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往復書簡#5『悲しみよこんにちは』|女ふたり、読んでいます。


秋晴れが続いておりますが、りなさんはいかがお過ごしでしょうか。我が家の庭には秋桜が青空の下、満開の花を咲かせています。

すっかりとご無沙汰になってしまった往復書簡ですが、読破しようと話していたサガンの『悲しみよこんにちは』を再読したので書いてみようと思った次第。久しく書いていない文章なので読みにくかったら申し訳ないです…


それでは本題に。
実はわたし、サガンはこの作品しか読んだことがないのです。


というのも十代の頃に読んだとき、あまりにも自己中心的に恋愛に溺れている彼らをあまり好ましく思えなくて。そしてその恋愛を軸とした物語のなかで揺れ動く十代の彼女の、自分は可哀想、だからこの行動は正しいと思いたいという衝動と、後に残る後悔を含めて、そのあまりの夥しい熱量(これを衝動というのかな)についていけなかったのだろうと推測(記憶はとても曖昧)。



そしてそれらの描写の素晴らしさにようやく気づけたのは十年以上たった今であり、なによりもはじまりの一文の美しさにとろけてしまいそうになりながら、あんなにも毛嫌いしていた父の素行や、そこにある欲望、愛に溺れていってしまう女たちさえも、彼らのその一瞬が熱を帯びたように甘美に感じられるのでした。


年月を重ねるということは、みえなかったものがみえ、触れられなかったものに触れられるものであり、それと同時にみえていたものがみえなくなり、触れられていたものが触れられなくなるのだということをすこしの悲しみを伴って、実感させられたよう。

今、読めるもの、今だからこそ感じられるものを大事にしていたいものです。



さて、読書の秋といわれていますが、季節が移ろうたびに、夏のクーラーのしたで涼みながらする読書はいい、冬のこたつや布団のなかでぬくぬくとする読書はいい、春の陽気にうとうとしながらする読書はいい、と、結局のところ本が読めたらそれでいいと思っているはずなのに、何かと理由をつけたがるのは人間のさがなのでしょうか。そういうことにしておきましょう。


それはさておき、冬の読書に、よければ『蟹工船』なんかを課題図書として迎え入れるのはどうでしょう。すっかり読める自信はないけれど、りなさんとなら読めるような気がしています。


それではまたお手紙書きます。


p.s
りなさんは今どんな本を読まれていますか。

私はケイト・モートンの『忘れられた花園』を読もうと本棚から取り出したところです。


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