第412回 勝手に考古学用語解説No,20 喫煙具
1、発掘調査の休憩時の一服が何より楽しみだったこともありました
今日のミヤギは昨晩からの雨がしばらく続き、すっかり梅雨空でした。
そんな中、私といえば地域の奉仕活動に参加して川沿いの草刈り。
農業で鍛えたオジさまたちに混じってへっぴり腰でひたすら草刈機を振るいました。
そしてその休憩中に吸う煙草のうまそうなこと。
そう、私は禁煙して3年くらいになるでしょうか。
こういう外仕事したときの休憩の一服が至福の時なんですよね。
最近現場が少なくて事務仕事ばっかりだったので久しぶりの感覚です。
いつかまた喫煙を再開したいと密かに思いつつ、
今日は煙草の話をしてみようかと思いました。
2、タバコはいつから?
導入はまたこの事典から。
アメリカ大陸原産の煙草が我が国に持ち込まれたのは16世紀末頃とされています。
だから南北朝時代のバサラ大名たちがどんなにアウトローイメージを持っていたとしても絶対に喫煙していることはあり得ません。
織田信長や松永久秀ですらどうだったか。
そう、我らがお屋形さま、伊達政宗さんはお墓から愛用のキセルが出土するくらいの愛煙家でした。
なんでも朝昼晩と時間を決めて喫煙をしていたようで、
今のように気分転換、というより薬を服用しているようなイメージだったのかもしれません。
3、出土遺物としての喫煙具
発掘調査で出土するキセルは基本的には雁首(がんくび)と吸口(すいくち)の金属でできている部分のみであることが多く、柄の部分は木や竹など有機質で作られていたので腐朽してしまっています。
画像はたばこと塩の博物館Webサイトより。
雁首はタバコの葉を詰める部分、吸口は煙を吸い込む部分ということになります。
基本的な構造は当初から幕末まで変わりませんが、
火皿の下の部分の屈曲の度合いなどに変化が見られ、
これは屋外にキセルが持ち出されるようになったことから
携行性が高まったためと言われています。
もしくはタバコの葉の刻み方が細かくなったからとも言われます。
そうタバコは江戸時代から何度も禁止令が出されていますが、
その裏には個人的な嗜好以外にも、葉タバコを作ると現金収入になるので
本業の稲作がおろそかになるという懸念もあったようです。
4、北と南の喫煙文化
北海道上ノ国町勝山館跡でもキセルが出土しており、
平取町イルエカシ遺跡では1667年に降ったと考えられる火山灰土の下から大量のキセルが出土しているそうです。
【参考 松田猛2012「煙草入れと煙管」釧路市立博物館紀要第34輯】
一方、琉球(沖縄県)でも早い段階から喫煙の風習が記録されています。
1602年に記された『琉球往来」という書物にはすでに琉球の人々が煙草を吸う姿が描かれており、
1614年に漂着したウィリアムアダムス(後の三浦按針)も、琉球の人から煙草を勧められたことを書き記しています。
【参考 石井龍太2011「琉球諸島出土キセルの基礎的研究」東京大学考古学研究室研究紀要 (25)】
このように、日本列島の北と南の境界部の方が外の世界との交流が盛んだったためか
全く新しい習慣である喫煙の普及が早かったのは興味深いですね。
5、喫煙の未来は
いかがだったでしょうか。
久々に近くで喫煙をしている人を見かけたことをきっかけに
喫煙の歴史について紹介させていただきました。
私の職場でもついに今月中に喫煙所が撤去されることが決まったようです。
喫煙者だったころ、喫煙所での雑談が実は重要な情報交換だったことを思い出します。
禁煙をしたのは何度も喉をやられてしんどかったのと、金銭的に他を優先したかったからでした。
歳をとってまた余裕ができたら吸いたいと思っていましたが、その頃まで紙巻きたばこという習慣が残っているかは疑問ですね。
喫煙をめぐる環境の変化ものちの時代から見ると興味深い歴史的な事象なのかもしれません。
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