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【詩の森】701 統治者考

統治者考
 
学校で民主主義や自由や平等といった言葉を学んだ
僕らは、それが既に在るものだと錯覚している。
ましてや、ある国の目に余る暴力が、民主主義への
挑戦だなどといわれると、民主主義は間違いなくあ
ると確信するかもしれない。
 
しかし、そのレベルは国によってまちまちだ。錯覚
させ、できることなら錯覚させたままにしておくこ
とが恐らく統治者の狙いなのだろう。それ故、統治
者は、教育や情報を牛耳ろうとするのだ。
僕らが錯覚したまま命を終えるのか。それともいつ
か自分で気づくのか。それは僕ら次第だ。
 
何百年、何千年と続いた国ならば、僕らが平等など
と言い募る前に、様々な既得権が積み上がっている
と考えるのが自然だろう。
成程、戦後GHQによってリセットされたかに見え
るが、多くの実力者が逆コースによって元の鞘に収
まっている。彼らによって、戦後が運営されてきた
のだ。
 
長らく政権の座にある自由民主党の悲願が、現憲法
をかなぐり捨てることだということが、それを如実
に示している。
皮肉なことに、僕らの政府は、憲法にNOといいな
がら戦後を歩んできたのだ。既得権を守りたいとい
う見えない力が、統治者の揺るぎない意志となって
この国に行き渡っている。
 
既得権の最たるものは、銀行が握る通貨発行権であ
ろう。そして、銀行の銀行といわれる中央銀行――
日本銀行の45%を占める民間の株主は、一切明か
されてはいない。恐らく、市中銀行のなかに、その株
主はいるのではないだろうか。
この国のほんとうの統治者が、姿を見せることは金
輪際ないだろう。そもそも民とは片目を潰された奴
隷のことだった。幻想に生き、幻想に死ぬのが民の
宿命なのかもしれない。
 
2024.8.28
 
 

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