『Sixteenth Moon』ロンドン録音を語る

1998年3月15日放送の『極東ラジオ』から、宮沢和史がソロアルバム『Sixteenth Moon』(1998年)を語る。THE BOOMデビュー前から憧れていたスティングのアルバム・プロデューサーであるヒュー・パジャムと組み、スティングのバンドメンバーとロンドンでレコーディングされた作品です。

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■ 東京——ロンドン 10年前の自分と10年後の出会い

今日は『Sixteenth Moon』の発売直前記念ということで、まず参加メンバーを振り返ってみたいと思います。

ギターがドミニク・ミラー、ドラムがマヌ・カチェ、ベースがピノ・パラディーノ、キーボードがポール・ウィケンズ。そして2曲だけですが、イタリアからピエロ・ミレージというアレンジャーが参加しました。この5人が中心となって、バンドサウンドで全曲録音したんですけれど、曲によってはインド系ロンドン在住のパーカッショニストですとか、中国系のロンドンにいる胡弓奏者だとか、女性コーラスということで、奄美大島出身の中野律記さんが3曲ほど歌ってくれています。

今回このメンバーが決まったときに、一番最初に僕がこの人とやれることを喜んだのが、ギターのドミニク・ミラーです。彼の名前は耳にしたことある人も多いと思うんですけれども、スティングのソロ3作目『ソウルケージ』という名盤から、彼のレコーディングやツアーにずっと参加しています。スティングのツアーではギターはドミニク一人ですから、エレキギターやガットギター、アコースティック・ギターを弾いたり、ストラトキャスターでガーッと弾いたり、多彩な才能を見せていますが、僕のアルバムでもいろんな楽器を使ってくれました。非常に意気投合しましたね。強面に見えるんですけれど実は冗談ばっかり言ってる人で、終始しゃべってる一方、プレイに入ると繊細になるという、その二重人格が僕は好きです。


彼が作業中に、『ファーストタッチ』というソロアルバムを僕にくれました。全曲アコースティックで弾いてる静かなアルバムなんですけれども、僕はその中の1曲が好きで、一目惚れっていうか、自分で弾いてみたいなと思って、今では完全にコピーして弾けるようになりました。旅先にはいつもガットギターを持っていくんですけれど、毎晩レコーディング作業を終えて、部屋に帰って来ると、少しずつ練習をして、次の日にスタジオでドミニクに聞かせて、「どうだ、いけてるか?」と訊くと、「いいぞ」と。また次の日には4小節進んで、最終的に全部聞かせることができて、ドミニクも非常に喜んでいました。今度「ドミ&ミヤ」って名のユニットを組むかという話もあります(笑)。発音しにくいんですけど(笑)。

先ほど、スティングの『ソウルケージ』というアルバムのことを話しましたけど、僕はこのアルバムがスティングの中でいちばん好きです。スティングは僕にとっては尊敬するシンガーのひとりで、「フェイバリット・ミュージシャンは誰ですか?」と訊かれると、いろいろいるんですが、いつもボブ・マーリィとスティングを挙げることにしています。歌詞、メロディー、歌唱力、それから音楽活動の立ち居振る舞いといいますか、クールでホットというか、クールに振る舞うけれども、インテリな部分と肉体派の部分、両方を持ち合わせてるところを尊敬しています。ポリス時代もそうですが、この『ソウルケージ』からヒュー・パジャムというプロデューサーがどっぷり参加するようになって今日に至っています。

スティングが『ナッシング・ライク・ザ・サン』(1987年)のツアーで日本に来たときに、東京ドームに観に行きました。僕はTHE BOOMでデビューする少し前で、まだ汚い六畳間のアパートに住んでました。中学時代からプロになりたいなとずっと思ってて、THE BOOMでデビューするんだという意気込みでやってましたけど、このときのスティングのライヴを観て、「やっぱりこれだ!」「僕はあそこに立つぞ」って本当にそういう気にさせてくれた。その僕にとって、10年プロでやってきて、今、ヒュー・パジャムとドミニクと一緒にアルバムを作るということは、すごく意義のあることなんです。あの頃の自分があって、今10年やってきたキャリアの自分が、彼らと一緒にやったらどれだけかっこいいことができるだろうかと、そういう自分を試してみたいというかね、そういう気もあって、今回のアルバムを作ったわけです。

ヒューに最初に会ってミーティングをしたときに、そういう話をしましてね。10年前に東京ドームでスティングを観て、その日にそれまで付き合ってた女の子とも別れて(笑)、その日から僕の人生が変わったんだって話をして、だからあなたとやることは意義のあることなんだよ、ひとつ頼むわって。彼もそれで急に手綱を締めたとこがありました(笑)。

「雲の形が変わる前に」という曲がいまちょうどかかってますけれど、この曲の中でどのギターを使おうかというのがなかなか決まらなくて、ドミニクが12弦のエレキを持っていたんで、それでアルペジオ(ギター奏法のひとつ)がいいんじゃないかって言ったら、ドミニクがぽつりと「これはスティングの『マッド・アバウト・ユー』でやったやり方だ」って。そんなスティングとのエピソードみたいなものを彼はいろいろ話してくれました。試行錯誤して今のプロフェッショナルなスティングがあるんだ、という話もヒュー・パジャムから聞いたり、人間くさい話もこぼれ話も充実していました。


■ 音楽に求めるもの 音楽に必要なもの

去年、僕の知り合いのミュージシャンが一枚のCDをくれたんです。『Fabrizio De Andre』というイタリア人シンガーのアルバムなんですけど、イタリアのチャートで1位になったとかならなかったとか、すごく売れたアルバムだったらしく、これを一聴して僕はぶっとびました。アコースティック・サウンドだし、コテコテのイタリアの感じなんだけれど、世界的なポップスの流れとは全く関係ないところで、こういうものがチャートで一位になったりするのかという、イタリア人の心の豊かさといいますか、それにまず驚き増した。去年の僕のフェイバリット・アルバムです。

このアルバムで、ピエロ・ミレージがオーケストラ・アレンジをしています。そのシンプルさが僕にはすごく新鮮で、それで彼にコンタクトをとりました。去年(1996年)の7月、スイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルに僕らTHE BOOMが出るので、モントルーはイタリアから近いし、「観に来てくれ」とお願いしたら、本当に来てくれました。「ソロアルバムを考えてるから手伝ってよ、そのうち」と話しただけでそのときは別れたんですけど、僕がこの『Sixteenth Moon』で書いた曲の中で2曲、どうしてもストリングスをメインにアレンジしたい曲があり、正式に依頼したところ、レコーディングに入る数週間前というギリギリのところだったんですが、快く引き受けてくれました。イタリアでアレンジして、譜面を起こして、ミュージシャンを連れてロンドンに来てくれて、マヌ・カチェやドミニク・ミラーと一緒に録音しました。

一枚のアルバムが出会いを産むというか、やっぱり動いてないと出会いがないなと実感しました。僕の音楽活動を振り返ると、全部、ちょっとした出会いが膨らんでいくという、枝葉のように広がっていくという感じがひしひしとします。


僕はこの曲、後半の弦を聴いたとき、涙がこぼれましてね。音楽に関わっていてよかったと思う瞬間っていくつかたまにあるんですけれど、まさにそのときで。こういうシンプルな中で、自分の過去を洗い出させてくれるような音に出会いたい人間なんだと。人の速い演奏を聴いて感動したり、歌がうまいとか、カリスマ性があるところに驚いたりするときにも、音楽をやっていていいなって思いますけど、音楽をやっていてどういう瞬間に出会いたいのかという、自分の過去未来を全部浮き彫りにしてくれるような優しい音楽を求めているんだなと思うことがあります。ピエロ・ミレージのこの弦アレンジはまさにそうでした。

「香珠」という曲は、このピエロ・ミレージのオーケストラ・アレンジで、ドミニク・ミラー、マヌ・カチェも全員この曲で参加しています。という意味ではロンドン・プロジェクト全員が参加した曲なわけです。さっきの曲の最後の弦アレンジの中に、オルガネートというアコーディオンのような音が出てきましたけれど、僕の「香珠」の中でも聴けます。オルガネートという楽器は、初めて生で聴いたんですけど、感動しまして、タンゴの楽器、アコーディオン系の楽器は世界中にいろいろありますけど、これはイタリア独特のもので、彫刻も美しくてね、生の音色がすごくきれいで、この曲でも非常に印象的な位置を占めています。


■ ロンドンのあとはブラジルでレコーディング

このロンドンの後にブラジルでソロ第二弾を作ってきたんですけれど、そこで一緒にやったプロデューサーであり、パーカッショニストであるマルコス・スザーノと、キーボードのフェルナンド・モウラ、この2人がややこしい話しなんですが(笑)、ロンドン盤ツアーに参加してくれます。

マルコス・スザーノはパンデイロというサンバに使う楽器の革命を起こしました。タンボリンに似てる打楽器なんですが、張ってある皮をすごく緩くして、ドラムでいうベースドラムの役割にさせて、まわりのベルをハイハットの役割にして、パンデイロひとつでドラムの上から下までの周波数を全部出してしまう。エイトビートはもちろんのこと、シンコペーションばりばりのドラムの難しいフレーズなんかもひとりでやってしまう、昔ながらの伝統楽器を新しい解釈で開発した、というか奏法を編み出したという革命家だと言って間違いないです。彼の登場以降、ブラジルのパンデイロ奏者はみんなマルコス・スザーノの真似をし始めたという、それくらいタイムリーな人なんです。僕は彼のプレイを尊敬するし、ソロアルバム第二弾は、彼と絶対一緒にやろうということでお願いして、参加してもらいました。

今から紹介する曲は、正式にはレニーニ&スザーノというアーティスト名で、レニーニというソングライターとスザーノのユニットなんですけれど、レニーニも僕に歌詞を提供してくれ、僕のブラジル・アルバムでコーラスもやってくれてます。あたかもドラムが入ってるように聞こえますが、この音はパンデイロという小さな打楽器だけで出しています。

僕もこのアルバムを5年ぐらい前かな、ブラジルに最初に行ったときに聴いて、もう感動して、マルコスとスザーノのアルバムを集めるようになりました。彼はブラジルでは非常に有名なパーカッショニストとして、ミュージシャンにも一般の人からも尊敬されていまして、ワークショップを開いています。来日したときもワークショップを開いてタンボリンを教えたり、自分の奏法を譜面に起こして配ったりと、そういうところが人間的にも尊敬できるところなんです。

極東ラジオにも、マルコス・スザーノのワークショップに行ってきましたという報告を頂きました。このワークショップではどうも僕のブラジル盤を、マルコスがお手本としてかけたらしくてね(笑)。こっちはまだ電波に流してないんですけど、マルコス・スザーノが真っ先に自分のワークショップでかけてたということで、今日は特別に、僕のブラジル盤『AFROSICK』を本邦初公開で一曲かけたいなと思っています。宮沢和史作曲、レニーニ作詞、プロデュースがマルコス・スザーノ、「ILUSAO DE ETICA」という曲を聴いてください。

今まさにこの部分ですね、マルコスの弟子のみなさん18人のパンデイロが入っての演奏です。最初に彼に会ったときに「パンデイロ20人ぐらいでダビングしてやろうよ」とか行っていたことが実現されて、出会い、ちょっとした話が実現することの喜びをひしひしと感じました。

※『極東ラジオ』第50回(1998年3月15日より)

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