出来がちらほら。だから2014年に彼がノーベル文学賞を取ったときには嬉しかったけれども驚きました。

でも昨年10月に出版された第29作目となる本書には、読み始めて/読み終えて、嗚呼あのモディアノが戻ってきてくれた、と歓喜しました。あのモディアノ、というのは、1950年代前後のパリをさまよい歩き、輪郭のあいまいな自分ないしは他人のアイデンティティを模索するモノクロームの小説のことです。今回は以前なかった新機軸を打ち出しているらしいのも嬉しい点です。
と、長い前置きでしたが早速ストーリーに入りましょう。

パリから、そしてアヌシー、ローマへ

第一人称語り手の主人公はジャン・エベン。現在は50代で小説を書いている。というか本書は彼が執筆中の作品らしい。それが証拠に「ここまでで100ページを書いてきた」という台詞が本書の101ページに現われるなど、それを担保するマチ針のような記述がところどころに置いてある。

彼はおよそ30年前(1950年代という設定)、20歳のときにアルバイトでやっていた仕事を思い出す。ユット探偵事務所で助手として働いていたときのことだ。(実はこのユット探偵事務所はモディアノがゴンクール賞を取った1978年の出世作"Rue des boutiques obscures”(邦訳『暗いブティック通り』)の主人公が勤めていた探偵事務所と同じ)。そこでユットから与えられた初めての仕事が、ノエル・ルフェーブルなる女性についての調査だった。依頼主はジョルジュ・ブレノスという男性で、彼女が失踪したので心配していた。二人の関係はわからない。

ジャンは彼女が住んでいたパリ15区の建物を訪れたり、彼女が局留めにしておいたかもしれない郵便物を探りに行ったりするが、何の手掛かりも得られない。アパルトマンの管理人は「もうひと月以上見ていない」と言う。彼は近隣のカフェに出向いて聞き込みもするが手ごたえなし。

そのカフェでぼんやりしていると、彼に話しかけてきた男がいた。25歳くらいの大男だ。「ノエルを探しているんだって?」と。一瞬たじろぐが手掛かりになるかもしれないと思い、積極的に受け、そうだと応じる。しかし「なぜ?」と畳みかけられて詰まったジャンは、実は友だちなんだと嘘をつく。
その大男は舞台俳優らしく名前をジェラール・ムラードと言った。ジェラールもノエルのことを知りたがっている。ジャンはジェラールが握っている事実を知りたいけれども、彼女の友だちだと言ってしまった手前、質問攻めにするわけにもいかず、また質問の口調にも神経を使わなければならない。作り話をせざるをえない局面も出てくる。例えば、ノエルはオペラ広場のランセルで働いていたというジェラールから今聞いたばかりの情報を使って、ジャンは「ランセルでの勤務が終わったノエルと、店の前のカフェで落ち合ったものです」などとホラをふいた(注:下段★)。当然会話はぎくしゃくしたものになる。

会話の途中で「私たちは同じノエルについて話をしているのだろうか?」とジェラールが首をひねる瞬間もあった。が、ノエルにはロジェ・ビエビウールという夫がいたことも聞き出した。ジェラールによるとノエルもロジェもパリからいなくなったと言う。その理由はジェラールにとっても謎だった。
ジェラールはビエビウールのアパートの鍵を預かっていると言い、ジャンにいっしょに行ってみないかと誘う。当然アパートは空だった。ジャンはノエルのベッドの枕元の引き出しに小型手帳を見つけ、密かに盗み出す。大した記述はなく、一日一行、どこへ行った、誰に会った、程度しかない。ただしある日、彼女は「もし私が知っていたら……」という謎めいた言葉を書き残していた。

ジャンがユット探偵事務所で働いていたのはわずか数カ月だけで、ノエル探しも短期集中しただけの未解決の仕事となった。

探偵事務所をやめてからも、ジャンは時折ノエルのことを思い出す。約2年後、オペラ座の地下鉄駅へ降りようとしていたジャンは、ノエルがオペラ広場の鞄屋ランセルで働いていたとジェラールが言っていたことを思い出す。そこで3カ月間ノエルの親友だったという売り子の女性、フランソワーズを見つける。勤務を終えた彼女と歩きながら、あれこれ質問するジャン。だが彼女もノエルの行方はわからない。だが彼女はある瞬間声をひそめて「ノエルは死んでしまったと思う」と言った。また彼女は不思議なことも言う。「あなたには見覚えがあるような……昔、あなたはノエルと店の前にカフェにいなかった?」(注:上段★)

こうして物語はいかにもモディアノらしく、不思議のパリで渦を巻き始める。またジャンが少年時代を過ごしたアヌシーでの記憶なども混ざり始める。アヌシーの旧友が、ジェラール・ムラードという男が殺人をしていたという新聞記事を見つけてくれたりもし、謎はますます深まる。

ところが突然、全137ページの本書の110ページ以降、語り手のジャンは姿を消す。舞台もパリからローマに飛ぶ。そして三人称単数の無名の女性が27ページ分の役を演じきって幕を閉じる。これでこの小説は解決を見たのか、完結したのか? それがなお曖昧なのがモディアノらしさ。読了後も何度も何度も小さなシーン、ささやかな台詞を思い出してはあることにハタと気づく。それがモディアノ作品の醍醐味でもあるのです。フランス人たちが「モディアネスク」と称する小宇宙の味わい方──。

曖昧な輪郭と精細な地理描写、その対比

冒頭で、モディアノ作品に出てくる人々の曖昧さについて触れましたが、もう少し付け加えると、登場人物の輪郭が(あるいは出自が)曖昧なのとは正反対に、舞台となるパリの町の住所や建物はやたらと正確で細かいのです。ここがモディアノ作品の大きな特徴であり 魅力だと思っています。霧の中をうごめく人々を追うけれども、地理は郵便配達ができるくらいに具体的で正確。それは彼の青春時代までの生い立ちに根ざしたある種の「傾向」のような気もします。

だからこそ昨年1月に出版された”Paris dans les pas de Patrick Modiano”(「パトリック・モディアノの足跡をたどるパリ」)などという素敵な本が出来上がってしまうのです。彼の作品に現われたパリの所番地(ざっと数えて約300個所)を網羅した写真本で、モディアノ・ファンにとっては垂涎の書となるのではないでしょうか。6~70年前の実際のパリを知っている人たちにとっては、ノスタルジーを味わう本でもあります。

ところでフランスの一部のモディアノ・ファンは彼の作品を(愛するあまり!)年号で言い表します。モディアノが几帳面にほぼ毎年一作を刊行しているからでもあります(最近は2年に一作程度)。例えば本書であれば<モディアノ2019>、『暗いブティック通り』であれば<モディアノ1978>というように。そう、ワインのヴィンテージと同じですね。シャトーマルゴーの1962年は云々かんぬん、といった具合に。
<モディアノ、ドゥミルディズヌフ(2019)>は当たり年だったのではないでしょうか?

(写真:園部哲)

執筆者プロフィール:園部 哲 Sonobe Satoshi
翻訳者。ロンドン在住。翻訳書にフランク・ラングフィット『上海フリータクシー:野望と幻想を乗せて走る「新中国」の旅』、アリエル・バーガー『エリ・ヴィーゼルの教室から: 世界と本と自分の読み方を学ぶ』、フィリップ・サンズ『ニュルンベルク合流:「ジェノサイド」と「人道に対する罪」の起源』、ジュリア・ボイド『第三帝国を旅した人々:外国人旅行者が見たファシズムの勃興』(いずれも白水社)など。朝日新聞日曜版別紙GLOBE連載『世界の書店から』でロンドンを担当。
インスタグラム satoshi_sonobe

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