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東京駅とアーティゾン美術館と自画像の話などを

天気の良いとある日、私は東京駅にいた。東京駅にはいつだってたくさんの人がいる。ここからどこかへ行く人、ここへ帰ってくる人。東京駅にいると、まるでちょっと空港にいるかのような非日常感がある。私以外の全員がものすごいスピードで動いていくような、自分だけがここに取り残されているような不思議な感覚に囚われながら仕事へ向かった。

仕事を終えて、あまりにも天気の良い日だったのでそのまま帰宅するのがもったいない気がしてきて、美術館に行くことにする。こうしてふらりとそのときの気分で美術館に行くのが好きだ。なので、友人と行くことも多いけれどわりと一人で美術館に行くことも多い。仕事終わりに、休日の天気の良い日に、その日の気分で観たい展示に行く。

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以前、金曜日の仕事終わりに美術館に向かっていたら、その日に行くとも何も言っていなかったのに、美術館の前で偶然友人に会ったことがある。

友人が白のノースリーブのブラウスに黒の形の綺麗なスカートを履いていて、白のブラウスがすごく眩しく見えた夏の日の夕方だった。

ちょうど彼女も一人で展示を見に来ていて、帰るところだった。私はその日、綺麗な紫陽花を持っていて、偶然彼女に会えたことが嬉しくって紫陽花を渡した。

彼女は趣味の合う友人で、よく一緒に美術館に行っていた。やっぱり趣味が合うと、行くところも行動範囲も同じだねえ、と笑ってしまった。

後にも先にも、美術館で偶然知り合いに会ったのはあれが最初で最後である。


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そうだ、と思い付きでアーティゾン美術館のチケットを買う。日本橋にあるアーティゾン美術館は、東京駅からでも歩いて行くことができる。

アーティゾン美術館は、2020年にリニューアルした旧ブリヂストン美術館である。ちょうどコロナ禍での生活が始まった時期で、オープンしたての美術館に行きたいけどどうしようか、と友人と迷っていた。外出自粛が求められていた頃の話だ。結局、オープンしてすぐには行けず、少し生活が落ち着いてから初めて訪れた。

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緊急事態宣言が出た頃は、この先自分たちの生活がどうなるのか何も分からなかった。その頃、私は仕事もプライベートも変化が大きく、それに加えてコロナ禍での生活が始まってしまったので、今思うとかなり精神的に負荷がかかっていたと思う。

コロナ禍での生活の中、友人が長い手紙をくれたことを今でも覚えている。転勤族の友人は、海の向こうに住んでいたこともあり、社会人になってからはあまり頻繁には会うことができなかった。お互い美術館や美術館で買うポストカードが好きなこともあり、ポストカードやお菓子を送り合うことがしばしばあった。

いつもはポストカードを送り合っていたのだけれど、珍しく便箋にびっしりとたくさん近況を書いてきてくれたことが嬉しくて、何度も読み返した。コロナの影響であまり友人と出かけることができなくなり、大好きな美術館や映画館も行けず、気分転換ができなくなっていたので、とても癒された。

LINEでのやりとりが当たり前になってしまっている最近の生活だけれど、ポストを開けると友人からのポストカードや手紙が入っている喜びは何にも代えがたいものだなぁ、とふとあの手紙のことを思い出す今日この頃である。
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アーティゾン美術館は、オフィス街に突如として現れるガラス張りの美術館である。入口を入ると、吹き抜けの空間が広がっており、とても開放感がある。

建物内のソファーやベンチも素敵だなぁといつもうっとりしてしまう。インテリアデザイナーの倉俣史朗さんによる家具なんだそう。ぜひ館内の細部まで目を凝らしてほしい。

今回の「アートを楽しむ」という展示で特に印象に残っているのは「肖像画」についてのセクションである。

正直なところ、美術館で肖像画を見ることはよくあったのだけれど、楽しみ方がよく分からなかった。「へえ、こんな人だったんだ」という感想で大体は終わってしまった。特に自画像については、いわゆる自撮りが苦手で写真を撮られること自体もあまり好きではなかった私にとっては、自分を描こうとする心理が理解できなかったのである。

けれど、先月から東京都美術館で開催されている「エゴン・シーレ展」で、初めてエゴン・シーレの《ほおずきの実のある自画像》を見て、衝撃を受けた。シーレはわずか28歳でこの世を去ってしまったのだけれど、その短い生涯でなんと200点以上もの自画像を描いたという。その中でも代表的な自画像が今回出展されている《ほおずきの実のある自画像》なのである。

エゴン・シーレの自画像は今まで見たどんな自画像とも似て非なるものだった。自画像といえば、大抵の作品は胸より上の部分を描いていて、ちょっと左か右を向いている微笑んでいるとも何ともいえない表情をしたものが多い、気がする。

《ほおずきの実のある自画像》のエゴン・シーレは、頭の上部は絵の中に納まりきっておらず、頭部は傾いており、挑発的なような、何とも言えない視線を観る人に投げかけている。そして、背後にはほおずきの蔓が描かれている。外見を描くだけでなく、ピリピリと張りつめたようなエゴン・シーレの精神状態が伝わってくる作品だった。

さて、アーティゾン美術館で見つけた印象に残った自画像は、マネとセザンヌのものだった。

エドゥアール・マネは肖像画の名手として知られているが、油彩による自画像は生涯で46歳~47歳の頃の2点のみ。自画像を全く描かなかったマネがなぜこの時期に自画像を描いたのか?それは、サロンに連続して入選して評価が高まっていたからかもしれないし、左足に悩みを抱え初めており、5年後の自らの死を予期していたからかもしれない。

もう1つはセザンヌの《帽子をかぶった自画像》。セザンヌは生涯で30点以上もの自画像を残している。マネとは対照的である。マネは肖像画の名手として知られているが、セザンヌは一方でモデルを使用することを不得手としていた。セザンヌはこちらを振り返っているかのような姿勢で厳しい視線をこちらへ投げかけている。自分自身への、絵への厳しい姿勢が見て取れる。

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ずっと写真を撮られることが苦手だった。それは自分の外見へのコンプレックスみたいなものからくるものだったのかもしれないし、SNS上で見飽きるほどに普段から自撮りや写真を見ている世代だからかもしれない。

もしあの頃の私が自画像を描いていたら、どんな絵を描いていただろうか、と想像する。多分、だいぶ暗い表情の絵になりそうだ。何というか、当時はだいぶ人生に対しても投げやりに生きていた気がする。

そんなこんなであんまり写真を撮らなかった私だけれど、ようやくここ数年、写真を撮りたい、幸せなこの瞬間を残したいという気持ちが出てきた気がする。夫とも、友人とも写真を撮ろう、と言うことが増えた。

昨年末に同級生の子たちとご飯を食べていたときに、カメラを持っていた友人が写真をたくさん撮ってくれていた。

後からみたら笑いすぎてブレブレの写真がたくさん写っていて、そこに写る私は本当に幸せそうで、また笑ってしまった。

その写真が私にとってはとても嬉しくて、今でも何回も見返してしまう。「最近、写真を見返すことが好きでさ」と言いながらたくさんシャッターを切ってくれた友人。

ああ、そうだ、と気付く。カメラのことなんて忘れてしまうくらいたくさん笑うことができた私は、もう自分の外見も、SNSも、何も気にしなくていいくらい十分に幸せだということに。






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