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20220827|日記


夫が残業からなかなか帰ってこず、そうして暇を持て余しているあいだにも、ごま豆乳鍋はすっかりと冷め、かなしくなって日記を書きはじめた。こんな理由でしか文章を書くにいたらないじぶんをすこし残念に思うけれど、それでもこうして書こうと思ったのだからそれはとても良いことでしょう。(20:45)


夫が帰ってきたので、あたためなおした鍋を食べて、満腹になったので、眠くなるまえに日記をつけておく。


あいかわらず、猫に鼻を噛まれて目が覚める。数日前から生後七週の子猫が滞在しているということもあり、朝は五匹それぞれの要望に応えながらドタバタと動きまわる。おかげで寝不足なわけだけど、きちんと癒されているので、なんの支障もない。猫はかわいい。犬もかわいい。それぞれの要望に応えたあとは一時間くらいの本を読む時間があって、一年前となにもかわらない。かわらない日常こそが私のとっておきの気に入りであることはたしかなので、そのままおにぎりを拵え、仕事へ向かう。


仕事はたのしい。ほんとうに楽しい。いやな気持ちがわいてこないままに爽やかに退勤時間をむかえる。わたしがいやな気持ちにならない代わりに、誰かがいやな気持ちになっているのかもしれないというのはすこしあって、きっと我慢しているひともいるだろうな、とおもいながらも、関わるひとたちが楽しく笑ってくれるような人間でありたいとおもう。きょうはとびきり嬉しいことがあった。この仕事をしていてよかった、と、そうおもえるような、じぶんの文章を認めてもらえたような、そんな出来事だった。あしたからもがんばってみようとおもう。


日記を書いていないあいだにいろんな本を読んだ。一ヶ月更新していないとなると、10冊以上になるので事細かには書けないけれど、佐原ひかりさんの『ペーパー・リリイ』で夏がはじまり、江國香織の『すいかの匂い』で夏を満喫し、宇佐見りんに圧倒されては、なんとなく現実に押しつぶされそうになりながらも、柔らかで儚げのあるエッセイや詩集、あるいはすこし渋めのものなんかを読んでは気持ちを落ち着かせた。あるものはあるし、ないものはない。そのままでいいよという想いの伝わる文章を読むと、なぜだかホッとする。


きっとあなたにはあって私にはないもの、私にはあってあなたにはないものがこの世にはたくさんあるんでしょう。そういうものをみると、どうして、とおもってしまうことが幾度となくあって、しかしそれさえもきっと人間らしさであり、そしてそれらを良いものにできるのが文章にすることなのだと、なんとなく今日の私は思っている。


あしたはどんな本を読もうかしら。


それでは、また。





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