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「四月になれば彼女は」を観て、読んで(2)

映画を観て、原作を読んで、印象に残っている言葉や考えさせられた言葉について引き続き書いていく。


「辛い。苦しい。それでも人は恋をする。それはなぜなんだろう」

大学で哲学を軽くかじったときの疑問と重なった。「人はなぜこうも愛し愛されようとするのだろう」と。
これに対する解は見つかっていないままである。

「愛情といえば何もかも許されるのが嫌なんですよ。愛し合うふたりは無条件で美しくて素晴らしいものだという感じが」

やっぱり「愛してるから」「あなたのためを思って」「大事に思ってるから」なんて言葉は禁句なんじゃないかなって思う。
私自身、学生時代によく両親に言われていた。嬉しくはなかった、ただただ親の望むようになって自分の可能性が狭められているように感じていた。
愛情は恩着せがましく表現するものではない。気づかれないくらいの愛情が、後になって「あぁ、あれはやさしさだったな、愛だったな」って気づくのが本当の愛情だと私は思ってる。
人間鈍感。現実のことをその場で処理しきれないことが多い。悲しいけどそれが現実で過去。中学時代の初めての彼氏と喧嘩別れしたこと、本当に馬鹿だったなって思う。

「ほとんどの人の目的は愛されることであって、自分から愛することではないんですよ」

私は後者だと思った。女は愛されたほうがいいって言うけれど。
自分の愛せる人と一緒にいたいし結婚したい、人生を共に生きたいつくりたい。追われる恋とか大事にされる愛はいらない。
私は自分のためだけには生きられない人間だ、とふと気づく瞬間がある。自分のためだけには頑張れない、生きられない。だから5年前に別れたあの人のことを今でもこんなにも想うのかもしれない。俺のために生きてよって言わないけど、強がって頑張ってるそんな人のために生きたくなるのかもしれない。
ということは、あの人のことを愛していた頃が私は一番生きている実感が湧いて心地よかったのか。私が満たるほど愛させてくれたってことか。愛することを教えてくれてありがとう。

「愛していないことを見抜かれた?」

遠距離で久々に会った目の前の人の心が、今ここにないことを見抜く才能なんてほしくなかった。別れる一日前、一緒にエスカレーターに乗っていた瞬間を思い出した。
心ここに在らずな人。もう自分が愛されていないことに気づいた私はあのまま関係を続けることはできなかった。あんなに苦しいことを続けることなんてできなかった。 
別れ話を切り出したときあなたは「俺は続けるつもりだったけどね、別れるって勝手に決めたのは君だけど」って。君は最低だったよ。でもそういう言葉を使わないと自分自身を守ることができない人だってこともわかっていたから、それ以上は何も言わなかった。


あさのあつこの解説がこれまたすごい。

「失うことの深さ」と題している時点で心震えた。
「軽やかに生きていたいと望む人は、素敵な恋をしたいと望む人は、素敵な恋をしていると公言できる人は、誰かが愛して、幸せにしてくれると信じている人は、読書は楽しくてためになると口にする人は、この本を読まないほうがいいと思う」

私が映画を劇場で観てよかった、原作を読んでよかったと思える理由はそういうことだと思う。




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