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アルゼンチンの「島唄」 (極東ラジオ アーカイヴ)

2002年4月20日放送
DJ=宮沢和史 ゲスト=本田健治(ラティーナ編集長)
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宮沢和史と本田さんとの出会いは、1994年、THE BOOM『極東サンバ』リリースの頃にさかのぼります。「その頃、はじめてブラジルのリオデジャネイロに行き、THE BOOMの音楽にブラジルの楽器を取り入れようと買い込んできたんです。それでとにかくブラジル音楽に詳しい人に出会いたい、という時期に本田さんと出会ったんです」(宮沢)
1995年に宮沢はバイーア州サルヴァドールで行なわれた音楽祭「フェスティン・バイーア」を観に行きます。「2泊4日でバイーアまで来る人がいるもんだなと思ったね(笑)」(本田)という短い滞在。でもそこで宮沢は「いろんな街で歌いたい」という夢を本田さんと語ります。鋼のコンビの結成です。

翌年の1996年、THE BOOMのブラジルツアーが本田さんのコーディネイトで実現しました。「外国の音楽を日本に紹介する仕事ばかりやってきたんだけど、待てよ、と。日本のいい音楽を向こうに紹介するのは大事な仕事だな、というのが宮沢君に出会った瞬間から思ってね」(本田)

宮沢 (1996年のブラジルツアーは)大成功ではなかったけれど、門を開けたという感じがありましたね。
本田 あの門はブラジルの門というよりは、世界の門だったよね。これは今後もやっていきたいなと僕らも思ったしね。

THE BOOMが次にトライした海外は、1997年のヨーロッパ。チュービンゲン(ドイツ)とモントルー(スイス)で行なわれたこのツアーについては極東ラジオDJ、ポール・フィッシャーによるこちらのレポートをご覧ください。そして、ヨーロッパの次に本田さんが関わったプロジェクトが、同年にブラジルで行なわれた宮沢和史ソロアルバム『AFROSICK』のレコーディング。その後のブラジルツアー、そして2001年の『MIYAZAWA』ブラジル・レコーディングも本田さんのコーディネイトによるものです。

「ゲバラとエビータのためのタンゴ」も2001年5月、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスでのレコーディングでした。

本田 「ゲバラとエビータのためのタンゴ」を作曲したオスバルド・レケーナは、タンゴのファンからしたらびっくりするような人で、国立タンゴオーケストラの指揮者、アルゼンチンのアレンジの世界では最高といわれてる人なんです。それとバンドネオンのフェデリコ、彼はこちらから頼んだわけではないんですが、「宮沢というすごいのが来るんだ」とレケーナに言ったら、「じゃあタンゴのすごいメンツを集めるぞ」と。僕もフェデリコが来るとは思わなかったね(笑)。一曲さっと弾いてさっと帰っちゃったね。
宮沢 かっこよかったですね! 粋な人でしたよね。

そして、2002年、アルゼンチンのマルチ・アーティスト、アルフレッド・カセーロがカヴァーした「SHIMAUTA」(島唄)がアルゼンチンで大ヒット中です。本田さんは3月にブエノスアイレスを訪れ、その状況を取材、アルフレッド・カセーロにインタビューもしてきたのです。

本田 だいたいこの手の話は、現地に行ってみると大したことがなくて、でも日本は期待してるから(話を)作っちゃおうかみたいなことが多いんだけど(笑)、本当にすごかったね。ブエノスアイレスで道を歩いていて、子どもに「SHIMAUTA」知ってるかと訊くと、だいたい知ってましたね。レコード店に入って僕が「SHIMAUTA」と言うだけで、かけてくれる。そのぐらいすごい。宮沢君と世界中に行ったけど、こういう状況の国に出会ったのははじめてじゃないかな。

宮沢 本田さんといろんなところをまわってきましたし、大成功だったとは言えないけど我々でひとつひとつやってきて、でも全然関係ないところでふっと火が着いたというのはうれしいですね。

本田 うれしいねえ。あれだけアルゼンチン国民の気持ちをつかんで。ヨーロッパもブラジルも、僕はTHE BOOMと一緒に行ったけど、コンサートでお客さんみんなが見上げるように聴いてたのは「島唄」でしたよね。


宮沢 サンパウロ(ブラジル)では日系の人たちが会場の半分ぐらいを占めてたから「島唄」はもちろん喜んでくれたけど、日系人が来てくれないリオでも「島唄」はグッと聴いてくれるんですよね。
本田 モントルー(スイス)もそうだったじゃないですか。ドイツもそうだったしね。相当力があるんだなあ。それに、アルフレッド・カセーロという男がよくこの曲に気が付いたてくれたなと。
宮沢 ブエノスアイレスの寿司屋で偶然この曲を聴いたんでしょ?
本田 アルフレッド・カセーロという人は、世の中を変えるんだと、世の中を変える仕事だったら何でもやる、と言ってるんです。テレビの番組を作ったり。それもすごいんだよ、最初はテレビに出してもらえなかったから、どうやって自分で電波を流していこうかって(笑)。そういうことから考えるやり手で。ウケるにはコミックがいいだろうと、最初コミックな格好をしてみて、それでアルゼンチンのスターになっていった人なんです。
宮沢 今度、会いに行きたいなあと思ってて。
本田 「宮沢が会いたがってるよ」と伝えたら、もう感激して。「アルゼンチンの南の氷河を一緒に見に行こう」って言ってた。自分たちにもこの歌と共通の想いがある、その理由はあとから話すから、とにかく一緒に氷河を見に行こうと。
宮沢 行ってきますよ! 会ったらいろいろ話すことがあるんです。どうして僕が「島唄」を作ったか、歌の背景も話したいし。歌も一緒に歌いたいけど、とにかくまず会いたいな。
本田 アルゼンチンって今、経済的にひどいじゃないですか。アルフレッド・カセーロは「アルゼンチンはひどい状況だけど、大丈夫。俺が変える」って言うんですよ。俺がテレビで子ども番組を作って、子どもたちから変えてアルゼンチンを良くする、と。
宮沢 すごいねー、会いたいね。
本田 そういう男が「島唄」を歌ってるんで、満足して帰ってきました(笑)。
宮沢 我々が蒔いた種がアルゼンチンで芽を出したという気がして、これでまた新たにスタートですね。
本田 やっとスタート台についたって感じかな。いつもそう言ってるけどね(笑)。
宮沢 (笑)まさしく、そうですね。THE BOOMは日本国内ではホールがないようなところでもライヴをやったり、そういうことにもやりがいを見いだしてるんですよ。過去の歌も大事にしたい。で、そういうことをやりながら「外」での夢も……。前は分けて考えてたんだけど、一緒に同時にやろうと思ってて。これからいろいろ挑戦したいですね。
本田 忙しくしたいですね。
宮沢 ヨーロッパもまた挑戦したいし、ブラジルもでかい国ですけど、『MIYAZAWA』も4月にブラジルで発売になりますし。
本田 (アルゼンチンとブラジルといっても)まだ南米の一部分ですから、まだまだやることはたくさんありますからね。
宮沢 サンパウロのリベルダージに本田さん馴染みの沖縄居酒屋があるんですが、レコーディングやツアーが終わったあとって、そこで「おつかれ」と言いながら、次の野望をふたりで語り合ってるんですよね(笑)。これからも種は蒔き続けていたいですね。前回の僕のブラジルソロツアーは、マルコス・スザーノがブラジルでバンドを集めてくれたんですが、次回はブラジルにしろ、ヨーロッパにしろ、今、僕のソロバンドがすごくいいんで、連れていきたいんですよ。日本のミュージシャンの素晴らしさも伝えたいし、次はそれかな。


2002年5月18日放送
DJ=宮沢和史
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■ 行って来ました!

本当はバンドで行きたかったんだけど、ひとりで行ってきました。アルフレッド・カセーロさんは、役者でありコメディアンであり放送作家でもあり、何でもやりますね。日本でいうと北野武さんみたいな人。ずーっとしゃべってるんですね。しゃべってないときは携帯電話でしゃべってます(笑)。ノリとしてはお会いしたことはないんですが明石家さんまさんに似てるかもしれません。活動は北野武さんのように多岐に渡ってます。38歳なのかな、はっきり知らないんですけど。とにかく彼に会いたくて。どんな人が「島唄」をとりあげてくれたのか、どうして「島唄」を歌いたくなったのか聞きたくてアルゼンチンまで会いに行きました。

遠いですね、アルゼンチンは。去年、僕は2回行ったんですが、直行便がないというのが遠い理由のひとつ。まずブラジルに行くわけです。ブラジルに行くためにはアメリカに入国しなくてはならない。給油しなくちゃならないですからね。給油をしてサンパウロに行って、そこで少し待ってブエノスアイレスに行くわけです。結局ブエノスアイレスに着いたのは成田を出てから27時間後でした。
でも、ただ会いに行くといいつつも、僕の貧乏性な性格といいますか仕事好きといいますか(笑)、アルゼンチンで歌うチャンスがほしいなと思ってたんです。アルフレッド・カセーロと一緒に歌いたかったし、そのへんを一緒に行った「ラティーナ」編集長の本田さんもよくわかってるから、「とにかく宮沢は仕事なしでは来ないから、ガンガン仕事入れろ」とアルゼンチン側に事前に言ってまして、あれ、入れ過ぎですね(笑)。着いたその日に「じゃあ取材ありますから」って(笑)。

俺は眼鏡を飛行機の中に忘れてきちゃって、「眼鏡ないまま一週間はきついなー」と思って、ブエノスアイレスに着いてすぐ眼鏡屋に行ったんです。視界をまず開いて、それで乗り込みました。最初、とにかくアルフレッド・カセーロさんに会おうと。向こうのSONYの人たちがホテルのロビーの円卓に座ってて、僕はシャワーを浴びてたんでちょっと遅れて行ったんですが、僕が行ったら彼がすくーっと立って、俺を部屋の角に連れていくんですよ。「ん、なんだ?」と思ってたら、まず感謝の気持ちを誰もいないところできちんと伝えたかったと。それで延々10分ぐらい彼の気持ちを聞かせてくれて。彼の印象は、イメージ通りの人でした。どういう人柄で、どうして「島唄」をとりあげたのかというのが、僕のイメージとイコールになっていて、あとでも話しますが、何よりも僕が嬉しかったのが彼のような素晴らしい人間が「島唄」と巡り会ってくれたという、そのことがいちばん嬉しいですね。

愛知県のようこさんからのメールです。
先日「ズームインスーパー」の日本庭園のライブ映像を見ました。観客の人達がカセーロさんと宮沢さんの「島唄」に合わせて唄いながら熱狂している姿を見ていると、鳥肌が立ってきて涙が溢れてきました。まさに「風になり海を渡った」事実を実感した瞬間です。私自身もBOOMが好きになったのは「島唄」がきっかけだったので、いい音楽に人種も国境も時間さえも関係が無いのだという事を、思い知らされた感じです。もちろん宮沢さん自身が一番その事を感じた事でしょう。
カセーロさんがガルデル音楽賞を受賞したシーンも放映されて、カセーロさんがあの巨体を揺らして子供のようにスキップしながらステージに上がり、「この賞は作者である宮沢和史の物です」と言ったとき、彼はなんて魅力的で素敵なな人なんだろうと思いました。カセーロさんはアルゼンチンでは大変人気のある人物だと聞いてますが、その人柄が判る気がします。
そして質問というのは、宮沢さんがカセーロさんと会ってみて印象はどうでしたか? 一緒に唄ってみて彼はどんな人でしたか? 画面を見る限りではとても人懐っこくて、アルゼンチン版「SHIMAUTA」のビデオクリップに映っているよりは優しそうな気がしました。

いや、ホントにそうです。カセーロの写真を見ると「怖い」感じがあるじゃないですか。あれは写真を撮るときのキメの感じで、普段はニコニコしてて、でもコメディアンですから、人を笑わせるときは真顔なんですね(笑)。これは全世界共通だと思うんですが、自分は決して笑わずにギャグを言う。で、ウインクをピッとしたりして。

■ アルフレッド・カセーロの魅力

「ガルデル音楽賞」というのはアルゼンチンにおけるグラミー賞みたいなもので、彼は4部門とったんですね。新人賞は、彼は「自分は新人ではない」と辞退なされたそうで、3部門とったのかな。ビデオとプロデュースと、最優秀楽曲賞。彼は「最優秀楽曲賞」というのは宮沢のものだと、自宅に呼んでくれたときに、そのトロフィーをくれたんです。あとで聞くところによると、ホントは僕がブエノスアイレスを去るときに空港で渡すつもりだったんだけど、つい早めに渡したくなっちゃったらしくて(笑)。あと、エビータ! 彼もエビータのことが大好きで生写真をたくさん持ってまして(笑)、「ここから好きなものを持ってけ」と言われたので一枚もらってきました。

アルフレッド・カセーロは超大物で、彼が言えばパッと決めて1週間後にはライヴができる力があるわけです。力というか人脈ね。番組もどんどんブッキングできるし、一週間の間にインタビューをたくさん入れてくれて宮沢をアルゼンチンの人たちに伝えようと力を貸してくれたんです。でも本当は、彼は僕とふたりでどこかに行きたかったそうなんです。パタゴニアに行く途中に別荘があって、車でパタゴニアを見せてあげたいと思ってたそうです。僕が釣り好きなのも知ってますし、ふたりでキャンプでもしながら一週間のんびり過ごしたいと思ってたらしくて、とにかく仕事早く終わらせて、船に乗ろうとか、食事に行こうとか、気を遣ってくれて。僕がいる間、彼は自分の活動ができなかったんじゃないかな。ずーっと俺につきっきりでしたし、インタビューは必ず一緒に受けましたし、テレビの大規模な、一時間の「島唄」特番(「MUCH MUSIC」)にも一緒に出ましたし、その日は朝からリハーサルもあったし。

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でも一日だけ午後が空いた日があって、彼がラプラタ川に連れていってくれました。別荘をもってたり船をもってたりとすごいお金持ちを想像するかもしれないけど、「俺は船をもってるぜ」という感じじゃなくて、本当にアウトドアが好きな人で、あの巨体から想像できないと思うけどすごいスポーツマンだし、バイクも好きだし、俺と気が合うんです。彼はチェ・ゲバラが南米をツーリングしたときと同じ型のバイクをもってるんです。ヨットも大好きで、ヨットってすごい技術が必要なんです。優雅に見えるけど乗ってみると風を見て、深度を見て、ロープを操って、すごいんです。家も豪邸を想像してたんですけど、質素な、日本でいえば団地ですよ。広いですけど。自分の身の丈を知ってる、人格者だなと思いましたね。彼と一緒にいると街の人がみんな声をかけてくるんです。それに全部笑顔で答えて、話し込んじゃって。僕が思うに、彼は自分のために生きてないっていうか、極端に言ちゃうとね。人と一緒に生きる、人のために生きる。一人ひとりが幸せになれば、アルゼンチン全体がハッピーになるはずだ、ということだと僕はそう感じたんですね。それは彼の能力であり、コメディアンとしての才能でしょうけど、一人ひとりに接して、一人ひとりを笑わせて、楽しくして、明るくして、ブエノスアイレスを、アルゼンチンを、世界を良くしようというのがくみ取れて、一週間で彼のすごさを知りましたね。逆に自分自身の小ささも感じたし、彼のようには生きられないけど、自分の生き方も修正しなくちゃと思いました。久しぶりにいい人間と出会いました。

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■ ブエノスアイレスの5000人と「島唄」を歌う

出会いといえば、(2002年2月の来日時に)この番組にも来てくれましたクラウディア大城さんにも会いました。一緒に歌も歌いました。彼の相棒、フリオ新垣さんという若い方がいて、「SHIMAUTA」でも三線を弾いているんですが、唄がすごく上手いんです。

アルゼンチンでは実際にみんな「島唄」を歌えるんですよ。前、テレビで特集をしてくれたじゃないですか。アルゼンチンで「島唄」がヒットしてるって。それでみんなが歌えるのを見ても、「でもテレビだからなー」と思うじゃないですか(笑)。だけど実際に行ってみると本当にみんな歌えるんですよ。ある女の子なんか2歳ぐらいなんですが、まだスペイン語もしゃべれないのに、サビの部分を歌えるんです。日本語を地球の裏側で聴けるっていうのは、嬉しかったし、誇らしかったですね。自分のアイデンティティみたいなものを感じましたね。 


あと、南米には日系の方が多くて、ブラジルには120万人、ペルーには10万人、でも、アルゼンチンには3万人しかいないんですね。最後の日、日本庭園でライヴをやったんですが、そちらにもたくさん来てくれました。5000人の前で歌ったんですが、入れなかった人もたくさんいたみたいで。日系の方々も泣きながら聴いてくれて……。3万人という数はアルゼンチンの中ではマイノリティなわけですよね。そんな中でがんばってきて、自分の力だけで家族を作り、家を作り、仕事を持ちやってきた人たち、特に沖縄からの移民が多いわけで、その自分たちの言葉をブエノスアイレスで今、みんなが歌ってるということに感極まったんじゃないかなと思ったんです。僕自身もそうだったし。だから「ありがとう、ありがとう」っておじいちゃんもおばあちゃんも若い人も集まってきてくれて、「いやいや、こっちこそ感謝しますよ」って言ったんですけどね。いっぱい手紙も頂いて。「ふるさとは樺太です」というおばあちゃんからも手紙を頂きました。自分の島はもうない、でも「島唄」を聴くとふるさとを思い出すし、込み上げてくるものがあるというお手紙で……。

「島唄」というのは、本当にそれぞれ聴く人、歌う人のふるさとへの郷愁、アイランド・ソングというか、そういうものなんだろうなって、僕はすごく客観的に、冷静に分析できちゃうんです。すごくうれしいし、感動したんけれど、もうこの歌はみんなの歌なんだと、沖縄の歌でもあり、みんなの歌でもあり、今はもうブエノスアイレスの人たちのものでもあり、僕もその中のひとりなんだなというふうに思いました。5000人全員が歌ってくれてすごくうれしかったです。

■ 驚いた「中央線」のプレゼント

実はカセーロから「宮沢に聴かせたいプレゼントがあるんだ」と言われて、スタジオに行ったら、なんとね、THE BOOMの「中央線」を彼がカヴァーしてたんですよ。ヴォーカルの録音だけが残ってるという状態で聴かせてもらったんです。アルゼンチンで「中央線」ですよ! びっくりしました。武蔵境とかそういう感じですよ(笑)。カセーロはもちろん行ったこともないしね。
僕らのCDを聴きまくってるらしいんだけど、あの曲のメロディが自分たちのルーツに近いんですって。それでアレンジもバンドサウンドにしなくて、トラディショナルな楽器を使って、こだわって録音したそうなんです。僕も歌詞の説明をして、歌い方もちょっと説明したんです。でも、びっくりしました。「中央線」もテレビと日本庭園でのライヴでも一緒に歌ったんです。それもうれしかったですね。僕が昔、風呂なしのアパートで作った歌を、地球の裏側で歌ってくれてる、聴いてくれる人がいるという事実にびっくりしました。
本当に素晴らしいアレンジだよね。スタジオに行ったら「これを聴け!」って言われて、どっかで聴いたことのあるメロディーだなあと思ったんです(笑)。びっくりしましたよ。彼が心憎いのは、「宮沢にプレゼントだ。オケ(ヴォーカル抜き)をあげるから、いつかこれで歌ってくれ」って。すごい人だね。魅力的で、親分肌の人間に出会ったなあと思った。僕は自分自身のことばっかり考え過ぎだなあと思ったなあ。ひとりひとり人のことに気を配って、道を歩いていて「カセーロ!」なんて声をかけて寄ってくる人がいるとすると、「どーもどーも」なんて言って握手して終わりじゃなくて、全自分の神経を集中させて、その人と渡りあってるわけ。長く話し込むこともあるし。かえって心配になるぐらい。倒れちゃうんじゃないかなあって。僕より年上だけど僕より若いし、いっぱいエネルギーもらったね。彼は彼で僕に会って、自分の歌った歌の作者に会うということで、ひとつ着地した感じがあったみたいです。最初はすごく緊張していて、でもだんだん打ち解けてきて(笑)。
今度、沖縄に彼を連れていってあげたいなと思ってるんですよ。日本でも彼のアルバムの発売が6月19日に決まったんで、こっちのSONYも彼を呼んでプロモーションしたいという話もあるし、じゃあ彼のスケジュールを2、3日もらって、「島唄」が生まれた沖縄を案内しようかなと思ってます。これはふたり旅にしようかと思ってます。もしかしたらそのあとTHE BOOMと一緒に何かテレビに出るというのが実現するかもしれません。


ブエノスアイレスに同行したディレクター、三好伸一さんによるレポート

2002年4月27日(土) この日、Jardin Japones(日本庭園)に詰めかけた人々は5,000人。芝生、石の上、木の上、そして塀の上などありとあらゆる場所に人々があふれ、限界と判断した庭園管理の判断により、5,000人で入場規制。そのため、塀の外にある公衆電話の上に登っていた人もいました。
「普段は日系人しか来てくれないのに、今日はあらゆるアルゼンチンの人たちがいる!」と興奮して語る庭園関係者。この日は、アルゼンチンに暮らす日系人たちにとってとても誇らしい一日となったことと思います。
日系人を中心とした和太鼓グループ。そしてクラウディア大城が参加する 「世代バンド」、フリオ新垣のグループ「ニーセーター琉」の演奏の後、いよいよアルフレッド・カセーロがステージに登場! 数曲の演奏と巧みなトークで人々を魅了。そして、「MIYAZAWA KAZUFUMI!」と、宮沢の名を呼び、遂にステージに宮沢を呼び上げました。

THE BOOMのオリジナル・ヴァージョンによる「島唄」が5,000人の聴衆の前で初めて歌われ、その強烈な歌声に鳴り止まぬ拍手!
「僕はアルフレッドからこれを貰いました」と、ステージの上で宮沢が高々と掲げたのは「ガルデル音楽大賞」の銀色に輝く像。聴衆からは更に大きな拍手と声援の声。「僕は、彼がもらったものだから、最初はいらないと言ったんだけれど……。彼と出会って4日間一緒に過ごして、彼は自分のことより、人の幸福をいつも願っているということがよく分かりました。今、アルゼンチンはよくない状況だけれど、彼は一人ひとりを笑わせて、一人ひとりを幸せにできるから、この地球が、世界が、アルゼンチンがもっと平和に、もっと良い社会になれるように、彼が音楽の力できっと変えてくれると思う」

次に紹介されたのは、宮沢のためにカセーロ氏が準備した曲「中央線」のデュエット。当たり前のように日本語で歌われるこの曲は、「島唄」を届けてくた宮沢への、心を込めた感謝とリスペクトの曲です。
カセーロ氏はこの数日間の慌ただしいスケジュールの中、この日のライヴで「中央線」を宮沢と一緒に歌うため、そして、次のアルバムにこの曲を収録するため、ずっとレコーディングを続けていました。そしてこのライヴの翌日、宮沢がアルゼンチンを離れる日に、彼はこの曲の歌をレコーディングすることになっています。
「この曲は悲しい別れの曲だろう。明日の俺の気分にピッタリ来る筈。だから、レコーディングはきっと上手くいくよ」

この日のライヴで最後に演奏されたのは、「SHIMAUTA」。日本庭園の池の周り360度すべての場所から5,000人の聴衆が声高らかに、手を空に掲げ、揺らしながら歌う「SHIMAUTA」。それはもう、この曲が遠い日本の曲ではなく、アルゼンチンこの国の曲なんだ、と実感した瞬間でした。そしてそれは、この国で遠い日本を想い、 沖縄を想う日系人たちに誇りを与えた曲でもあるのです。

すべてが終わり、宮沢がステージを離れました。しかし、彼を追いかけようと集まってくる人たちの渦で、遂には楽屋へ戻ることも、予定されていたTV用インタビューもできぬまま、宮沢は待機する車へとオーディエンスに運ばれて行きました。こちらも「三線はあとから運びますから大丈夫!」と言うのが精一杯。車はホテルへと向かい、残った僕たちや関係者はみんな上気した表情で、お互いに顔を合わせ「凄かったね」という言葉しか出ませんでした。

■「SHIMA UTA」アルゼンチンでの大ヒット

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