2021.08.21

大人になると日々はあっという間だ。
子供の頃はあんなに楽しみでキラキラとしていて、じわっと滲む暑さと喉を通り過ぎるサイダーに夏を感じていたのに、今日歩いてる時にふと気付いたことがあった。蝉の鳴き声を今年聞いたっけ。


ずっと毎日それはできる限り、今までnoteに書き記す暇もないほど、途中経過の意気込みも吐き出せないほど耳には音楽ばかり付き纏っていた。自分が作った曲、人に作った曲、誰かの曲、流行りの曲、時代を超えても変わらない曲、歌のない曲、耳を塞いでる瞬間のみ生きた心地がしていたのに。聴けば聴くほどわからなくなった。

丸写しした答えみたいな
方程式のないまま
記された答えばかり

結末と結論ばかり。

そうではならないとお金に変えることができないのかもしれないっと頭に何度もよぎるもそうはなれなかった。でもお金に変えないとこの先は生きていけない。覆す為の勝機を伺っているつもりで一人部屋の中に籠った。珍しく、もっとしんどいを続けてみようと思ってみた、思えたのは目を閉じた時浮かんでくる仲間や友やお客さんや助けてくれた人達ばかり。しんどい日記と弱音は一旦置いといて、誰よりも悩み抜きたかった。

俺はやっぱり小さな魔法みたいなものを信じていた。

信頼しているものに裏切られたと思ったり、信じたかったものの期待に応えられなかった時、そのたびに自分が悪い気がした。全部過度に咥え込んでいただけで、気のせいの連続で。そしてこういうことなんて書きたくもなかった、無様な姿を笑えよ。

自分に期待はしてないわけない、今も自分を信じてる。でもこのままだともう期待も信頼もできないと思った時生まれて初めて音楽をやりたくなくなった。もういらないとイヤホンを外し、音楽を聴かなくなった。音楽がなる街を通るのが嫌で真夜中歩くようになった。TVで芸人がゲラゲラ笑いながら音楽を鳴らし歌っていることが耐えきれなくなった。snsで垂れ流される弾き語りに蝕まれる気持ちになってsnsをとじた。

深夜0:00を周るとやっと呼吸が楽になってくる、夜は静かで助けてもらった。誰の指図も受けずに、上手いとか下手とかその時だけは関係なく、聴きたいやつだけが立ち止まる配信ライブだけが今の自分にとっての最良の音楽を演る手段になってしまった。嫌でもない、むしろ一人だけ、誰のことも気にせず画面の向こうで誰がみてるかもわからぬまま、コメントもまばらな配信ライブに救われていた。それと同時にライブハウスで生身の人間に向かって音楽をするのが怖くてしかたなかった。わかってもらえまい、わかりはしないからわざわざ言葉にしていないのに。心のどこか今の自分が情けなくてしかたなかった。

夜歩いていて気づいた、蝉の鳴き声も聞こえてなかったくらい毎日耳を塞いでいたんだ。



演奏するまでの時間はあの流行病に敏感に生きなければならない、でも30分でそこに触れないといけないのか、ずったもやもやだった。

一人で映画館に行くのが好きだった、その座席に座り映画を見ている時だけはミュージシャンでも、大人でも、社会人でも、なにものでもない観客でいさせてくれることが心地良かった。だから映画はひとりでいつも観たかった、できたら映画館で。

ライブハウスだって同じなのに、外からわざわざ煩わしいものを持ち込んで話のネタにしていくのがうんざりだった。

そう考えると、いまの自分には伝えたいことがないんだと知った。伝えたいことなんかより、音楽がどう触れ合って紡いでその場に馴染むのか。それはもう友人同士だけの場所ではある意味無理なのだ。聴くのはまだしも演るのは無理だった、無理なのにできなかったことが悪いことに思えた。

誰の顔色も伺わず己の道を歩いている人がかっこよくて、悔しくて居た堪れなくて今年は大好きなアーティストばかりでるフジロックを完全に見なかった。見れなかった、壊れてしまいそうでなにか。

関西に一人旅をしてきた時あんなに楽しく名前が変わってはじめて自由に歌えたのにこの街に帰ってきた途端膝から崩れ落ちそうだった。もう違うんだ前の自分と。

もう覚悟が決まったふりもやめる、揺らぐとわかっててわざわざ信念を公約のように掲げない。ただ俺が黙ってやってる姿は未来のために模索しているだけなんだ、わかってもらわなくていいから次にすすむために通り過ぎることを許してほしい。


眠すぎる、眠たすぎる。しばらく休みたいのに予定だけが詰まっている。静かにひとりで生きたいだけが最近の忍耐の支えだった。


まとまりないけどおわり。

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