第541回 三日月の丸くなるまで
1、伊達のライバル
群雄割拠する戦国時代における北奥の雄、南部氏。
奥州南部氏の惣領とされる三戸南部氏の居城が青森県南部町に所在する聖寿寺館跡。
近年史跡整備のための発掘調査が続き、
毎年成果が報告されていますので、
少し整理してご紹介したいと思います。
2、南部氏の略歴
城跡の話に入る前に南部氏について少しまとめておきます。
初代とされる南部光行は 甲斐源氏の出身で武田氏の初代信義とは従兄弟にあたるようです。
源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした合戦で功績をあげ、糠部(ぬかのぶ)五郡を与えられたのが始まりとされます。
糠部はのちに一戸から九戸まで分割され、現在でも自治体名として残っているものもあります。
分家が近隣各地に広がるとともに、鎌倉時代には幕府執権北条時頼に接近し勢力を伸ばします。
南北朝時代には一族が分かれて戦うなど勢力が衰えることもありましたが、
三戸南部氏24代の南部晴政が勢力を拡大し、冒頭の
三日月の丸くなるまで南部領
と謳われた最盛期が現出することになります。
しかし、晴政の晩年には
石川信直(のちの南部氏26代当主)、大浦為信 (のちの津軽藩祖)、九戸政実らとの対立が生じるなど陰りが見えます。
いずれにしても、当地域では最大の勢力を持っていたことは間違いなく、
織田信長ら中央の勢力との交流もあり、最先端の文物が流入していたことは想像に難くありません。
その一部が発掘調査で明かになっているということなのでしょう。
3、毎年の話題提供
さて発掘調査では、
今年度の成果として報道されているものは
まずはウサギの飾り金具が出土し、
15世紀~16世紀前半の大規模な土橋(溝や堀を掘削するさいに掘り残して橋として利用するもの)が見つかったということ。
まさに南部晴政が当主の頃の遺構であるのでしょう。
昨年は犬型土製品の出土と
大規模な門跡
さらに一昨年は規模の大きな掘立柱建物跡と
アイヌ民族の所有であることを示す印ではないかと言われるマークがある陶磁器の皿
さらに前には南部氏の家紋である向鶴の飾り金具
など、コンスタントに情報発信をしているのがすごいところです。
4、中世青森の魅力
いかがだったでしょうか。
このように大きな遺跡を長いスパンで目的を持って調査していくことで
徐々に遺跡の姿が明らかになっていくこと、
その先には史跡として整備することで成果を誰もが享受できる形にすること、
これは戦後の文化財行政のスタンダードというような手法ではあります。
基礎自治体が体力(人材・財源ともに)を失いつつある現在ではなかなかできないことではないかと思います。
青森県には浪岡城跡
根城跡
さらには十三湊遺跡
など中世を彩る重要な遺跡の調査や整備が進められています。
三内丸山遺跡に代表される縄文文化だけではない、
青森県民の歴史文化に対する意識の高さがうかがえる部分でもあるかと思います。
ぜひ貴方も北の中世世界を体感してみてはいかがでしょうか。
本日もお付き合いくださり、ありがとうございました。
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