第588回 想いを伝えるための教養

1、漢詩と詩人その2

『文選』に収録されている作品と詩人を紹介する連載の2回目です。

ちなみに前回はこちら

科挙が始まると科目の一つとして詩作が課され

その模範となったのが『文選』でした。

唐の詩人、杜甫も「熟精せよ文選の理」と息子に書き残していたとか。

2、文化人続出の家系

本日は謝霊運の族兄にあたる謝瞻を紹介します。

族兄とは一族の同世代のうち年上だということ。

謝氏は江南の名家であり、祖父は東晋の名将として名高い謝玄でした。

代々貴族として高い地位にあるとともに、一族の中から数多くの名だたる詩人を輩出しています。

謝瞻もその1で紹介した謝霊運同様、引退を望みながらも、後の南宋の武帝となる劉裕に仕え、中書侍郎など要職を努めています。

権力闘争にあくせくしながら仕事しなくても、ゆとりある生活ができる大富豪だったということですよね。

病によって35歳で亡くなりますが、いくつもの詩が残されています。

特に名高いのは主君劉裕が漢の高祖劉邦の参謀として名高い張良の廟所を修復した際、

群臣にそのことについて漢詩を作らせたそうですが、

最も出来が良かったのが謝瞻だったとされています。

この時の作品も「張子房詩」として『文選』に収録されています。

3、友人との別れ

今回ご紹介するのは

「王撫軍庾西陽の集いに別る」

召を祇みて北京に旋り (庾西陽は召還の命を受けて都にもどり)

官を守りて南服に反る (私は任地である南にかえる)

舟を方べて旧知に析れ  (船を並べて旧友とは別れ)

筵と対して明牧に曠ざかる (優秀な長官殿とは宴席で別れを告げる)

觴を挙げて飲餞を矜れみ  (杯を掲げて別れの時を悲しみ)

途を指して出宿を念う   (行先を指差して今後の旅を思う)

來晨 定端無く    (再び会うことができるか分からないというのに)

別晷 成速有り   (別れの時はきまってやってくる)

頹陽 通津を照らし (夕日が波止場を照らし)

夕陰 平陸に曖たり (夕暮れが大地を暗闇で包む)

榜人 行艫を理め (船頭が船の支度を整え)

輶軒 歸僕に命ず (帰りの車の手配が指示された)

手を分かつ東城の闉 (東の城門で別れ)

櫂を發す西江の隩  (西の入江から船は出発した)

離會は相い親しむといえども (人の別れはまた会うこともできるが)

逝川 豈に往復せんや (川の流れはもとることはない)

誰か謂う 情 書くべしと (誰かがこの思いを書き記すべきだというが)

言を尽くすは尺牘に非ず (言葉では言い尽くすことはできそうもない)

4、大切な人との別れの場面で思い出したい

いかがだったでしょうか。

友人との別れ惜しみつつも

川の流れに例えて達観した様相も見せる、

複雑な思いが見事に伝わってきますね。

大切な人との別れの時に、格調高い漢詩を送るのはなんと風流なのでしょう。

なにか伝えたくても、言葉が出てこない時、

先人の言葉を借りる、それができるのが文学のいいところ。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。



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