第710回 出羽の驍将が築いた城が
1、職場にご恵送シリーズ51
本日ご紹介するのは
山形市教育委員会2020
『史跡 山形城跡 本丸御殿発掘調査報告書Ⅱ』
山形県山形市埋蔵文化財調査報告書第38集
以前山形藩の歴史について少し紹介したことがありました。
その時にも触れましたが、山形城は長年整備とそれに伴う発掘調査に取り組んでいます。
楽しみにしていた発掘調査報告書が届きましたのでその内容を少しシェアします。
2、発掘調査は予期せぬ成果があがるからいい
本書によると、整備計画では江戸中期、鳥居家時代に行われた大改修以後の姿を復元する、というものだったようです。
これまで、本丸一文字門、大手橋、堀や土塁などが復元されてきたところで
主役の本丸御殿に着手。
しかしここで大きな問題が発生してしまったようです。
というのも、よくある話なんですが、明治以降に改変を受け、江戸時代の遺構が大きく破壊されていたのです。
深く掘り込まれた遺構はかろうじて痕跡を確認することができたようですが、
当時の地面が削られてしまっており、確認できたのは当初の目的より一つ古い最上家時代の地面。
逆を言えば江戸時代の遺構を復元するための調査だったら
そこまで確認できなった深いところを図らずも調査することができた、ということでもあります。
伊達政宗と鎬を削った山形を代表する戦国大名最上義光。
かれが築いた本丸御殿はどんな姿だったのか、市民はもちろん、広く歴史ファンの関心を集めました。
3、掲載の図は全て報告書からの転載です
と言っても先ほど言ったように近代以降の改変で大きく破壊されているので、建物配置が特定できるほどの成果をまとめることができず、
復元するためには、追加の調査が必要だ、と文化庁からの指示があったと報告書に添付された文書が伝えられていました。
報告書に掲載の平面図がこちら
城の中枢部分まで公園化されていることがよくわかるのではないでしょうか。
出土遺物で最も注目すべきは金箔瓦。
建物配置を検討するのは難航を極めていますが、膨大な量の瓦の構成を考えるとどんな建物だったかわかることもあります。
破風を持ち大棟に鯱・鬼面鬼瓦を載せた屋根で、大棟に係る瓦群は金箔を施した権威的な建物。
加えて破風を飾る掛瓦も通常の軒先も金箔で飾られるフルスペックとも呼べる仕様。
とあります。
金箔瓦は最近では駿府城でも出土し、その解釈で議論がなされていますが、
まずは豊臣政権の影響下で有力大名が威信財として用いたもの、という理解で間違いはないでしょう。
奥州管領斯波氏の流れを組み、羽州探題、最上屋形と呼ばれ
最盛期には57万石の領国を誇った最上氏の面目躍如といったところでしょうか。
瓦にはヘラ書きで年号が刻まれていたり、刻印(スタンプ)で職人の名前が押されていたりするので年代決定の資料になるのですが
今回は決定的な資料はないようでした。
そこで陶磁器に注目すると
中国の景徳鎮窯で焼かれた青花染付の皿や
瀬戸美濃で焼かれた志野向付が注目されます。
破片なので分かりづらいですが、完全な形だったらこんなでしょうか。
16世紀末から17世紀初めころの上流階級の生活にふさわしい器物です。
一方で伊万里の磁器はほとんど見られない、という記載があるので
本当に最上時代に限られた遺物が見つかっているといえるのかもしれません。
4、謝辞に名前が!
いかがだったでしょうか。
すっかり近代化されて、遺構なんて残っていないように見えて
豊富な資料が出土し注目を集めた山形城。
これは来年の調査成果も見逃せませんね。
実は一昨年にこの山形城出土の瓦を見せていただいたことがあり、
その時に報告書執筆者の方と少し意見交換させてもらったからた
謝辞の欄に私の名前もありました!
逆に教えてもらった側なのになんかすみません。
これからも精進していきたいと思います。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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