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私のバセドウ病歴 | バセドウ病体験談#2

今回の記事では、私のバセドウ病歴について、発症から現在に至るまでをお伝えします。

私のバセドウ病歴と特徴

私のバセドウ病歴を図にまとめました。

私の場合、それほど重度のバセドウ病ではなく、発症当初は首の腫れもほとんどありませんでした。問題は、再発を繰り返す不安定さと、バセドウ病以外の様々な不調が生じることでした。

数値が良くなっても不調は残ったままなので、数値が落ち着いてからが戦いというタイプです。恐らく私以外にも、このタイプの方は多いのではないかと思います。

甲状腺の専門病院で様々な症状を訴えても「バセドウ病のせいでは無いので別の病院を受診してください」で終わってしまいます。でも、他の病院を訪れると「バセドウ病のせいでしょう」とたらい回しにされて、非常に苦しい思いをしてきました。

どこまでがバセドウ病と因果関係があるのかは定かではありませんが、バセドウ病になってから発症・悪化した不調は下記のとおりです。

  • 自律神経の乱れ

  • うつ状態

  • パニック障害(嘔吐恐怖)

  • 機能性低血糖症

  • 生理不順、生理痛、PMS

  • 慢性疲労症候群

  • その他、原因不明の不調

バセドウ病が不安定だった原因として、仕事や実家のストレスが大きく関係していたように思います。再発を繰り返していた時期は、常に仕事で強いストレスを感じており、実家との関係も上手くいっていませんでした。

そういうストレスを消化できないまま、自分の心と体を休めてあげられないまま、頑張り続けていました。常に糸がピンと張りつめた状態で無理を続けて、何度も何度も糸が切れるたびに無理やりくっつけて、また切れて。気が付いた頃には結びなおせないくらい酷い状態になってしまっていた…例えるならそんな具合です。

バセドウ病の発症や再発にはトリガーがあると思います。心のストレス、体のストレス、それは人によって様々ですが、やはりストレス負荷が多ければ多いほど発症や再発のリスクが高くなるように感じています。

2013年 発症

発症当時は大学4年生で就職活動中でした。就職活動のストレスに加えて、母との関係や自分の生き方で悩んでいたことが大きかったように思います。

不調が悪化したのは夏頃で、体重減少や疲労感を強く感じて近所の病院を受診したところ、最初の診断は「夏バテ」でした。

でも、どう考えてもおかしい…と感じていました。何もしていないのに体重が減る上に、過去に経験したことのない疲労感。もともと生理不順でしたが、この時は数か月も生理が来ていませんでした。

もしかしてお腹にサナダムシがいるんじゃ…と、なんとも見当違いなことまで調べ尽くしていました。

そしてある日、ふと「バセドウ病」と思ったのです。そう思ったきっかけというものが無く、本当に不思議なのですが、叔母がバセドウ病だったためその言葉が頭の片隅に残っていたのかもしれません。

ネットで調べてみるとあらゆる症状が当てはまったので、病院で自ら血液検査を依頼しました。こうして私のバセドウ病は発覚しました。

バセドウ病だと分かった時、心の底からほっとしました。何より怖かったのは、様々な不調に襲われているにも関わらず原因が分からないことでした。

初めは誤診のあった病院に通い続けていたのですが、薬剤師の親戚から「薬の処方がおかしい、専門医のところに行きなさい」と言われて、甲状腺の専門病院に転院しました。

以降、別の症状で色々な病院を受診した時も、専門医でなければバセドウ病の事はわからないことが多いのだと実感しました。実際、専門外の病院に行くと「バセドウ病の事はよくわからない」「そんな薬の飲み方があるんだね」などと言われることも。

でも、そう言ってくださるのは良い先生だと思っています。逆に危険なのは、はじめに通っていた病院のように、専門ではない上によく分からないけれど患者を抱えてしまうという病院です。

少し話がそれてしまいましたが、甲状腺疾患は内分泌科など甲状腺専門の先生が在籍している病院の受診をおすすめします。甲状腺専門の病院でしたら設備も整っていますし、手術やアイソトープなど選択肢も広がります。

2016年 1度目の再発

1度目の再発の原因は、なんと自業自得。これは誰でも陥る可能性があるのでぜひ反面教師にして頂きたいのですが、薬の飲み忘れが増えたことが原因でした。

1度目の再発前は正確には寛解していなくて、寛解一歩手前の状態。数値は正常範囲内になっていたものの、メルカゾールは1日おきに1錠で治療が続いていました。ですが、もう症状も出ていなかったという油断と、職場に追い詰められてうつ状態になっていたことが重なり、自分がバセドウ病であるという意識がほとんど無くなっていました。むしろ忘れていました。

会社の飲み会では、バセドウ病ではNGとされているたばこの煙の中で危機感も無く何時間も過ごしていました。二次会参加から逃げられない職場だったので、帰宅が夜中の2時になることも。

喉元過ぎれば熱さを忘れると言いますが、数値が良くなって症状が無くなったからといって勝手に断薬することだけは絶対に避けなければいけません。本当に反省です。

バセドウ病は「完治」ではなく「寛解」する病気です。風邪のように治って終わりでは無く、寛解後も定期的に経過を観察するなどずっと付き合っていかなければならないということを改めて実感しました。

2018年 2度目の再発

1度目の再発以降、きちんと薬を飲んでいたため、2017年の12月に寛解しました。それからわずか数か月後の2018年4月、数値が少し悪くなりました。

はじめは「甲状腺の炎症かもしれないので、再発とは断定できない」との診断でしたが、その後検査をしたところ再発が確定。

当時は仕事が非常に忙しく、職場に追い詰められていました。それがトリガーになったように思います。

そして2度目の再発で辛かったことは、今までに無かった心臓の症状でした。

心臓が痛くなり、意識が遠のいて倒れる。意識が遠のくたびに「もうこのまま目が覚めないかもしれない」という不安で押しつぶされそうになりました。

原因について、甲状腺の専門医からは「筋力が減って心臓に負担がかかっているかもしれない」という説明を受けましたが、他の病院で検査することを勧められました。

不安を抱えながら心臓の検査をしたところ異状なし。「脈が速すぎて血液の供給が減って体が動かなくなっているのかもしれない」と説明を受けて、脈を抑える薬で改善していきました。

体が辛い、でも仕事をしなければいけない、もう会社を辞めたい、と当時は毎日のように泣いていました。この頃から精神的にもかなり限界になっていて、今振り返ってみるとうつ状態が再燃していたかもしれません。

出社の途中で具合が悪くなって途中下車したり、真っ白な顔で出社して倒れてタクシーで帰るということもありました。

こんな状態でも、仕事から離れるという選択肢や、生き方を変えようという選択肢を取れないままでいました。

2018年 アイソトープ治療

結婚が今後の人生を考え直すきっかけとなり、2018年11月アイソトープ治療を行いました。

アイソトープ治療に関しては別途お伝えするため詳しいことは割愛しますが、アイソトープ治療から数年間、数値が安定しない状態が続きます。

2022年 そして現在…

心と体が限界を迎え退職し、養生を続けること1年。やっと散歩もできるようになった頃、コロナにかかりました。

コロナ後遺症になり、味覚と嗅覚は消えて、ベッドから起き上がることも難しく、ブレインフォグで文字を読むこともできず、死にたいと思う日々が続きました。

そこから更に1年、体を整えることに専念し、現在に至ります。

コロナ後遺症をきっかけに、漢方薬局さんとのご縁が繋がりました。体が弱く西洋の薬が効きすぎてしまう私は、漢方治療をメインにしていくことを決めました。

主治医に相談してメルカゾールはヨウ化カリウム丸に切り替え。少し前まで「メルカゾールをこれから先ずっと飲み続ける必要があるかもしれない」と言われていたのですが、ようやく数値が落ちつきました。

それから念願の断薬にたどり着いたのが2022年6月。今から数ヶ月前のことです。

断薬から日が浅いので経過を観察している途中ですが、漢方・薬膳・瞑想・ヨガ・森田療法などで体調を整えながら、日々を過ごしています。

さいごに

少し長くなってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。

私にとってバセドウ病は、自分と向き合い、生き方を変えるための大切なシグナルでした。

バセドウ病と上手な付き合い方見つけるのは根気が必要です。時に辛く、苦しく、悲しく、みじめで、言葉では説明できないくらい本当に大変なことです。

でも、時間はかかっても、必ず良くしていくことができる病気だと信じています。私の体験談が、現在も闘病で辛い思いをされている方にとって、希望を持って治療と向き合って頂くためのきっかけになれたら幸いです。

ここまでお読み頂きありがとうございました。

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バセドウ病体験談の記事まとめ↓

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