神意識で生きる

神として崇められている

マリア様

キリスト

ブッタ

 

彼らは

私達には考えられないくらいの

出来事を経験し

苦悩し

歓喜して

生きたんだろう

 


だから

彼等の紡ぐ言葉は

 
私たちの拠り所になる

心に沁みこんでくる

 

 

でも

彼らは

架空の象徴ではない

そう 

実在の人物たちだ

  


その彼等が

生きながら

沢山

沢山

沢山

経験し

喜怒哀楽を味わうことで

 

心が豊かになり

互いを慈しむ心が芽生え


その

味わった経験から 

伝えたいことを伝えていた

 

だからこそ

その言葉には

重みがあったり

共感があったり

生きる道しるべのように感じるものがあったり



 

人々は

その生きざまから溢れる言葉に

魅了され

癒され

安堵するのではないか


 

だとすると

 

同じように

この「今」を生きている私たち自身の

苦悩や

楽しみや

沢山の経験も

 

そこから溢れる

言葉も

 

等しく

 

別の人の

心に

明かりを灯すのではないか


 


私達そのものが

私達の経験から

紡ぎだされる言葉たちが

想いが


他の人たちの心に届く

 



私たちの経験が

他の誰かを救うだろう

 

たった一人だとしても

  



私たちの経験が

後世の心の拠り所になるだろう

 

ずっと後の子孫だとしても

 

だからどんなに苦悩しても

そこがすべてではないし

終わりでもない

そこから始まる何かがあるんだ

 

 

そんな視点で

生きてみてはどうだろうか



私たちは

きっと

そんな存在だ


そしてそれが

神ながら意識

  

 

 




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