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ここではないどこかが、私のものになっていく感覚。『宇宙よりも遠い場所』

 オススメされてからずっと「後で観る」リストに入れっぱなしだった『宇宙よりも遠い場所』を観た。アニメの世界の女子高生、戦車に乗ったりスパイになったりと大変だな、今度は南極観測隊か~、なんて茶化すようなことを思っていたはずが、あるポイントから「これは自分の話だ」って思い始めてから、涙が止まらず顔面は崩壊、ティッシュがみるみる減っていくこの有様。やられました。大人が観たら劇薬ですよこれは。

高校2年生の玉木マリ(キマリ)は、「青春する」というあてもない目標を抱き、幼馴染の高橋めぐみに相談して学校のズル休みを思いつくも、何事に取り組んでも失敗を恐れるキマリは出発の途中で諦め学校に戻ってしまう。そんなある日、キマリは帰宅途中、同じ学校の制服の女子生徒が落とした100万円入りの封筒を拾ってしまう。キマリはその100万円を持ち主である小淵沢報瀬に返すと、報瀬はバイトに精を出す理由を語った。報瀬の母は民間南極観測隊員であり、3年前の南極観測で行方不明になったこと、周りにはバカにされても、自分も南極に行って母の遺品を見つけるために必死にお金をためていること。報瀬の言葉に感化されたキマリは報瀬を応援することにするが、報瀬は本気があるならキマリも南極に同行しないかと誘い、2人で南極を目指し始める。それから、高校を中退し働いていた三宅日向、高校1年生でタレントの白石結月と出会い、4人は女子高生レポーターとして民間南極観測隊「第2回南極チャレンジ」への同行者として、南極の大地を目指していく。

 何度読んでも驚くようなあらすじ。女子高生が南極を目指すという突拍子の無さ、いくらアニメとはいえそれは有り得ないだろうと、普通なら思ってしまう。報瀬をバカにしているクラスメートと同じ目線で、南極なんてムリだよと、諭したり笑い者にしたりするだろう。そんな私たちの心に、このアニメは「ざまぁみろ」と言ってのける。私たちはやり遂げた、お前たちがムリだと笑ったその夢を、私は成し遂げたぞ、と。

 実際のところ、彼女たちが辿る南極への道は、かなり都合が良く舗装されている。民間の南極調査隊が募集され、それにタレントが女子高生リポーターとして同行する企画が持ち上がり、タレントでもない女子高生3人がそれに便乗する形で観測隊入りを果たす。3年前に犠牲者を出すような危険な環境に、未成年を4人も送り込むというのは誰が見てもリスクが大きく、現実なら到底有り得ないだろう。4人分の旅費や訓練費は誰が負担した?そもそも過酷な訓練に耐えた者でなければ観測隊入りは許されないと説明があったはずなのに、具体的な描写は少なく、寒くて船酔いが酷いくらいの困難さしか描かれないのは、尺が足りないのは承知だが「南極」の厳しさを描き切ったリアルな作風とは言えないだろう。

 だが、そのような指摘を受けるのは作り手も承知の上だろうし、それらを差し置いても描きたいテーマがあり、南極はあくまで「ここではないどこか」の象徴としての、いわば寓話に近いものとして読み解くことができる。海外に行ったことがない者が理由も無く渡航を避けるように、未知の世界や場所に行くというのは勇気がいる。その中で最も遠い南極が目標地として選ばれ、そして実際に氷の大地に足を踏み入れた少女たちの成長を観て、我々は自分を振り返ることになる。

 本作の最終回13話を観て驚いたのは、キマリら4人の南極との別れのシーン。キマリは一旦は南極から離れたくないと申し出るが、次の帰還が来年になること、学業や家族との生活を鑑みて、今回の帰郷を決める。南極が名残惜しく、大好きになってしまった彼女らは、「また4人でここに来よう」と約束する。まるで卒業旅行で来たディズニーランドの帰り際のように、荒れる船で何度吐いても構わないなんて言いながら。彼女たちにとって南極はすでに「宇宙よりも遠い場所」ではない、だからまた来よう、また旅をしよう。そんな言葉が出るようになっていった。南極を一度も訪れたことのない大多数の視聴者は、一度はその言葉に驚きつつ、かつてこのような感覚を抱いたことがあったか、身に覚えがある人もいたかもしれない。

 私にとっていえば、数年前までの「宇宙よりも遠い場所」の一つが東京であった。就職活動ですら地元九州を出たことのない臆病者の私は、東京本社への異動を命じられ、出発の日まで眠れない日々を過ごしていたことを今でも思い出せる。全く知らない環境で携わったことのない仕事をする、満員電車に耐えられるだろうか、不安に押しつぶされていたし、部屋の隅で震えていたこともある。出不精すぎたし、未知のものは何でも怖い。この時の私は、おそらく報瀬ちゃんが眩しすぎて観ていられないかもしれない。

 それから月日は経ち、私は一年半を東京で過ごし、地元に戻り、もうすぐ一年が経とうとしている。今思い返せば東京の一年半は、苦しいことも楽しいことも両方あって、行かなきゃよかったなんて思うことは一度も無かった。あそこでしか出来ない経験、今につながる人との縁を得られた。たまに東京が恋しくなって、前の職場や寮の最寄駅に立ち寄りたくなってしまう。

 今年5月、大好きな劇伴作家の澤野弘之氏のライブがあって、11月にはインドの俳優スッバラージュ氏が来日した。私はその時、東京へ行った。自分でチケットを買って、余裕をもって空港に着き、現地に降りてからはGoogleマップを頼りになんとか目的地に辿り着く。東京で生活するまでは、こんなアグレッシブな自分は考えられなかった。浮足立っていた私は早朝に起きて福岡空港に向かい、これから東京で一泊してくる旨を母親に話すと、「友だちの家に行くような感覚で東京に行けるようになってるね」と言われた。自分でも笑ってしまう。本当に、地元を離れることをあれだけ嫌がっていた自分はどこにいったのだろうかと。いつしか「東京」は私に馴染みの場所になっていたし、新宿駅東口に来るとなぜか落ち着いてしまう。もうそういう場所になっていたんだ。

 きっと、彼女たちもそういう感覚が芽生えたのだろう。宇宙よりも遠いのに、すっごく近くていつでも行けるんじゃないか、また行きたくなってどうしようもなくなって、恋しくてたまらなくなって。旅をすることで思い出が増え、大好きな場所が増えていく。その感覚を呼び起こさせるからこそ、リアルでなかろうが女子高生の遊びじゃないんだぞと言われようが、このアニメのことが大好きだ。旅をするのは悪くない、一歩踏み出せば自分の居場所になる。そう信じているからこそ、きっとまた旅に出るのだろう。


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