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 平素よりお世話になっております。経営学部経営学科の岡崎鈴生(おかざきれお)です。前回のまるからは、名前についてのいじりがあったので、まず自分の名前について軽く述べたいと思います。僕の名前は、鈴に生きると書いて、「レオ」と呼びます。決して、「すずお」ではありません。先日、教授にも「岡崎すずお君、この問題答えてください。」と間違えられ、病院でも「岡崎すずお君、レントゲン取りますよ。」と間違えられ、本当に恥ずかしい思いをするので、自分の名前の読み方を覚えていただけると幸いです。
 さて、前置きはこの程度にして、本題の「自己紹介」に入っていきます。文章を書くことが苦手なので、拙い文章になると思いますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

小学校時代

 私は、小学二年生の時に「渋谷東部JFC」というサッカーチームで、サッカーを始めました。始めたきっかけは、友達に「サッカーやろうぜ。」と言われたことと長友佑都選手に憧れたこと、この二つがきっかけで、サッカーをやり始めました。このチームでは様々なことを経験しましたが、その中で私は、渋谷東部での初めての練習について取り上げようと思います。初めての練習、私は超絶ド緊張の中、練習に行きました。そして、最初に「リフティングをやって」とコーチから言われ、私は手でボールを上にあげ始めたのです。案の定、他の人に笑われ、泣いてしまい、挙句の果てに私は家に走って帰ってしまったのです。こんな経験から始まった渋谷東部というチームで、私は本当に多くのことを学びました。「サッカーは人と人をつなぐこと」「サッカーができる環境に感謝の気持ちを持つこと」「チームメイトのことを心から大切に思うこと」など。人として、大きく成長させてくれた「渋谷東部JFC」というチームでの経験は本当に素晴らしいものでした。

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中学・高校時代

 私は、中学受験を経て、成蹊中学・高等学校に進学しました。中学時代は、なんとなくサッカーをしていて、あまりサッカーに真剣に向き合ってなかったと思います。そして、高校時代。私は、チームで一番下手な選手でした。「何をやっても他の選手に及ばない。」そんな風に思うことも多々ありましたが、負けず嫌いな性格から真剣にサッカーと向き合い、練習しました。そんな私は、高校生活の中で忘れられない試合があります。それは、健大高崎のサードチームとの練習試合。私は、この試合2点を挙げ、チームを勝利に導くことができました。しかし、「なんで、ビルドアップのとき、毎回パスをミスる?」と一人の子にガチ切れされたのです。意志薄弱だった私は、反抗することもできず、ただただ聞くばかり。本当に訳が分からず、ただただ悲しい思いをしたのを今でも覚えています。しかし、あの場面で「パスの大切さ」を伝えたかったことを後から聞き、自分はそこからパスを本当に大切にするようになりました。そんな経験もあり、そこからまたサッカーの技術が向上していきました。しかし、最後の大会では、開幕の一週間前の練習試合で、目が失明しかけるという怪我をし、出場することができず、チームも悔しい形で負けてしまいました。結果としては悔いが残る形となってしまいましたが、成蹊高校サッカー部でサッカーができたことは、本当に幸せでした。

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大学

 私は、前回のまるとは違い、最初はサッカー部に入る気持ちは全くありませんでした。しかし、高校のとき最後で歯痒い経験をし、サッカーに対し「後悔」があったので、高いレベルでサッカーを続けることを決意しました。もう一度サッカーに対し、真摯に向き合える環境に身を置き、自分はさらなる成長を遂げたいと思っています。

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 ここまで、拙すぎる文章だったと思いますが、読んでくださり本当にありがとうございました。少しでも関心がある方は、一度、東京理科大学サッカー部にお越しください。
 次回の担当は、同じ2年の利島慧(としまさとし)君です。私生活は謎めいていますが、いつも優しく、サッカーに対し真剣な彼が一体どんなサッカー人生を送ってきたのでしょうか。次回の更新は金曜日です。お楽しみに!

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