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「じんぼ」

平素よりお世話になっております。工学部工業化学科1年の神保朋季です。今回は私が担当させていただきます。

前回のタイチの投稿では、いつも天然な彼のサッカーに対する熱い思いを知ることができました。今後も、彼が中盤で圧倒的技術を披露してくれることに期待です!

さて、今回は神保朋季のサッカー人生について振り返ってみたいと思います。ちなみにですが、名字の読み方はタイトルにある通り「じんぼ」ですのでお間違えの無いようお願いします。それでは、拙い文章となりますが、最後まで読んでいただけると幸いです。


小学校時代

地元(静岡県)のサッカークラブであるFC.LESTEというクラブに幼稚園の友達と入り、本格的にサッカーを始めました。
 
ポジションは今と同じセンターバックで、点を決めることよりもゴールを守ることが好きな少年でした。当時、夢中になって観ていた南アフリカW杯では、点を決める本田圭佑より、体を張ってゴールを守る田中マルクス闘莉王に魅了された記憶が今でも残っています。今考えてみれば少し変に思いますが、今でもDFをやっていることを考えると、いかにもDF向きの性格なのだなあと思います。


中学校時代

エスパルスSS静岡というクラブに入りました。
当然のようにエスパルスジュニアユースのセレクションには落ちたので、そこまでではないですが、このクラブもレベルは高く、東海大会などでプレーできたことはとても良い経験になりました。

ちなみにこの時代のポジションはサイドバックで、プレースタイルは快速を飛ばしてサイドを駆け上がる…とはいかず、超守備的SBとして名をはせていました。その結果、3年間の公式戦でのゴール数は1に終わりました。


高校時代


静岡県立清水東高校に進学しました。
この学校のサッカー部はいわゆる“古豪”で、今は県ベスト16は常連、それ以上は年によって…といったチームです。そうは言っても、自分にとってはレベルの高い環境で、2年の夏まではBチームとCチームを転々とし、2年夏にはAチームに昇格しましたが試合には出られず、2年冬まで公式戦出場はゼロに終わりました。

転機は2年冬、先輩が引退し、自分たちが最高学年になったことでした。新チームとなったことでやっと試合に絡めるようになり、「必ず試合で活躍する」と意気込んで臨んだ最終学年が始まりました。
新チーム最初の大会であった新人戦はコロナでベスト16時点で中止となり、すべてをインターハイに懸ける思いで練習に励みました。

しかし、ここで悲劇がじんぼを襲います。忘れもしない3月17日(父の誕生日)の練習中、相手と衝突し激しい痛みを覚え、痛みで歩けない状態になりました。すぐに病院に行きましたが、診断結果は右足中足骨骨折、手術が必要で全治4か月の怪我、5月から始まるインターハイ出場は絶望的となりました。この時の絶望感は今でも忘れることが出来ません。
結果的には怪我は完治せず、インターハイはベンチ外、チームは県大会で敗退し、じんぼはそれをスタンドから見守る形となりました。自称進学校の清水東高校では、選手権まで続けるのは少数派で、自分もインターハイ敗退後引退しました。この選択に後悔はありませんが、この時の悔しさ、そしてサッカーをやりきれなかった…という思いが今に繋がっています。


大学生になって

高校時代のやりきれなかったサッカーへの思いから、理科大サッカー部に入ることを決断しました。

この決断は今のところ正解だったように感じています。それは、サッカーをする時間が今の自分にとって、一番楽しい時間だからです。また、様々なことを学生自身で準備する先輩の姿や、チームの練習用具を自分で持ち帰り、そして持ってくる、という経験を通して満足にサッカーをできる環境がとても幸せなことだと感じるようになったからです。
ただ、一番の楽しみである試合で活躍する、という部分はまだ全くできていないです。満足にサッカーができる環境に感謝し、練習に全力で取り組み、そして試合で活躍し、この決断が大正解だったと思えるように努力したいと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました!


次回

次回の担当は福岡からはるばるやってきた九州男児、野中琉成です。

この学年で最も賢いと名高い彼ですが、先日の合宿では密かに肋骨を折りながらプレーを続けていた、という脳筋エピソードも残しています。

そんな謎多き男が何を語るのか、必見です!!!

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