第524回 危機を生き延びた者の声に耳を傾けよ

1、読書記録78

中世史家の藤木久志氏がつい先ごろお亡くなりになりました。

『雑兵たちの戦場』をはじめとする、

英雄譚に彩られた歴史ではなく、その時代に生きた庶民の目線からの歴史を探求された研究者でした。

すでに各所で追悼文がでていると思いますが

手元にあったこの本を紹介することで、

私も追悼の意を表したいと思います。

2、目次

はしがき

一 中世の生命維持の習俗

1 飢饉奴隷の習俗

2 飢饉出挙の習俗

3 自然享有の習俗

4 田麦の習俗

二 応仁の乱の底流に生きる

1 首都を目指す飢饉難民

2 首都に迫る徳政一揆

3 首都を襲う足軽

三 戦場の村

1 飢饉の戦場

2 村の制札、村の避難所

3 武装する村・一揆する村

4 凶作と戦禍を生き抜く

四 村の武力と傭兵

1 ある村の乱世

2 村の禁制と手柄

3 武装する被差別民

4 近世の村の武力像

五 九州戦場の戦争と平和

1 九州の平和から日本の平和へ

2 奴隷狩り・疫病・飢饉

3 武装し自衛する戦場の村

4 大名滅亡の惨禍

六 中世の女性たちの戦場

1 中世戦場の女性論によせて

2 戦場の女性の奴隷狩り

3 戦場の城に籠る女性たち

4 奪われた女性たちの行方

おわりに

といったように、目次を見ただけでも、

雑兵・足軽の実態について、や「村の城」論、

飢餓奴隷、戦争奴隷の悲惨さや、

戦時において女性を単なる被害者という見方で捉えることの危うさなど

論点は多岐に渡りますが、今回は1章2章の飢饉とそれに対する危機管理のあり方というところに焦点を絞ってご紹介したいと思います。

3、飢饉から生き延びるには

まず筆者の論の土台となるのは

中世の記録や古文書に災害に関わる記述を探し

7000件までに到達したデータベース。

特に戦国時代にはいつもどこかで飢饉や疫病が起きていた様相が数量的なデータで示されます。

そして紹介されるのは

七度の餓死にあうとも、一度の戦いにあうな。

という格言。

7度の飢饉よりも1度の戦争の方が恐ろしいと、長く言い伝えられてきたのです。

そんな中にあって民衆はただ嘆き悲しむしかできなかったか、というとそうでもないようです。

著者が生命維持装置と呼ぶ様々なシステムがあったのです。

まずは餓死するよりは奴隷に、という発想。

戦国時代は乱取りといって隣国と戦争になると人さらいなんて当たり前、

という印象がありますが、日本の歴史上でも人身売買が合法化されたことはほとんどありません。

ですが、あまりに飢餓が進むと、為政者は特例的に人買いを認めたのです。

本書では鎌倉時代と江戸時代の実例が紹介されています。

飢饉は法を超える

と著者は表現しています。

二つ目は「富める者」の力で解決すること。

鎌倉時代には政府が直接手を下すのではなく、富裕層に庶民に米の貸付を依頼し、自らは保証人となること。

または、通常はお留山として大名や領主が独占的に権益を有していた山野について、広く一般に開放するという手法。

政府権力が中央集権的ではなく、地元の裁量が大きかったからこその発想ですね。

さらには、庶民たちもしたたかで、米作りが終わった田んぼに麦を植えて二毛作にすることに力を入れます。

田麦は基本的に年貢がかからないというのが当時のルールでした。

逆に年貢用の米づくりがおろそかになって、

自分のフトロコに入る麦づくりばかり力を入れる、

というのが一般的になってしまっていることもあったようです。

このような姿を見た著者は

これまでの飢饉研究というと被害の大きさ、もっと言えば死者の数だけ数えて終わるのではなく、

そんな中でも生き残った人々の方に注目して行くべきだと主張します。

そしてさらに踏み込んで著者がいうのは、

日本の伝統や文化の多くが中世に発生していることから

文化の創造や人生の充実には「平和と飽食」が必要だというわけではないということ。

私なりにもっと掘り下げると

危機の時代こそ新たな文化を生み出す力に溢れている

というのは言い過ぎでしょうか。

4、また中世はくるのか

いかがだったでしょうか。

本書の中で、著者は

この平和と飽食の時代にあって、ついそれを投影して中世も穏やかにすごしているような印象を持ってしまっていた。

と心情を吐露しています。

この本が書かれた2001年はまだそんな時代だったのでしょう。

それから20年近く経った現在はどうでしょうか。

国際情勢を論じるほどの大風呂敷は広げませんが

個人的には、少なくともわが国では、格差が広まりつつあり、

庶民の間に不満がくすぶり続けているも決定的な破綻には至っていない

という認識でいます。

一方で10年後の社会はどうなっているかはわかりません。

あるいは本書に描かれるような殺伐とした、

生きるのに必死な時代がまた来るのか、

画期的な技術の進歩で、新たな価値を享受しているのか。

したたかな中世人の姿を見ながら考えてみたいと思います。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

ぜひコメント欄に貴方の感想をお寄せください。

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