"言語化の鬼"ドズルさん、"文才"pontaさんへの憧れ。pontaさん編
ツナです。ツナさんです。
いつか書くと言ってると永遠に書かないので今日書きます。
↓↓↓前編はこちら。話すこと…特に説明や進行などがめちゃうまいドズルさんに憧れるというお話。↓↓↓
今日は"文才"pontaさん編。
「文才の持ち主」と書くべきなんだろうけど、文字数取るし、天才には持ち主ってつけないし。それに…。
noteを始めるきっかけになった本には「文章を書くのに文才はいらない」って書いてあった。(『書く習慣』いしかわゆき著 より)
文章がうまい人も、たいていは「才能」のおかげではなく、「努力」の賜物なのだと。
文才の"持ち主"って書くと「天賦の才」って感じがしてなんか違うなーということでぼやかした。
pontaさんを知ったのは、ドズぼんを知ってからしばらく後。Twitterになんか面白いドズル社の社員さんがいる、ぐらいの認識。Twitterはフォローしてたけど、pontaさんの記事を積極的に見にいくことはなく…
ってこの流れ最近もやったな。ジョニキさんのときか。
次にpontaさんの認識が更新されたのは、クラクラの生放送「ぼんクラ」。クラクラには興味なかったけど、実写ぼんさんを見たくて覗いてみたら、pontaさんが出てきえ、「あ、完全裏方だと思ってたけど、画面内にも出る人だったのか」と。
まあだからといってどうということもなく、ときどき流れてくるpontaさんの面白いツイートにクスッとするだけなのは変わらず。
↑お気に入り
このあたりでの認識をまとめると、「Twitterではズバズバ言ってるけど、実は調和を重んじるドズル社の社員さん。画面内にも現れるけど演者ではないから大きい声で話すのは苦手らしい。ちらっと開いたことのある記事には"5分で書きました"みたいなことが書いてあったから文章書くの速いんだろうな」って感じかな。
pontaさんのこと全然知らないと思ってたけど、思ってたよりは知ってたな。中身のあるツイートを発信し続けるって大事なんだな…。
認識が大きく変わったのは、この記事を読んだとき。
ほんとに"文才のある人"っているんだな…。って思った気がする。
こんな分かりやすく、しかも刺さる文章を、(たぶん)さらっと書いてしまうなんて…。
そこでやっとpontaさんが「Twitterの人」から「文才のある人。憧れる」になった。
かといって「自分もこんな風に"書ける人"になりたい!書こう!」と思ったわけではなく。漠然とすごいな〜と思っただけで、実践に移そうという発想は1ミリもなく。
ならなんでいまnoteを書いてるかって?
文章を書き始めるまでには、もうひとつきっかけがあった。冒頭にも出てきた『書く習慣』(いしかわゆき著)との出会い。この記事でも少し紹介してたりする。
思ったことを書けばいいんだよ。文章力は、書いていればだんだんと鍛えられるよ。などなど、書くことへのハードルをことごとく下げてくれるこの本なんだけど。
冒頭で書いたとおり、文章がうまい人も、才能ではなく努力の結果だと知って、pontaさんへの認識も変わった。
文才と一言でいっても、もとから文章がうまい"天才"ではなく、書いて書いて鍛え上げられた"秀才"なんだろうなぁと。ご本人がどう思ってるかは知らないけど。
そろそろまとまりそうだな。
"話す言語化力"が特に高いドズルさん、"書く言語化力"pontaさんへの漠然とした憧れと、"たまたま書店で手に取った1冊の本"との出会いがあって、自分も書いてみよう、言語化能力を鍛えてみよう、と。
これまでの人生「自分は何も考えてない」と思ってたけど、書いてみると実は色々考えてることに気付いた。
文章力は…「まだ」ないだけ。うまくかけなくても、書いてるだけで楽しい。こうしてこっそり読んでくれる方もいらっしゃるし。
正直、pontaさんのことは詳しく知らないから、この記事のどこかで間違ったこと書いてるかも。
好きだし憧れるんだけど"推し"と言えるほどないし、pontaさんみたいな文章を目指してるわけではないから…。
pontaさんに興味のある人は、自分で調べてみてくださーい。
ということで。
こっそり読んでくださったあなた、ありがとうございます。早くさらっと文章書けるようになりたーい!おやすみなさい🛌
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?