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漂流回想日誌-まるで漫画みたいな出会い②-

前回までの話

僕が奥山漂流歌劇団さんと再会するには長い前置きがちゃんとあった。
思いつきで冬の北海道まで行ったわけだけどちゃんとそう思った背景があったからそこから書き出していこうと思う。少し長くなるけど、一緒に歩いていくように読んでほしい。

僕はあれから自分の街に帰った。
そして待っていたのは色々な現実だった。
此処には書けないような喪失ばかり続いていた、自分の中の考え方やライブというものへ対しての在り方、音楽に対する気持ちにも良くも悪くも変化が芽生えていた。

ツアーによる長年のテンプレ化したセットリスト。一度ウケたネタを何百回も続けることは自分の現状の停滞を意味していたと思う。毎日続くライブに新しいことをしようとすることへのアクションが取れなくなっていた。そしてまったく新曲を作っていなかったことに気づく。

ツアーミュージシャンで、この人のライブなんか面白くないしピンと来ないと感じた時は恐らくこの現象が起きている。同族嫌悪ってやつだけど技術的な向上もないから毎度同じことしかできないし流れ作業を熱っぽくやっているというのは音楽好きにはバレる。特にライブハウスで音楽を聞きにくるお客さんには致命的にわかってしまう。

ツアーミュージシャンはエピソードトークは上手くなり入り口は広くなって入りやすくする能力は格段に向上するが肝心の曲もエピソードトークの延長線にあるような音楽をしがちになってしまう。そうなったら30分ともたない退屈な苦しい大会になってしまう。
これを始めましての土地でやるのだ、タチの悪いことに音楽より振る舞いやパフォーマンスは場数をこなしてる分やってる感は出てくる。だから『スゴいライブが良い人が来た』にはなるけど、肝心の音楽は思い出せるか?と言われると微妙な感じになるので次には繋がらないしパフォーマンスが素晴らしい人だけど金払ってみる必要はないミュージシャンが出来上がっていく。

場数は自信をつけてくれる、多くのミュージシャンは沢山の環境でチャレンジすることを絶対におこなわないといけないと思う。でも長く繰り返していくとこれが慢心にもなる。年間○○○本ライブやりましたとか、日本全国まで周りましたとか、アクションを起こしたことをブランド化しがちになる。そうじゃなく音楽をする環境に身を置いて確実に音楽に昇華させないといけない、これだけ頑張ったを武器に音楽すると本当に面白くなくなる。

毒づいた前置きだけど、他人を指しているのではない。
当時の自分を振り返って冷静に見たらこういうことだってこと。
修行するために全国を回っていたのにいつの間にかこんな人間になってしまっていた。

振り返ると恥ずかしくてしかたない、先輩達の尖り方を見よう見まねで真似て結果間違った尖り方をしている代表的な一例になっている。

2019年夏に北海道までたどり着いた時にこのことにようやく気づく。
札幌LOGでライブした時はとにかくライブができるってことの嬉しさと目の前の人にちゃんと楽しんで帰ってほしいとそればかりが頭にあった。今まではそういったところが違ったから現状のことを気づいたのかもしれない。
ただ、そこからの道のりは長く険しいものだった。

それからというもの違和感の正体を探すために奔走していた。
長い長い遠回りを重ねることになるのだが、もう一度その違和感の正体を探すために僕は大阪という街に数週間ほど住み込みでほぼ毎日ライブをした。
(その当時の僕が文章を残している、その時のリアルでそのままの心境を鮮明に書き残してくれていた)


ヒントは沢山散らばっていた。
ただ何かが足りない。

佐賀のツアーミュージシャンだったとある先輩がツアー意味ないやめた、と昔屁理屈を言ってそれっきり佐賀に篭りきってしまった。その時は折れてしまったんだな、負けたんだなってずっと思っていた(そもそもその先輩は偏屈で変わり者、事の真意を見せてくれない人だったから言っている事があまり理解できていなかった)。この間ふとした時にそのツアーをやめた事について書いたブログを読んだ。そこでやっとわかった、次の新しい音楽を作るという方向に舵をきっただけなんだなって。それなら最初からそう説明してくれれば良いものを本当に屁理屈な人だと改めて思った、けど伝えようがないし決意表明なんて伝えたところでの話で、そして今まさに同じような事で考え立ち止まっていた。でもあれはクソだと投げ捨てていくことにも違和感を感じていた、折り合いをどうつけるか見つけたい。
(関西放浪記より引用)

(関西放浪記より引用)

僕は落とし所を探していた、今までの自分とこれからの自分の境目をうまく繋ぎ合わせるための何かを探していた。ただその何かを言えなかった。

これだけ隅々まで探してみたのになくて肩を落として落胆した。答えの出ない問題にいつまでも向き合っているがどうにかしてでも無理をしてでもこのモヤモヤとした感情を打破したかった。

そうして僕はもう一度北海道という日本最北の地を目指す旅をすることを決めたのだった。


奥山漂流歌劇団さん(以後、京さんと表記していく)に連絡をとって僕の最北を目指す旅はまた始まった。

今度は正真正銘一人だ、少し厚手のコートを羽織ってツアー中の相棒であるコンバースを履いて僕は九州から東京⇨東北⇨中越地方⇨船に乗り北海道を目指すルートを設定して歩みを進めた。

移動のほとんどが電車移動だった。時間はかかるけど一番安かった。
東北から新潟に向かう車内から見た空
郡山⇨会津間移動中の雪景色


北に連れて空は淡い色になっていく。自分の街を離れていく道筋でそれを感じて見とれていた。心の奥底で今度こそ帰ることはもうないんじゃないだろうか、ここで終止符を打つんじゃないかとどこかで感じていた。相変わらずお金はない、なんなんら初日の東京で早々と置引き被害に遭って売上は全部持ってかれた。僕は初日から物販を売らないと次の街にいけないツアーへとなってしまっていた。

食べる物を買えない、寒さを凌ぐために宿に泊まることもままならない日もあった。会場入り時間の長い間、駅の待合室で寒さを凌いでリハに行ったりした。
オフの日に観光する余裕も急行電車には乗らず鈍行で目的地まで行く時間稼ぎをしたり本当に一人耐え忍んでいた。

ある日はお金に困って路上ライブをした。○○の曲歌ってくださいよっとか言われてもつっぱねていたのに投げ銭欲しさにプライド投げ打って全力で他人の曲をやってお金をいただいていた。必要ないプライドが沢山浮き彫りになる。
痩せほそった自分を見兼ねて地元のミュージシャンにご飯をご馳走になったり、泊めてもらったりした。感謝が尽きない反面、申し訳なさと情けなさが込み上げてくる。


本当に空腹で深夜のコンビニでおにぎり一つくらい、、、と魔が差す瞬間があった(ぎりぎり保っていた倫理観のおかげで万引きはせずに済んだ)。人って追い詰められるとみたこともなかった自分に出会うのだと思った。生きるために他者から奪ったり、物乞いしたり、同情してもらったり。それでも必死だった。ただそんな日々が続いて出会う自分は本当に最低最悪醜悪極まりなかった。

ただ、出会う人の優しさで一日もトチることなく新潟までのライブを終え僕は北海道いきのフェリーに乗ることができた。

その船の客室にはカプセルホテルほどの寝床があった。このツアー始まって初めての暖かく柔らかい寝床だった。ベットに腰掛けた時溜まり込んでいたものが溢れるように静かに涙が溢れてきた。

僕はその船の中で北海道のライブを終えたら『音楽をやめよう』と答えづけた。


16時間ほど乗船した船は深夜に小樽についた。
降り立った瞬間今までのどの街の寒さと比にならないくらいの温度差を感じた。
足先から凍る感覚、降り積もった雪、それなのにやけに静寂があって僕が夏に来た北海道と全く違う世界がそこにあった。この街は遠く離れた九州からやってきた僕にとっては異国だった。

札幌までの電車に乗るためにはまだかなり時間があった。シャトルバスがあったかもわからなかったが僕は一番最寄りの駅でもある小樽築港駅まで歩いて進んだ。

地図上では徒歩だと20〜30分で着くと書いてあった。だけど、雪も降り積もっていてキャリーケースとギターを背負って土地勘もない状態で歩くのはそう地図通りに進める訳ではなかった。静寂が続く真っ暗な空と地面は誰の足跡もない真っ白の雪道を歩く。新潟でコンバース履いて行くのはやめた方がいいとあれほど忠告された理由がやっとわかった。もう足の指先の感覚はなかった。少し進んでは止まって、進んでは止まってを繰り返すうちに駅にたどり着いた。

小樽築港駅、始発到着前の外景色

そこからの記憶は朧げだ、覚えているのはもうなにも考えることもできず車窓から見える映画とかでよくみてた北のどんよりした海を眺めながら札幌まで向かった。やっとの思いで目的地最寄りの駅についた頃には外が明るくなっていた。
そうして数時間の道のりをかけて僕は夏ぶりに京さんの済んでいる一戸建ての自宅に辿り着いた。着いたら勝手にドアを開けて中に入っていいよと言われていたので軽くノックをしてはいる。リビングにはいると誰もいなかった。ただ自動で点火して部屋を暖めていた灯油ストーブがもうもうと灯っていた。雪解けの朝日が柔らかくその場に座り込んでしまったら立ち上がれなくなった。ストーブの前に体育座りをして全身を温めた、一気に血液が巡っていくような感覚になった。人間に戻っていく、ここまで辿り着くことのみをプログラミングしてもらった今までは意志を持たないロボットだった自分が灯油ストーブの暖かさに触れて溶けていく感覚の中人間に戻っていく。やっと着いたのだ。九州から大陸と海を跨いでまたこの家に帰ってきたのだ。

『いらっしゃい』

奥の部屋から聞き覚えのある声が聞こえた。
布団に顔をうつ伏せに眠たそうに自分の顔をを埋めている京さんがいた。

「ただいま帰ってきました」

血液が循環して手も顔も赤らめた自分から久々の自然な笑みをこぼした。

奥山家の灯油ストーブ、朝になると勝手に動きはじめるので最初はびっくりした。



この物語の続きは次回のお話で
次回で最終回、辿り着いた先に待ち受けていたものと約束の話を。



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