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失敗は素直に話したほうがいい

私は仕事帰りに駅前のポストに郵便物を投函するのが日課となっている。

昨日お盆明けでうっかりしていた。

何か考え事をしていたのか郵便物をもったまま自動改札を通ってしまったのだ。

郵便計器で印刷された郵便というのは決まった地域でしか投函できない。

最寄駅か一駅(隣接する隣の市を特別地区としているので)乗った先でいちど下車して郵便ポストを探して投函する(①)か

改札から出て郵便を投函してから再度改札へ。(②)

最悪翌朝(一晩たっているので日付は変わるが朝は多目にみられるらしい)今入れ忘れた駅前のポストに投函する(③)

かしかない。でないと日付も入ってるし無効になってしまう。

家が遠いので自分の家の側のポストに投函することはできない。

支店内で出される郵便物というのは結構な量がある。昨日は何の発送日(例えば請求書とか領収書など)でもなかったがそれなりのボリュームがあった訳でどう考えても今踵を返して駅の外に出るのが一番の時間短縮になるのは過去一度同じミスをやっているので知っている。

その時は既に電車に乗ってしまって、はっと気がついた。扉は閉まり動き出している。これはどうにも次の駅で降りるしかない。

その時は余りに郵便物の量が多く既に一度郵便局に行っていた。

その残りだったので大した量でなく片手に持てるほどだった。郵便ポストの前を通ればポイと入れて数秒程度のものだ。

だが帰宅を急いでいたので忘れて改札を通ってしまったのだ。

一度自動改札機を通ってしまい再び通ると入場料が取られることになる。

*

私は「四次元思考」という授業をとっている。スピリチュアルの話となるのでマユツバと思って聞いてくださって結構です。

毎日呼吸法と瞑想をしているのだがその先に四次元へ行ってみるというのがある。
(以下が呼吸法。これを毎日続けるのが結構大変。でも自分との約束だから破らない。自分の怠惰な部分に負けない為に続けている)

四次元から三次元を見ると物体は見えるが生きたものに見えない。

先日のレッスンで自分を見てみたのだが私の姿は藁人形だった。

かなりショックだった。なんだ何も考えていないんだなと思った。

イメージとして左右に棒を持っているイメージをしてみる。それは今回の課題が「嫌な自分も受け入れる」と言うものだったからだ。

左手に自分の軸を右手に嫌な自分が入っている棒をイメージとしてもってみる。

それは四次元に行く前に三次元の私がしているのだが四次元から見ると、左の軸は先が割れ、二本のなっている。右の棒の中を覗くと、夕暮れの中コソコソとビルの階段を降りてくる自分がみえる。何かに追われているのか逃げようとしている。

その姿をみて、コソコソして何かから逃げたいのか。もっと堂々とどうして出来ないのか?と感じた。

自分の嫌な部分がそれなんだ。

言わないでコソコソしているのが私の良くないところなんだ。そういう嫌なところがあるからもっと正直になろう。正直な態度になろう。と思っていた。

そして今回のこと。

いつもならめんどくさがってすっと改札を出てしまうのが私だが自分の嫌なところを意識して正直に駅員に言おうと思った。

*

一度自動改札機を通ってしまい再び通ると入場料が取られることになる。

素直に駅の改札で駅員に事情を説明した。

すると定期券を目の前の機械へ置けと。入場の記録をなかったことにしてくれた。

お陰で入場券代を支払うことなく郵便ポストにたどり着いた。

四次元でみえたことを三次元で生かすとラッキーなこともある。

こんなこと言ったら恥ずかしいとか面倒だと思うときがある。でも正直にいることは大切なのだと今更ながら思った。

困ったことがあったとき隠そうとすることはないだろうか。それは良いことでなく正直になることで解決することもある。大事にならないこともある。

私の今回のこと、もし翌朝まで持ち越していたら発送して欲しいと持ってきたみんなの郵便物が相手先に届くのが遅れる。あの量を自分ひとりで日にちを変えて打ち直すのは大変な時間がかかる。いいことはない。

些細な話だが日常過ごしているとそういう場面は案外あると思う。

正直に話すことは大切なことだ。

まだまだたくさんの記事を書いていきたいと思っています。私のやる気スイッチを押してくださーい!