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令和コードギアス初見オタク、『復活のルルーシュ』を観る。

 朝も夜も恋焦がれて。どうも、令和コードギアス初見オタクです。

 令和になってようやく、2000年代アニメファンの義務教育『コードギアス 反逆のルルーシュ』を全話観るという所業を行い、たくさんのフォロワーに見守られ、支えられ、完走し、ゼロレクイエムを目撃しました。そんな初見オタクには、ある宿題が残されました。『復活のルルーシュ』と向き合うことです。

 一番やってはいけないことだって、初見のぼくにもわかります。あの結末をもって『コードギアス』は伝説になり、ルルーシュの犠牲が仕掛けたギアスによって、世界はとりあえずの平和を得たのに。これは一体どういうことなのか。ルルーシュの復活、あのラストの続編を、ファン・スポンサー・作り手の誰が望んだというのか。後追いの令和初見オタクには与り知らぬところだが、公式から出された以上、観ないわけにはいかない。

そのために劇場版三部作を観る

 魔神の復活の前に、まずは2時間越えの映画を三本も観ることになります。準備体操無しでプールに飛び込んだら危ないからね、仕方ないね。

 本作は、TVシリーズの映像に新作パートを加えて再構成しアフレコも録り下ろしされた総集編であり、同時にファンが『復活のルルーシュ』を観られるようになるまでの壮大な下準備です。これは『魔法少女まどか☆マギカ』が二本の総集編映画の次に完全新作を送り出したのと同じ手法で、「これはTVシリーズとは別ルートなんですよ」という前提を経ることで、ようやく『復活』に至れるのです。TVシリーズの結末か、あるいは劇場版のルートか。ファン各々が自分の「正典」を選べるよう細心の注意を払った結果、三本もの映画が生まれるのが『反逆のルルーシュ』の結末がいかに神格化されているかの証左なのです。

 この三部作では1期と『R2』計50話をコンパクトにまとめるため、黒の騎士団の数々のレジスタンス活動の中から要所をピックアップして構成し、ブリタニアへの反逆からギアス響団の殲滅、シャルル・マリアンヌとの対決からゼロレクイエムまでを大急ぎで駆け抜けていくダイジェストの構成に。1期と『R2』の間の補完がなされライトに観られる一方で、キャラクターの細かい感情の揺らぎや動機の説明は最小限なため、初見さんを相手にしていないというのがひしひし伝わってきます。

 中でも大きな改変がシャーリーさんの運命に関わるものと、マオくんの存在そのものの抹消という大幅な断捨離で、とくに後者は、尺の都合上やむなしとはいえ後の『復活』におけるC.C.の動機や魔女性に関わるエピソード。そのため、この総集編はあくまで『反逆のルルーシュ』の大筋をおさらいするものとしてしか機能せず、ギアスのルールやルルーシュ復活のロジックを理解するためにはやはりTVシリーズの視聴は必須。なのでこれから令和コードギアス初見オタクを量産したい古参のみなさんはTVシリーズ50話でちゃんと沼に沈めてあげましょう。その方が彼らのためですから。

覚悟の『復活』、率直な感想

 というわけで、『復活のルルーシュ』を観ました。悔しいかな、めちゃくちゃ面白かった……!!面白かったんですよ!!

 まず、事前に『復活』に望んでいた点が二つあります。それは

①ルルーシュの復活に納得できること
②ゼロレクイエムを反故にしないこと

 この2点が満たされなければ、私もTVシリーズ至上主義者になっていたかもしれません。が、本作はこの二つを(やや強引ながら)クリアしていたために、まんまと熱中していました。悔しい、けど、感情は誤魔化せない。

①ルルーシュの復活に納得できること

 この点において、説明の段階では何一つ受け入れられなかったのが正直なところでした。「シャルルを殺したことで不老不死のコードを受け継いだため生存し、しかしコードの継承が不完全だったためギアスも使い続けることが可能」という後付け設定が、あまりに都合が良すぎる。しかもCの世界は「全人類の集合無意識」と説明されていたはずなのに、C.C.はそれにアクセスすればルルーシュの魂を元に戻すことが出来ると発言。いつからCの世界はガフの部屋になったのでしょうか。もうこれエヴァやんけ、ええ加減にせえよと、思ったわけなんですよ。

 しかし、いざルルーシュが「あのルル」に戻れば一転し、手の平を返すことになります。ルルーシュ・ランペルージは、常に不可能を可能にする男でした。復活したルルは即座に状況を把握し、ジルクスタン国の軍に囲まれるという不利な状況を、自らの知能と戦略で打ち破る。彼がゼロとしてブリタニアや諸外国を相手取ってきたそのカリスマ性を発揮し、敵や視聴者の想像の一歩先を行く手際の鮮やかさは、騎士団の団員や我々視聴者がルルーシュに惹かれる要素そのものだったはず。ルルーシュの復活は『コードギアス』の醍醐味である「知略と頭脳による闘い」の開戦を告げ、その戦略の前に敵が総崩れするのは爽快の一言でした。この時私は、ルルーシュの復活を理屈ではなく、彼自身のパフォーマンスによって納得させられてしまったのです。

②ゼロレクイエムを反故にしないこと

 『復活』がそもそも蛇足と思われてしまうのは、ひとえにTVシリーズの結末が美しかったからです。ゆえに、あの残酷で冴え渡った決断の上で成り立った平和が、ルルーシュの復活によって乱されるのは、きっとファンも望まないでしょう。

 そしてその点には、作り手もかなり気遣ったであろう印象を受けます。物語のほとんどは異国ジルクスタンで繰り広げられ、ルルーシュが超合衆国の土を踏むことはありませんでした。そもそも、ルルーシュの生存そのものが世界を揺るがすタブーであることを全員が認知し、その存在をひた隠しにしながらも彼のカリスマを欲する、という構図。それは「コードギアスの続編が見たい、けれどあのラストを無かったことにしたくはない」というファンの心情に寄り添った、現状パーフェクトな回答だったと思います。

 しかし、ルルーシュにとっては反逆すべき国家も毒親もすでに存在せず、最後に残された動機が「ナナリー」というのも、彼を描く上で違和感のないものでした。裏を返せば、そのためにナナリーは囚われの姫役を与えられた印象も強く、本作は商業上以外に作られる理由があったのか?という疑問は残りますが……。

頭脳でループに挑む

 天才的な頭脳と絶対遵守のギアスを持って復活したルルーシュは、敵う者のいない最強の軍師。それに対抗する敵をどう生み出すかにおいて、本作は素晴らしいアイデアを用意しました。なんと敵のギアスは「死の直前の記憶と意識を6時間前の自分に転送する」というもので、すなわちタイムリープ保持者をルルーシュは相手にしなければなりません。

 戦略面では圧倒的な差があるものの、敵は敗退の経験を過去に送り、行動を修正することができる。その度に結果が変わり、ルルーシュにとっては自分の作戦が全て筒抜けになっているかのような錯覚に陥るという、頭脳戦に長けた彼には悪夢のような戦況が繰り広げられることに。仲間との通信も絶たれ、全ての奇襲は先読みされる。自分の思い通りに未来を改変できる敵のギアスは、これ以上ないほどに厄介で、強い。そんな相手にどう立ち向かうか?勝ち目はあるのか?と、ギアス対ギアスの闘いはとてもスリリングなものに仕上がっています。

 タイムリープに勝つにはどうするか。それは、「相手の思考を上回り続け、敵からその能力を奪う」以外にありません。ゆえにルルーシュはあらゆる戦略を同時に思案し、トライ&エラーをその場で何度も繰り返すしかないのです。上述した通り、これは『コードギアス』の面白さ・醍醐味を全面に打ち出したもので、ファンが観たかったものの集大成にあたります。久しぶりの完全新作としては、かなり満足度の高い作品になっているのではないでしょうか(そもそも製作されることの是非は抜きにして、ですが)。

C.C.さんの孤独の終わりと、その是非について

 『復活のルルーシュ』はみんなが望むゼロ=ルルーシュ・ランペルージとの再会の映画であり、同時にC.C.さんの映画でもあります。なにせ、ルルーシュが復活に至る理由は彼女のエゴ、それ以外にないからです。

 彼女は魂を無くし退行してしまったルルーシュに母のように尽くし、“彼”が戻ってきた後は戦闘に参加し、絶望的な不利に陥ったルルーシュに復活の兆しを与えます。母として、戦友として、魔女として。これまでになく多面的な顔を覗かせる本作は、間違いなくC.C.がヒロインで、主人公の物語でした。

 これも、ゼロレクイエムが残した影が引き金となったのでしょう。C.C.は不老不死のコードにより死ぬことが出来ず、その永遠を否定するためにシャルルやマリアンヌ、V.V.の計画(ラグナレクの接続)に賛同します。しかし、ルルーシュがその計画を否定し、「死ぬ時くらい笑って死ね」と声をかけたことでC.C.は死ぬために生きることを止め、生き続ける意思を持ってシャルルから離れます。ですが、その約束が果たされぬままルルーシュがこの世を去るということは、C.C.が再び永遠の絶望に囚われることを意味します。世界平和を成した一方で、『反逆のルルーシュ』はC.C.にとってはアンハッピーエンドでした。その絶望から逃れたくて、C.C.はルルーシュを蘇らせました。彼の存在が超合衆国の平和を揺るがし、近しい人間の後悔と悲しみを呼び覚ますものであると知りながら……。

 この決断については、とてもアンビバレントです。彼女が愛と救済を求め、そしてついに取り戻したルルーシュへの想いは、他者が一方的に悪だと断じることはできません。一方で、復活そのものにルルーシュの意思が反映されていないのなら、彼を現世に呼び起こすことは地獄に叩き落とすのと同義な気がしてならないのです。ルルーシュとて、自らの覇道のためにたくさんの命を犠牲にした大罪人であることには変わりないのですから……。

しかも、ゼロレクイエム後にルルーシュの身体を手に入れるためにジェレミアとシャーリーの協力があったことが言及されます。鬼畜か??

 ルルーシュは、もうナナリーと一緒に生活できる身の上ではありません。というか、人間として彼の生存が許される世界はどこにもないような気がします。エンドロール後の映像において、ルルーシュはギアスを与える側になった、と受け取れる描写があります。ギアスを得た者がどんな末路を辿るか、それは彼自身が痛いほど知っているはずです。使った者を孤独に陥れ、世界を混乱させる異能を広めることを、ルルーシュが果たして望むでしょうか。最後の最後に、悩ましいものを見せやがりましたよ、谷口悟朗……!!

その先の未来へ

 これにて、令和コードギアス初見オタクとしては一区切りです。コードギアス、面白かった。ゆえに、なぜ『復活』に対して先輩方が複雑な語りをされるのか、今なら痛いほどわかります。私も今日からそちら側です。

 なればこそ、ここからは皆さんと一緒に、同じスタートラインで立ち向かうことができます。現在アナウンスされている、『復活』の続編となる新作アニメーション『奪還のゼット』を。C.C.が真に救われる時が来るのか、ゼロという記号が創り上げた平和がどうなるのか。観たいような観たくないような続きを、ピザを食べながら待ちわびる日々を生きて行くのです。


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