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VRは世界を救えるか!?

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社会人になってすぐ、僕はアンパンマンの歌詞に出てくる課題「何のために生まれて何をして生きるのか」を深く考えたコトがあった。

他にやることも無かったし、アンパンマンだって「答えられないなんてそんなのは嫌だ!」って言ってるし、それは先が見えない僕には大切なコトだった。

これから何をしたらいいのだろう。僕は世界に対して何が出来るだろう。そもそも世界って何だろう。幸せとは何だろう、色々考えた。

そして、若かった僕はあるヒトツの答にたどり着く。それは「悲しみのない自由な世界を作る」ということだった。すなわち世界平和である!

ヒエーッ!世界平和とか頭の中お花畑なの!?色々と突っ込みどころ満載だ。

そんなことを考えるのは変だってことはわかっていた。たまたま出会った人が偶然にも「自分の夢は何かと聞かれて世界平和と答える奴はどうしようもない」みたいなこと言ってて「やっぱそうだよな」と再認識させられたくらいには、そのおかしさを自覚していた。

でもなぜか、世界平和を真面目に考えることが心の底から馬鹿馬鹿しいとは思えなかった。なぜか大切なことのような気がして、無視することができなかったんだ。

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そして僕は、世界平和を真剣に考える(だけ)の小さなオンラインコミュニティを作る!もちろん参加者の年齢はバラバラ。そこでいろんな人に、宗教や組織、お金の事やなんたら主義の話まで色々聞かせてもらった。

頭に血が上ったり、ワキの下から汗がでるくらい白熱することもあったけど、基本的には意見がぶつかり合うだけで、それが生産的な何かを生み出すようなことは無かった。

そして、最終的に得たものは「僕は勉強不足で何か実行できるだけの頭がない」ということだった。

それから、なんとなくジブリの「耳をすませば」を見た。小学生の頃は「バロンかっこいい」としか思わなかったけど、主人公の女の子が書いたつまらない小説が、自分はまだ小説を書けるほどの頭がないんだってことを自覚させられるシーンがあって「あの時の僕の気持は作品に描かれるくらいにあるあるで、特別なことじゃなかったんだ」なんて驚かされたりした。

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何年か経って、僕はある関心ゴトを見つける。それは、コンピュータテクノロジーを使って人々の意識を解放するというものだった。もちろん、そんな大それたことを自分の頭で考えつくこともなく、とある分野で有名な精神学者が言っていたことだけれど。

意識を解放?どういうこと?その学者曰く『コンピューターは人々の創造性を高め、意識を拡張し、自分の力で考えるようになる。また、コミュニケーションの新しい手段として用いることで人々の意識を深める手助けができ、自分の脳を独自にプログラムできる』ということだった。

すごく納得させられた。父親がコンピュータを持っていたせいで、僕は子供の頃からプログラミングしてて、それは確実に僕の脳のロジカルな思考を育てることに貢献した。僕はコンピュータに間違いばかり指摘され、その度に考え、書き直し、組み直しさせられる。それって確かに僕の方がコンピュータに正しさをプログラミングされてるってことじゃないか!

むかし、大砲を撃つ時、それはもう多くの人がゼイゼイいいながら撃ったそうな。火薬を詰める人、弾を込める人、角度を調整する人、火を付ける人。でも現代はどうだろう?コンピュータテクノロジーによって、今ではボタン一つで発射できる。

コンピュータには、力を合わせなければできなかったことをヒトリで出来るようにする力がある。テレビ局が無くても、今ではスマホひとつで誰でも放送でき、自宅がテレビ局になる。

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コンピュータは、ひとりヒトリが世界に与える影響をパワフルなモノに変える。このままテクノロジーが発達し、人々が持つ影響力がどんどん向上する中で、意識が向上しなかったら世界はどうなってしまうのだろうか。きっと誰かが誤って大砲を撃ってしまい、世界は破滅してしまうのではなかろうか。

学者の言う「意識の拡張」はとても奇妙だ。スーパーマンを量産し世界を滅ぼす可能性を向上させるコンピュータを使って、今度は意識を変えようなんて...。

僕は、人々の意識が向上するよりも先に世界が壊れるだろうと思っていた。だって、自分の脳をプログラムしてると言えるほどコンピュータと睨めっこしてる人なんて、確実に少数だもの。

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しかし、その考えを揺るがす事件が起こってしまう!それはVR機器の購入によって引き起こされた!

バーチャルリアリティには昔から関心があって「まあこんなもんだろう」くらいにイメージできてたつもりだった。だけど体験してみたらそれはもう次元が違った!ソーシャルVRの世界は、もはやイデア(現実世界を投影してる高次元数学世界)そのものであり、コンピュータによって作られた現実は「数学的な正しさの世界」だった。

これは確実に体験しないとわからない感覚で、VRを初めて2週間もすると、自分でも自分の意識が変化しているのを実感できる。

時間は引き延ばされ、人との接し方が変わり、性格が変わる。僕はVRを体験し、いろんなことを無意識に差別している自分や、人は本質的に魂の存在だということに気がつくことができた。

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コンピュータに触れることで意識が変わるって言うのは、コンピュータは計算機で、きっと数学には真実を見抜く力があるってことが本質だ。アインシュタインは数学を使って様々な予言をし、時を経て予言が観測され、今でもその理論の正しさを証明し続けたりしている。

僕はコンピュータに触れることで少しずつ意識を変えさせられていたが、今となっては意識を変えるという意味でそれは非効率だ。目をスクリーンで覆い、ヘッドホンで耳を塞いだら、それは得られる情報の次元が「体験」に変わることを意味する。

これはものすごい変化だ!体験というものは、その出来事を文章に書き起こすことができないほど膨大な情報量を持っている。例えば、今僕がこうやって文章を書いてる隣で、ペットの犬が変なイビキをかいて寝てることでさえ、どんなイビキなのか文章にして伝えることは難しい。

パンフレットを眺めているだけではわからず、実際に体験してみると心動かされるように、VRはアトラクションの如く「数学的体験」を人々に与える。ディズニーランドが360°どこを見てもディズニーであるように、VRの世界はどこをみても100%コンピュータによって作られた数学世界を魅せてくれるんだ。

正しさは豊かさである。間違った方法を繰り返し、成果が得られないというのは、とても苦しいことだ。

悩み事のほとんどが間違った方法によって引き起こされ、人々を苦しめる。誤った方法から抜け出せず無限地獄に陥っている人を見るが、不思議なことに他人からはその問題点がよくわかる。しかし、本人は理解できないため、自分で気が付くまで誤ちを繰り返してしまう。

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意識が変われば世界が変わり、そしてVRは数学的正しさを魅せることで、人々の意識を変える。

いったいVRは人々の意識をどこまで変えることができるだろうか?はたしてVRによる意識の拡張は、世界の破滅スイッチに間に合うだろうか?

僕ヒトリにできることは、海に小石を投げるようなものだ。しかし、みんなで力を合わせたら、それは岩となり山となり、大きな波を起こすことができるかもしれない。

もし、ソーシャルVRをまだ体験していないなら、是非アバターを身にまとった人々と話し、遊び、交流を深め、自分のアバターを見つけ出して欲しい!ここまで文章を読んでくれたアナタなら、VR体験はアナタの人生を変えると僕は確信している。

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