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平素よりお世話になっております。理学部第一部応用化学学科1年の渡邊孔大です。今回は私が担当させていただきます。前回のレジギガスターことたくアリスターくんの投稿では彼のハンドボールへかける熱い想いと彼の空中での綺麗な姿勢を知ることができました^_^。今後も理科大のマックアリスターと呼ばれる彼のプレーに目が離せません!
さて、ここからは私のサッカー人生について振り返っていきたいと思います。拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると幸いです。

小学生時代

2011年の女子ワールドカップを見てサッカーの面白さに気づき、地元のスポーツ少年団、奈義SSに入りました。ここは俗にいうドリブルチームです。低学年の頃は大好きなサッカーを何も考えずただ楽しんでいました。リフティングがいっぱいできた時は嬉しかったです^_^。そこから何年か経ち6年生の時、トレセンで岡山県代表として初めて全国を体験しました。周りの圧倒的な技術、視野の広さを目の当たりにして衝撃を受けたのを今でも覚えています。そこからもっと高いレベルでサッカーがしたいと思い日々模索していました。小さい町なので同級生は2人しかおらずU-12の試合に3年生が出ていました。そこで最後の大会だけでもと思い6年生の12月に違うチームに移りました。そこでは主にパスサッカーというものを学びました。色々あったた少年時代ですが今となっては両方のチームで得た経験が現在の自分を創っていると深く考えております。

中学生時代


県北のFC Viparteというチームに入りました。先輩達の活躍もあり、U-15とU-13の時は中国リーグで戦わせてもらいました。自分らの代は全員で22人とメンバー争いが熾烈でした。ここで小学生時代ドリブルチームで鍛えたの足元の技術が活きて色々なポジションで出場することができました。特に多かったのはCB、ボランチ、トップ下でした。正直この時が1番サッカーをやってて楽しかったですね。またこの時はサッカーのクラブチームと学校の陸上部(長距離)とを掛け持ちしており、火木土日はサッカー、月水金は部活と多忙な日々を送っていました。今では考えられられませんが

無尽蔵のスタミナ

を有していました。

高校生時代


実は中学時代からドチャクソ勉強ができた僕は勉強もサッカーも頑張りたいということで文武両道を掲げる岡山学芸館高校に勉強の特待生で入学しました。部の中でも数人が入っているコースに入ってハイレベル両立を目指して努力していました。結果から言うととても厳しかったです。勉強を言い訳にしてサッカーに真摯に向き合えなかったり、はたまたその逆もあったりとすぐ逃げ道を探すような日々を送っていました。1.2年の頃はCBとしてプレーしていましたが足の遅さや判断の遅さ瞬発力の無さなどが顕著に目立ちCチームでもがく一方でした。悪循環から逃げ出すために、2年の後半あたりから考えを変えとりあえずサッカーを楽しもうと思いました。ボランチに転向して楽しむことを念頭に置き練習や試合に取り組みました。その効果もあってかトップチームまでは上がることができませんでしたが、カテゴリーを上げることには成功しました。なかなか勉強との両立は難しくさまざまな壁にぶつかった高校時代でしたが全国一位という結果を残してくれた仲間達のおかげで自分の過ごした3年間が少しは輝くものになったと思います。

大学生になって

三度の飯より化学が好きな僕は東京理科大の応用化学学科に進学を決めました。正直、サッカーをしない生活なんて考えたくもないので、サッカー部への入部は入学前から決めていました。そんなサッカーが大好きな僕ですが大きな壁ぶつかります。早起きです。僕は早起きがこの世で2番目に嫌いなのでほんとに辛いものがあります。でもグラウンドにさえ入ってしまえば、いい雰囲気の中、優しい先輩や同級生達に囲まれながら高みを目指して練習することができます。これがどんなに辛くても朝起きれる理由です。絶対に活躍してやる!と思って入部した僕ですが、全く結果を残せていないのが現実です。早く目に見える成果を出せるよう自分のモットーである"楽しむことが1番"を念頭に置き、自分の課題に向き合いながらチームに貢献できるように日々精進して参りたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

次回
次回の担当は一年生ながらコンスタントに試合に出場している鈴木冬聖くんです!
彼はとても熱い漢で何事にも手を抜きません。GPAは脅威の◯.99という噂も!
初めて顔を合わせた時イカつい風貌の彼に流石の僕もビビりましたがいざ話してみるとドチャクソ優しくて危うくギャップにくさびを入れられるところでした^_^。

そんな彼の熱い想いをとくとご覧あれ!!!

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