第502回 変わらないのは人の心

1、本の数珠つなぎ

以前紹介した田中角栄本を読んでからふと思い出して本棚を漁ったら

こんな本を見つけました。

昭和史本では何度かこの連載でも登場しているノンフィクション作家の保阪正康氏。

奥付をみると2010年ですのでもう10年近く前になりますね。

昭和の時代は3人の首相で総括できる。
東條英機、吉田茂、そして田中角栄だ。

とのキャッチコピー。

田中角栄を通して、昭和という時代の日本人の正直な姿を確認したい。

それが著者の狙いだとまえがきに記されています。

小説とノンフィクションという違いはあれど

同じ人物を描いた二冊の本。

特に違う視点や前者に描かれていないエピソードについてご紹介していきます。

ちなみに前回の関連レビューはこちら

2、目次

序章 記憶のなかの指導者

第1章 戦わざる兵士の原風景

第2章 新世代の登場と挫折

第3章 権謀術数の渦中で

第4章 庶民宰相への道

第5章 田中内閣の歴史的功罪

第6章 落城、そして院政の日々へ

終章 田中政治の終焉とその残像 

3、なぜ登りつめることができたのか

まず序章では大正7年生まれという世代に着目し、

同世代が、スペイン風邪、結核、そして戦争で多くなくなっていることから

自らにある種の責務を課したのではないかと推測しています。

ひらすら無作為に「近代日本」の解体を目指す。

そして、角栄の人物像というか、人心掌握術、処世術として取り上げられている手法は大きく2つに収束するのではないかと感じました。

その1、本質をはぐらかす情報量

角栄はときに、あまりに記憶力がいいことから人間コンピューターと評されることもあったといいます。

またあるインタビューで

官庁の課長以上の学歴や家族関係を把握しているという噂の真偽をたずねると

その人に何か頼んで特定の仕事をしてもらうとき、異動させるようなときに必要なことです。

と答えたといいます。

必要な情報を集め、適切に用いることはできましたが、

高邁な思想を語ることはせず、よく言われるように

地盤の新潟に新幹線や高速道路を通す

といような実利益の話題ばかりだったということです。

その2 権力の中心を見極める力

戦時中には政商としていかに軍部に入り込んで利益を上げるかといった手法には舌を巻きますし、

政界に入ってからは渦中にいる中心人物を見出し、そこに取り入るのに全力を傾ける。

そこでも理論や知識を挟んだりしない。

それが角栄流ということなのでしょう。

もちろん田中自身は勉強家で知識もあるは間違いありませんが、

人を動かすときには感情に訴えるということ。

そしてお金の力には屈してしまうということ。

その後、田中の影響を受けた政治家たちが踏襲したこともあり、

角栄は戦後政治家の象徴であり、時代の風潮やこの期の日本人の心情にもっとも照準を合わせた指導者として名を残すこととなります。

4、30年ひと昔

私にとってはもう物心ついた頃から、歴史上の人物でありました。

ちょうど私が生まれた1983年にはロッキード事件の一審判決で有罪とされ、

小学生だった1990年に政界を完全に引退していました。

その私からみるとまさに昭和政治の象徴というイメージで

善とか悪とかそのような価値判断ではなく、その時代に必要なことだったという認識です。

30年という月日が流れて、平成も終わってしまって、

現代の我が国にはどのような政治家が求めらているのでしょうか。

新たな時代に新たな素質が求められる一方で、普遍的な価値観もあるのではないかということを思わざるを得ません。

前回のレビューでも触れた、

先を見通す目。

例えば角栄が郵政大臣時代にテレビ放送局へ大量に認可を与えたことは、当時反対も多かったようですが高度経済成長を支えていく土台にもなったことは間違いない

と本書にも記されています。

そして決断力。

佐藤栄作首相の後継を巡って福田赳夫と争った際には

福田の次でいいのではないか、と言われて

人生における勝機というのは一度か二度しかない。

と語ったといいます。

そこで決断しなければ総理大臣になることはなかったのでしょう。

知れば知るほど妙に惹かれる人物です。

時代が一回りして、また彼のような求心力のある人物が必要なのかも知れない、とすら思えてしまいます。

貴方はどう思いますか?

本日も最後まで読んでいただきありがとうございます。



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