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第389回 勝手に考古学用語解説No.16 礫石経

1、横穴古墳を見に行って中世の信仰に出会う

過日、視察研修の一環で宮城県利府町の道安寺横穴古墳群を訪れました。

横穴墓については以前noteでも触れたことがありましたね。

しかし、今回は古墳時代ではなく、中世のお話。

この横穴墓は7世紀代のものとみられているのですが、どうも中世にも信仰の対象となり、

仏教の経典を石に書いたものが多数発見されています。

これを礫石経といいます。

2、礫石経のあらましと論点

導入として

坂詰秀一編2003『仏教考古学事典』の当該記事を参考にしつつ解説してきます。

これによると。

経典埋納供養の一形態で、一石経、一字一石経、多字一石経ともいうそうです。

最も古い例は山形県天童市高野坊遺跡出土の応長元年(1311)とのこと。はっきり年号が記されていないもので、一緒に出土した他の遺物から13世紀前半までは遡るのではないかとも記されています。

寺社の境内、例えばお堂の床下、塔の礎石下、時にはお墓との関連がある場合もあるようです。

宮城県ではこの道安寺以外にも気仙沼市の赤岩館経塚という遺跡でも横穴に納められた礫石経が見つかっているようです。

仏教考古学の先駆者である立正大学の博物館報『万吉便り』第 28 号 平成 30(2018) 年 3 月に時枝務氏の「礫石経の不思議」という文章が掲載されています。

それによると、墨書が消えてしまったのではなく、初めから文字が書かれていなかったのではないかと判断される石も数十%の割合で含まれている例があるとのこと。

これをどう解釈するか。

氏は

経石と一緒に供養すれば、小石もただの石ではなくなり、聖なる石となれることを意味する。経 石の写経が済んだ後、経石と小石をともに供養し、箱や袋に納め、地中に納めるなどする。ともに供養した 時点で、経石の呪力が小石に及び、小石も呪力を獲得するのである。

と推定している。

さらに深読みすれば、字が書けない層の人々でも功徳を積む、という行為に加担できたということになるでしょうか。

大寺院の旦那として膨大な寄進をする貴族も

河原石を拾ってきて塚にする庶民も

願いは同じ、極楽浄土への往生。

3、遠い昔に想いを馳せるのはどの時代でも

さて本題ですが、

以前のnoteでも触れましたが、古墳においても

先祖のものと思われるような大きな古墳に

後から新たな主体部(遺体を納める部分)を設けることで

子孫である集団のまとまりを可視化したのではないか、

というような考え方を紹介しました。

この古墳時代の横穴に、中世の人々が礫石経を納めると言う行為との類似性も推定できるでしょう。

記憶はもちろん記録にも残っていない、

遠い昔に同じ地に住んでいたであろう人々が最後の地として選んだ場所に

新たな信仰遺物を納めることでより高い功徳を得られる

というような思想があったのかもしれませんね。

ちなみに礫石経に文字を刻むのはおそらく共同作業だったでしょう。

とあるお経のここまでは〇〇さんが書いて、

ここからは△△さんが書いてね、

とかどうやって決まっていたのでしょうね。

墨書が鮮明に残っていればですが、筆跡鑑定をして何人で分担して書いたのかなどわかると面白いと思いますがいかがでしょう。

ぜひみなさんのご意見ご感想をお待ちしています。



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中世考古学が専門の行政内研究者。夢は晴耕雨読。歴史文化の価値が高まる社会の実現を目指す。仕事ポートフォリオ:自治体学芸員として【松島町歴史文化基本構想】考古学者として 【2018「中世」『宮城考古学』20】