×をつけられたことが悲しいだけ

テスト前日に勉強を始める、そんなギリギリなタイプだった。大人になって、その「追い詰められた状態で頑張りきる」ということができなくなって、事前に準備しておく、ということができるようになった。
その能力を生かして、私は半年前からある準備をしていた。
転職だ。

この転職は、年に二回チャンスがあるもので、一回目には合格していた。
しかし、諸々の事情があり辞退、今回二回目の挑戦だった。
一回受かっていたから、今回も正直受かると思っていた。周りもそう言っていたし、そのつもりで半年後までのスケジュールを考えていた。
必要な資格は合格発表があってから準備しては間に合わないので、数か月前から着手して、お金をかけて、とった。
会社になんといって辞めようか周りの社員と相談したりして、もうあとは合格を確認すればいい、という状態まで作り上げて、落ちた。
ここまで入念に準備したことが水の泡になるということが生まれて初めてで、今の心境をなんと表現したらいいかよくわからない。

まさか落ちるとは正直思っていなかったから、合格発表を見た瞬間は夢かと思った。会社のトイレで見て、見る場所を間違えたか?とすら思った。
何度か確認して、どうやら本当だとわかってから、夢だったらいいのに、と思った。
夢の中でよく絶望的な状況になり、どうしようどうしようと思っていると目が覚めて「夢でよかった」とほっとする、そんなことを何度も繰り返しているから、本当に夢なんじゃないか?とすら思った。夢ではなかった。
うわ、これ現実だって受け止めないといけないのか~、と思うとしんどかった。

落ちたことを家族に伝えると「受かるとか言ってごめん」と謝られた。
同僚に伝えたら、涙ぐまれた。自分のショックもあったが、その反応がきつくて、そんなにショック受けてないから大丈夫!と逆に慰めることになった。

数時間はショックを抱えていたが、次の日には割とすっきりしていた。
まあ仕方ないか、と思った。
落ちる可能性があった言動をしてしまったなと心当たりもあったから、落ちたとしても不思議ではなかった。

よくよく気持ちを深堀してみると、少しほっとしている自分もいた。
というのは、転職した場合の不安もとても多くて、合格した先のことを考えると、乗り越えられるのだろうか?と思うことがたくさんあったからだ。
帰宅して、パートナーと話しながら、「不合格だったことは悲しいが、その道に進めなかったことにはそこまでショックを受けていない」と気が付いた。
ホワイトボードを使ってさらに深堀していくと、その道に進みたかったのは「お金的に安定できて」「福利厚生が整っていて」「女性の活躍が進んでいて」「自分が今まで学んできたことが活かせるから」という理由であって、その仕事自体に魅力を感じているわけではなかった。

不合格になったということは、今の会社にそのまま継続しているということだ。この先どうしようかな、と思った。
今の会社は落ちたところと真逆で、「お金的に安定していなくて」「福利厚生がほぼ皆無で」「女性が働きにくく」「自分の適性はそこまであっていない気がする」場所で、つまり「今後どうしよう」と考える必要がある。
振り返ると、なかなか仕事が安定しなかった私は「この先どうしよう」とずっと不安を抱えてきた。
正社員じゃないときもあったし、会社環境や仕事内容的に先が見えないことも多かった。
そう思うと、不合格になった先には「人生でずっと迷うことがないのではないか」という期待があった。
一方仕事内容は過酷で、いわゆる3Kに近い。職場も遠いし、朝早く夜遅い。副業もデスクワークも出来ない。

いろいろ考えると第三の道を探した方がよさそうだが、落ちたばかりの今は何も考えられず、途方に暮れている。
年齢的にも、チャンスはもうあと一度しかない。
もう一度頑張ったら、合格できる気もする。しかし、しかし、しかし…と気になることが多すぎて、思考がいったりきたりしている。

同僚のいった言葉がなんだか心に刺さっている。
「人生、うまくいかないものだね」

今日、使っている財布が破れていた。
そこまで絶望的な状態ではないけど、なんとなく、先が見えない。

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