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第677回 こんな時は山を眺めて心を落ち着けましょう

1、読書記録105

昨日までPRしていたイベントは中止になりました。

昨今のニュースで心が不安定になりそうですが

落ち着かない時ほど、いつも通りのことをやる。

それを心掛けているので、本日も記事を投稿していきます。

職場で購読している『月刊文化財』

678号は特集「新指定の文化財−民俗文化財−」でした。

2、民俗文化財は奥深い

新しく指定・登録になった民俗文化財で本誌で紹介されているのは

以下の通りです。

【重要有形民俗】
行田の足袋製造用具及び関係資料(埼玉県行田市)
志木の田子山富士塚(埼玉県志木市)
 〈追加〉
立山信仰用具(富山県立山町)


【重要無形民俗】
近江湖南のサンヤレ踊り(滋賀県草津市、栗東市)
近江のケンケト祭り長刀振り(滋賀県守山市ほか)
因幡・但馬の麒麟獅子舞(鳥取県鳥取市ほか)
博多松囃子(福岡県福岡市)
感応楽(福岡県豊前市)
与論島の芭蕉布製造技術(鹿児島県大島郡与論町)


【登録有形民俗】
武庫川女子大学近代衣生活資料(兵庫県西宮市)
別府の湯突き用具(大分県別府市)


【記録作成等の措置を講ずべき無形民俗】
浜通りのお浜下り(福島県いわき市ほか)
近江の郷まつり(滋賀県全域)
東坊城のホーランヤ(奈良県橿原市)
山中のお改めとシシ狩り行事(島根県江津市)
池田の柴祭り(鹿児島県錦江町)

3、山が心のよりどころになるまで

今回は志木の田子山富士塚について少し掘り下げてみたいと思います。

富士塚というくらいですから、富士山に対する信仰に関するものです。

もともと富士山に登拝することが一般化するのは江戸時代になってからで、

それ以前は修験道とか山岳信仰の中で語られるものでした。

ターニングポイントは食行身禄(じきぎょうみろく)という人物だそうです。

なんでも飢饉や社会情勢の悪化を憂い、人々を苦しみから救うために

断食入定、つまり座禅を組んだまま息絶えるという究極の修行に挑戦します。

それが享保8年(1733)のこと。

流石に江戸時代でも瓦版が出されるほど話題になり、

彼の弟子たちが富士登拝を推進する原動力にもなったようです。

と言っても誰でも富士山登拝をできるわけでもなく、

代参講という組織を作り、代表者が参拝することで構成員みなが功徳を受けるというスタイルが流行します。

俗に「八百八講」と呼ばれるほど広まったとのこと。

それをさらに推し進め、富士山の方から地元に来てもらおうじゃないか、

近くにミニ富士山を作って、そこに参拝すれば本物に登拝したのと同じ功徳が得られるようにしよう、

という考え方で作られたのが「富士塚」ということになります。

4、再現度はピカイチ

各地に見られた富士塚も都市化の流れで、その景観の多くは失われました。

残っているものの中でも、重要民俗文化財になるくらいですから、

志木のものは特徴的です。

この富士塚は丸吉講という組織の中心人物だった高須庄吉が築造したもので、

彼はもともと醤油醸造業を営むかたわら、浅間神社の神職を務めるような立場にありました。

東北から中部地方まで広く寄進者を募り、こだわり抜いた富士塚が出来上がりました。

わざわざ富士山から運ばせたという黒ボク石を塚の表面に敷き、

富士山同様、雷光形のつづら折れの登山道が作られています。

道沿いには道標になる合目石がたち、信仰に関連する石碑も林立します。

麓には浅間下社、頂上には奥宮が設けられ、御胎内という洞窟まで掘られています。

直径30m、高さは8.7mなのでちょっとした古墳というサイズです。

重要民俗文化財には「木曽呂の富士塚」など

他にも富士塚が指定されていますが、

志木の再現度は群を抜いているのでしょう。

東北育ちの私にはちょっと縁遠いですが、

富士山を眺められる距離にある地域の方には馴染みがある遺跡かもしれませんね。

関東にお住まいの方はぜひお近くに富士塚がないか探してみてはいかがでしょう。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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