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アニメ『バビロン』が提示する新しい世界の在り方についてお気持ちを表明させていただきたく

 現在放送&配信中のアニメ『バビロン』を、11月時点での最新7話まで鑑賞した。『正解するカド』『HELLO WORLD』に続き、既存の価値観を引っくり返す奇想天外な、そして賛否を呼ぶ設定を書かせたら、野崎まどはやはりすごい。そして、これをアニメ化しようと思いついた人間がこの世にいるのもすごい。倫理的・感情的にも大いに揺さぶられる作品であるため、容易にお薦めすることは出来ない。が、より多くの意見を知るためにもやはり観て欲しい。そんなジレンマに襲われている。

 今現在、続く8話の配信が12月30日までお預けとアナウンスされており、視聴者は作中の主人公同様に「考える時間」を与えられた格好であり、その仕組みも含めて「最悪」である。このモヤモヤを抱えて年末まで耐え忍ぶか、それとも原作小説を買って答えを求めるか。どちらにせよ、一度観てしまえばもう後戻りできない、己の答えを見つけるしかないという境地に立たされてしまう。その覚悟がないと、耐性が無い人は大きなショックを受けてしまうだろう。助けて。

 で、このアニメが投げかける問いについて、自分なりの考えを書いておこうと思い立った。第3章の前に読み返すためでもあるし、アニメを最後まで観終えた際に自分の考えがどのように変わっていったのかを確認するために。当然、7話までのネタバレが含まれるため、アニメ未視聴、原作未読の方の閲覧はオススメいたしません。先入観がある状態で鑑賞すると必ず見落としてしまうからです。全員が一致する答えを導き出せない問題だからこそ、答えはあなたの中にしかありません。

放送局:TOKYO MX/BS11/AT-X
独占配信:Amazon Prime Video

自殺法の是非について

 自殺を法で定められ、管理された制度として許容するか否かについて。すっごく幼い反論であると承知の上で言うと、作中の野丸龍一郎同様に「感情的」な理由で反対したい。例えば自殺法が制定されたとして、何を以て「OK」とされるかが未だ明確でない以上、いま生きている我々が他者の自殺を納得できるものとして認知できないからだ。

 家族、友人、職場の同僚や先輩後輩だっていい。親しい人間が死ねば悲しいし、職場だったら死んだ人の仕事を穴埋めしなければならない。それを社会全体が「制度だから仕方がない」という風にならない限り、残された者の悲しみは到底癒えることもなく遺族は後追い自殺を検討するだろうし、自殺した人の分まで仕事をして疲弊した人が、自殺を選ぶかもしれない。一つの意義ある自殺が、また別の自殺を生む、自殺の連鎖反応が起こる。その結果、労働人口減少、GDP損失、インフラの劣化といった経済的損失はもちろん、これまで自殺する意思が無かった人に動機を与えてしまい、国や自治体が「自殺教唆」を推し進める事態に発展する。これが健全な社会と言うのは、どうしても生理的な嫌悪が浮かんでしまう。

 ただし、これはあくまで自殺を検討したことのない幸せな人間の発想であることは否めない。生きるのが苦痛に思えるほどの大病を患ったり、明日の衣食住もままならないような状況にたまたま陥っていないだけの私は、自殺が救いであると信じる人の気持ちを、真に理解できてはいないのだ。だからこそこのような道徳の教科書めいた発想しか浮かばないし、仮に自分が死んでしまいたいと思う程の局面に陥ったとするなら、自分の幼稚さを恨むだろう。どうしても死にたい、でもその権利を放棄したのが自分だったとしたら…。今後一切、天寿を全うするまで、自殺を必要としない人生を送れる保証など、この世にあるはずがないのだ。

 結局のところ、自殺法反対を貫き通す程の意地もなく、「自殺が法として許されている」選択肢を放棄する勇気もない、それが今の私の正直な気持ちである。自殺が反対!と声高に言えるのは、自分が自殺を選ぶ必要性が今後一切なく、家族や友人といった人たちもそれを必要としないと確約された状態でない限り、無理なのだ。必要になった時ないと困る。そんな片づけられない人間の言い訳のような理屈で、「自殺法」を否定できない自分がいることに、気づかされてしまっている。

 もういっそのこと、この判断への是非を皆さまに委ねてしまいたい。同意でも否定でも構わない。死ぬのは怖いけれど、死にたいときに死ねないのも怖い、そんなワガママをどう思うのか、率直な意見を聞かせて欲しい。いや、聞かせて下さい。お願いします。「答えはあなたの中にしかありません」とか偉そうなこと言ってすみませんでした。助けて。

いろんなご意見があります。

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