■称賛欲しがりおじさん・3章 オレは最強ヒーロー

「生まれてこのかた、弱い女と強い男に会った事がないわよ」という美輪明宏さんの名言が喝破している通り、男(男子)は根っから弱い。

遭難現場で生き残るのは女性の方が多いのだという。
男性の方が血肉や体の熱量は多いはずだが、それでも命を落とすのは、やはり気力・精神力が先に尽きてしまうからなのだろう。

1章で記したように、筆者は小学校で、遊びたいという衝動が内面に生まれたら、それをおさえられない男子たち、プレゼン発表を蚊の鳴くような声でしか出来ない男子たち、つまり彼らの『弱さ』・『脆さ』を傍らで見てきた。

そんな男子が、いや、大人になった男性であっても、一番欲しがっている称賛の言葉は何だろうか?
それは「〇〇君(さん)って、強いんだね!」の一言であり、一番求めるものが『強さ』なのだ。

長じるにつれ、知識や社会的なステイタスにおいて称賛を求める割合が増えてはいくが、それでも男が一番欲しがる称号は『強いオレ様』で間違いない。
女性が年を経ても(ディズニーや現実の)プリンセスに憧れるのと同じに、男性の頭の中には、死ぬまで『強いオレ、最強のオレ』が居座り続ける。

昔のTV番組『あっぱれさんま大先生』で、何人かの年少の男児が「オレは強い」と口にしたのを、筆者は憶えている。
いつの頃からか、それを言葉にすることはなくなるようだが、それは内在化しただけであって、無くなってはいない。

仮面ライダーや戦隊ヒーローは、そんな男児たちのニーズを満たすのにうってつけのコンテンツだ。
最近ではインドアの子供が増えてしまったが、筆者が若い頃は公園で透明な空想の敵を相手に(時には男児同士で)、パンチやキックを繰り出す男児の姿がよく見られた。

頭の中で、(弱く情けない存在なんかではない)最強のヒーローに自分の姿を重ね合わせる事で、そこに自らを『投影』する事で、彼らは陶酔感を得て、同時に『弱い自分』を払拭し自らを癒している。

男子達は時々、(さすがに殴り合いは痛いので)腕相撲をして自分が強さのヒエラルキーのどの辺りに居るのかを探る。
“ああ、オレはあんまり強くないなぁ・・”と落胆しても問題はない。
次の瞬間には、『精神の寄生虫』が“そんな事はない。いざケンカとなったらお前が一番強いんだぞ”と慰めてくれるから。
そう、『弱い自分』を受け入れたら、明日からやっていけなくなる。
それだけは何としても避けなくてはならない。

ドラゴンボールが代表的だが、昔のジャンプ漫画は、アドベンチャー的展開やギャグ展開で始まった作品が、いつのまにかバトル展開になってしまうケースが多く、そしてむしろそうなってからの方が人気を博した。
(その方が売れると判って来たので、最近のジャンプ漫画は、もう最初からバトル展開折り込み済みだ)
この傾向は、『強さ』を求める男達のニーズを汲んだが故に、そういった構造になっている。

何といっても男達は『最強』が大好きだ。
孫悟空(もちろんドラゴンボールの)、ケンシロウ、リヴァイ兵長、最近だと五条悟、等々。
『最強の存在』に自分を重ね合わせ、投影しながら作品に浸っている。

小学校の教室で『かめはめ波』等の必殺技を放ちあう男子同士の姿を目にした女子も多いのではないだろうか。
“俺も悟空のように、全てを蹴散らす最強キャラだ!”
彼らは『最強キャラ』に、自らを投影し、その感覚に浸っている。

他方、女性はキャラクター同士の友情や恋情・絆といったところを作品鑑賞の肝にしている。
実際の人間関係においても、女子は他者とのつながりを求め、フィクション作品にもそれを求めている。
男はリヴァイ兵長や五条悟になりたくて、最強になった自分を夢想して、つまりは“オレは最強なんだぞ”とエゴを増長させる為に、作品にのめり込む。

筆者の友人の女性が言った。
「ボクシングとかプロレスとか、痛そうで見ていられない・・」
他人の痛みを想像できる、というのは女性の優れた特性のひとつであると思う。
しかし大半の男は、このようには考えない。
殴る側・勝利する側の選手に自分を投影しながら試合を見るからだ。

格闘技にしても、少年バトル漫画にしても、そんな男達の『オレは最強願望』が、その誌面・興行を成り立たせている大きな要因と言える。

余談だが、筆者的には、バトルの連続で「どっちのキャラが強い」を競う作品は深みがなく、面白いとは感じない。
(それでもドラゴンボールは個性的なキャラクターや、舞台の転換などで、魅力を発揮し続けていたので、最後まで楽しめた。ワンピースも現在進行形で愛読している)
『東京リベンジャーズ』などのヤンキー漫画も同様で、「ケンカすれば、オレは強い」という男たちのカタルシスが、ケンカの強い主人公への自己投影が、その人気を支えているのだと思う。

男達の多くは『強さ』への憧れがあり、彼らは頭の中で“オレはタフガイだ!、スーパーヒーローだ!”という自己イメージに浸っている。
え?、そんな男に出会った事はない・・?
確かにそれは潜在化しており、大っぴらに「オレは最強だ!、スーパーヒーローだ!」と公言する男はほぼいない。
が、たまにその隠された思いが吹きこぼれたりする。

一例を挙げるとこんな感じだ。
貴女がTVニュースを見ていたら、昨今、街中に頻繁に現れる猪が通行人に襲い掛かる映像が流れる。
映像の中の襲われている男性は必死にカバンで抵抗し、猪を追い払おうとしている。
貴女の隣で、彼がつぶやく。
「情けねぇなぁ、オレならワンパンで倒せるぜ」と。
貴女は“またか・・、男って子供だなぁ・・”と内心あきれつつ、その言葉を聞き流す。
「そんな事、できる訳ないでしょ」などと真実を突いたなら、彼の機嫌を損なうことになるからだ。
もちろん、彼はイノシシをワンパンで倒せたりはしない。
もし現実に同じ状況になったなら、彼氏も無様に逃げ惑うだけだ。

昨年(2023年)、TVを見ていて、あるお笑い芸人による本音、壮大な吹きこぼし・明言化を目にする機会があった。

「男は本当はタイソンやメイウェザー(共にボクシングチャンピオン)のような強くて大金持ちに生まれたかったんや。でも実際の自分は真逆だ。その真逆のまま生きる人生のつらさが女に判るかっ!」
正に『本音がポロリ』の瞬間だった。
筆者が少々ショックに感じたのは、MCであるさんまさんも、女性ゲストも、誰ひとり「それは幼い考えだ」とは指摘しなかった点だ。
おそらくなら、周囲の男性陣もそんな(自分も含めた)男の幼さを容認しており、女性陣も「男ってそういう幼い考えの生き物だよね・・」と諦め、受け入れているのではないかと思う。

仮に貴女が彼や他の男に「自分が最強だと思っているでしょ?、自分が一番偉いと思っているでしょ?」と尋ねたとしても、彼らがそれを認める事は決してないだろう。
でも心の中で隠し続けているそれは、このようにふとした拍子に表に姿を現すのだ。

男達は、頭の中ではトム・クルーズであり、ドゥエイン・ジョンソンであり、銀行強盗の場面に出くわしたなら、“オレは颯爽と賊を撃退できる!、ニュースになって称賛を浴びる!”と信じている。
(もちろん、トム・クルーズだって、それが出来るのはスクリーンの中だけだ)

貴女も記憶を辿ってみれば、そんな男達の『オレ様的発言』のひとつ2つが思い浮かぶのではないだろうか。

そして、上記の芸人の言葉通り「オレは本当はそんな強い人間じゃない・・」というのも、よく判っている。
いや、むしろその出来損ないの自分を必死で否定した結果、その反動が『自己の尊大化・オレ様化』を招いているのだ。
男達は毎瞬毎瞬「オレは強い。オレはスゴい」と思い込む事で、必死に劣等感から目をそらしているのだ。
そうしなくては、まともに生きていけない程、男というのは弱い生物なのだ。
『このダメなオレ』と『このスゴいオレ』という正反対の想いが、分裂した考えが、同時に頭の中に存在する。
それが男という生き物だ。

美輪明宏さんの名言「生まれてこのかた、強い男と弱い女には会った事ないわよ」というのは正鵠を射ている。
その弱さを覆い隠す為に、男達が必死に周囲に求めるもの。
それが『称賛』なのだ。

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