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わたしたちは今日も博士課程を肴に酒を呑む。

 博士課程に進学してから早5ヶ月が経過した。修士課程で50人ほどいた同専攻の同期は皆それぞれ就職し、博士課程になると同期が片手で数えられるほどになった。

 同じ研究室で修士課程を共に過ごした8人の同期も例外なく就職し、わたしだけが研究室に取り残された。同期が1人もいなくなり閑散とした研究室は研究にどっぷり浸かるのに最適な環境だが、研究に裏切られたときの疎外感は計り知れない。

 そう、かく言うわたしはいま研究がうまく進んでいない。8人の同期がいればこの現状もうまく笑いに昇華してくれただろうな——と思う。


 それでも、片手で数えられるほどの博士課程の同期のなかに親友と呼べる友人が1人だけいる。

 わたしたちは平日は一緒に講義を受け、土日は同じ職場でアルバイトをし、大学生活を共に乗り越えてきた仲だ。わたしは学部生時代からその友人に博士課程に進学することを仄めかせていたが、特に反応はなかった。もともと実験や研究にそれほど熱心な人ではなかったので、この人はいずれ就職するだろう——と、勝手に思っていた。

 転機は学部四年生の春に訪れた。ほとんどの理系大学生が通過するであろう人生の分岐点、研究室配属だ。わたしがあらゆる手段を駆使して全ての研究室を調べあげ、一つの研究室に狙いを定めていたとき、その友人はなるようにしかならないよ——と、ろくに調べもせずに高を括っていた。仕方がないので収集した情報を余すことなくその友人に提供してあげるわたし。今考えると甘やかしすぎだ。そして結局、わたしたちは同じ研究室を志望する。

 わたしたちが志望した研究室は専攻内で一番人気だった。幸運なことに成績上位者に滑り込んだわたしは、志望した研究室にすんなりと入ることができた。成績上位者以外の配属先の決め方は、まさかのジャンケン。あとはその友人がジャンケンに勝つだけだったが、2回戦で呆気なく負け、わたしたちは別々の研究室に配属された。いつも楽天的な友人もその時ばかりは流石に落ち込んでいた。


 別々の研究室に配属されたことで大学で会う回数はめっきり減ったが、代わりに2人で呑みに繰り出すことが増えた。はじめは慣れない研究生活の愚痴を肴に酒を呑んでいたが、次第に研究生活に慣れてくると友人は自身の研究の話をするようになった。志望していた研究分野と全く異なる未知の分野に配属されたにもかかわらず、話の熱量からこの人がいまの研究に入れ込んでいることがヒシヒシと伝わってくる。そして、その未知の分野は最終的に友人を博士課程にまで誘った。わたしが想像していた未来にこんなパターンはなかった。

 博士課程に進学した現在も友人の熱が冷めることはない。思いつきでした実験がうまくいったとか、次の実験がうまくいけば論文が書けそうだとか、博士課程での日常をとても愉しそうに話してくれる。今回はこの条件で失敗したけど、次の条件はきっとうまくいくはずだ——と、実験に失敗した日でさえこの調子だ。そんな友人に釣られてわたしの話にも熱が入る。

 無計画で楽観的で想像力豊かな友人と、計画的で悲観的で現実主義のわたし。研究がうまく進んでいないわたしのテンションをも吹き飛ばしてしまう友人と、友人の突拍子もないアイデアを現実に即するわたし。なんだ、博士課程のわたしたちも結構いい関係じゃない。

 最近はコロナで夜の街に繰り出せなくなったが、わたしたちには最高の肴があるので場所は問題ではない。スト缶片手に公園のベンチでも、ビール片手に河川敷でも愉しめる。わたしたちはどこにいても、投稿した論文がどこどこに掲載されたとか、あの学会でこんな人に出会ったとか、将来はこんな研究がしたいだとかで盛り上がる。

 博士課程の話題は尽きない。「おつかれ〜」と静かにグラスを重ね、わたしたちは今日も博士課程を肴に酒を呑む。

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