見出し画像

こんな時代だから『哲学』に足を突っ込んでみた。Part1・古代編【プラトニックラブという言葉の語源は”プラトン”だよ】

個人的には周りに”哲学”を学んだという人が少ない。少ないというよりも、いない。一般的な生活の中で、思想などを探究したい として、大学で専攻された方もいるだろうし、答えはない”学問”であろう。”学問”のはずなのに、日本では義務教育では学ばないところが面白い。なんせ、明治になってから入ってきたから、そもそも馴染まないのであろう。気質的に。

「哲学」経験ゼロの私が、哲学を知った上で現代社会の生き方に通じるものがないかを考察していく内容になっているので、予めご理解いただきたい。

Philosophy=Philein+Sophia「知を愛する」「愛知の学」であるが、『哲学』という言葉は幕末の西周(にしあまね)があてた訳語だ。

”答えのない問題”が世に多くある。

私たちは『世界・社会・幸福・死』 に対して、”時代の常識”として考えて生きているはずだ。

その”時代の常識”は正しいのか? 

と、答えのない問題に対して、「時代の常識を疑う事」が哲学と言えるのではないだろうか。

『それってあってる?』という事だ。


心理カウンセラーとして、クライエントの悩みが『何この世界』『なんで死ななきゃならないの』『今、これ(この状況)何』というような状態であれば、進歩していると信じている科学や宗教や政治で答えが出ていないから、人は常に悩むとも受け取れる。

人類は、不況・よくない時に哲学を考える生き物のようだ。

これが古代から現代まで続いているというのだ。

それなのに、我々はあまりにも知らない。科学や宗教や政治の大元であり、未だに答えの出ていない学問だからスケールがでかい。

人類が何を知ろうとしてきたのか を『古代・中世・近代・現代』の視点で綴りたい。

■古代編・・・哲学の始まりは古代ギリシャ

ソクラテス 

名前を聞いたことがある人もいるだろう。『出世やお金儲けだけが知識人の仕事ですか?』と言った人。古代ギリシャ人は、ギリシャ神話で今この世界ができたと信じていたが、近隣国と関係ができるうちに、よその国にはよその国の世界観があることを知り、『一体俺たちは何を知っているのか』と疑問を持つ。

問答法というのがあるが、知っているだろうか。

勇気の話と欺く話が有名だ。それ(勇気や欺き)を正しいと思い込んでいたとする。

でも、それを深く問うてみるとそれは単純に善悪では区別できないこともある。見方によって、その善悪は変わるからだ。そのことをソクラテスは

まだ何も知らないという事を『知る』事から始めよう

【無知の知】と言った。


②プラトン(ソクラテスの弟子)

ソクラテスの弁明を残した人。アカデメイア(思想を教える)を創立。【イデア】を聞いたことがあるだろうか。われわれの肉眼に見える形ではなく、言ってみれば「心の目」「魂の目」によって洞察される純粋な形、つまり「ものごとの真の姿」「ものごとの原型」に言及する、”概念”という意味だ。この”概念”を突き詰めれば、全員の考えが統一されるのではないかと考えた。

みんなこの『イデア(概念)』を持っている。その『イデア』で善や美とは何かを考えたいというのがプラトンの思想だ。

ちなみにプラトニックラブの語源はプラトンからきている。概念としての愛と捉えられているが、実際は、美に対してイデアを見られない人間は、美人やイケメンをみる事で癒されるらしい。

③アリストテレス(アカデメイアの天才)

万学の祖。アレクサンドロス大王の家庭教師だった。Wikiを引用する限りでは、

形而上学、倫理学、論理学といった哲学、政治学、宇宙論、天体学、自然学(物理学)、気象学、博物誌学的なものから分析的なもの、その他、生物学、詩学、演劇学、心理学なども含まれている。

アリストテレスのいう「哲学」とは知的欲求を満たす知的行為そのものと、その行為の結果全体であり、現在の学問のほとんどが彼の「哲学」の範疇に含まれている。

科学的視点で『中庸』をいく事で、やりすぎるとよくないという考えを持っていたようだ。例えば、強すぎると”乱暴”になり、弱すぎると”軟弱”になる みたいな感じだ。優しすぎると”お節介”になり、なさすぎると”嫌なやつ”になる。バランスや調和など、自然の中にあるものを見ようというのがアリストテレスの思想だ。

あまりにも、正しすぎて、『アリストテレスが言っている事は全部正解だ』ということが何百年も続いたらしいから驚きだ。確かに現代においても、中庸はケースによって使われている。

まとめると、こんな感じだ。

ソクラテス『俺たちはこの世界を知りたいんだ』
プラトン『善とか美についても考えたい』
アリストテレス『科学とか物質についても考えたい』

これが、ギリシャ神話だけはない哲学が次の中世を迎える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?