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写真が持つパワー


どうも、セブンスターの2番星です。


このnoteでは私が体験して感じたことや思ったこと、本を読んだりニュースを見て考えたことなどを書いています。

私事ではありますが、先日初めて恵比寿にある東京都写真美術館に行ってきました。色々な作品を見ることができたので良い機会になりました。たくさんの写真を見て思うことがあったので今日は『写真が持つパワー』ということについてお話ししたいと思います。

写真は色々な側面があって素晴らしい点がたくさんありますが、今回はその中でも少し違った側面をご紹介できればなと思います。

それではどうぞ。


【東京都写真美術館】

今回訪れた東京都写真美術館ではいくつか同時に展示が行われているのですが、その中でも私は
「あしたのひかり〜日本の新進作家 vol.17〜」
「森山大道の東京 ongoing」
を見てきました。

行く前は写真だけの展示だと物寂しさがあるかなと思っていたのですが、実際は写真だけでなく、映像や空間を利用して見ている人を飽きさせない設計がされていました。

まず見たのは「あしたのひかり〜日本の新進作家 vol.17〜」という展示で、これは複数の写真家の方々による合同展示でした。

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※写真NGだった展示だったのでHPで公開されているものをスクショして載せています。 

一人ひとり独自の切り口で表現をしていて、見ていてとても面白かったです。特に原久路さんと林ナツミさんの展示は若い女性を中心に展開されていて、美しくも儚い生命の不可逆性を強く印象づけさせるものになっていて個人的に好きでした。

次に別階にある「森山大道の東京 ongoing」を見てきました。

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森山大道さんの作品の一部は撮影OKだったのでここに載せておきます!

森山大道さんの作品は見る人に何かを突きつけるようなものが多く、その場を素通りさせてくれないような感覚になりました。

なので自分も真正面から作品と向き合い、何かを得ようと思い考えました。
そうすると分かったことがありました。

それは「写真には伝える力がある」ということです。

これについて次から詳しく深掘っていこうと思います。

【写真は見る対象を同じにする】

タイトルから「何を当たり前なことを言ってるんだよ」と思う方多いかもしれませんが、ここから分かることがあるのでそれを書いていこうと思います。

写真はフィルターを通して世界の一部を切り抜きます。それを私たちはデータや現像されたもので見ることができます。

当たり前すぎてあまり言われないことかもしれませんが、私たち人間は同じ次元の世界に生きていて、同じ空間に生きているのに見ているコトやモノは人によって全然違っていて、誰かにとっての常識は誰かにとっての非常識です。自分だったら区別して見ているものを他人は一まとめに見ていることも多く見られます。

例えば、

Aさんはキリスト信者です。また、宗教に詳しく、バラモン教やユダヤ教などそれぞれの宗教について良い点や悪い点を知っています。なので宗教という括りの中でもさらに分類して宗教を捉え、宗教は使い方によって人を幸せにできると考えています。一方Bさんは宗教についてあまりよく知らず、テレビやネットに出てくる宗教関連(日本ではオウム真理教や創価学会とかのイメージが強かったりする)の悪いニュースだけで「宗教は洗脳だし危険だよね。宗教は絶対ダメ」と考えています。Bさんにとっては宗教=ダメだと頭で変換しているので宗教を一括りにします。ですがAさんからしてみると「ちょっと待ってよ!変な宗教もあるけど良いところだってたくさんあるぞ!」と言いたいかもしれません。でもこの声はBさんの中で宗教をさらに詳しく区別する価値を感じないと届かないので、キリスト教信者のAさんを宗教信者=ヤバいやつ と変換してしまいます。同じものを見ていても捉え方が人によって違っています。

このように私たち人間は世界を「自分」というフィルターを通してしか見ることができません。世界をありのまま見ることなんてできないのです。

これは今までこういったことを考えたことがない人でも「なるほど、たしかに言われてみたらそうだな」と思うかもしれませんが、写真はそれをもっと身近なものにさせる力があります。

世界を「自分」というフィルターを通して見ることで、あらゆるものを勝手に区別して認識し、世界を分かりやすくしています。その区別は「区別する価値があるか否か」で行われているので、人によって価値基準が違っていたら当然常識や非常識が人によって変わってきますし、見える世界も変わってきます。

ですがここに「カメラのフィルター」を通すことで自分&カメラの二重のフィルターがかかります。そうすると「とてつもなく大きな世界」から「写真」に見る対象が限定され、みんなで同じモノを見ることができます。

これが今回写真美術館に行った時の大きな発見でした。

そしてこれが何をもたらすのかというと、
写真は世界を自分勝手に切り取り、他と区別するので、これまで自分が価値のあるものとしてわざわざ世界から切り抜かなかったものを、強制的に区別させて見る人に突きつけることができます。
なので写真は私たちが普段している作業を逆転させているのです。

どういうことかというと


〈通常の私たち〉
世界の何かを見る→「あ、これ価値あるものだから区別した方がいいな」→区別して認識する

ですが、

〈写真〉
世界を勝手に区切る→「区切られてるからきっと価値があるものなんだ」→その中から価値を見出す

ということになります。

普段私たちの近くに住んでいる人、生きている人は世界の区別の仕方が似ていたり、価値を見出すものが似ていることが多いと思います。これを「価値観が似ている」って言ったり、文化形成に影響を与えたりしてるんじゃないでしょうか。(これは調べてないのでただの勘です笑)

でもそれとは違って写真は「自分は世界をこんなふうに区切ってますよ」「こんなものに価値を感じてますよ」ということを伝えられる力も持っていて、見る人は写真から「きっとこんなメッセージを伝えたいのかも」とか解釈して価値をつけるのではないかと思います。美術作品とか写真とか完成した時から物理的には何も変わってないのに時の人たちによる解釈によって価値が上下するのはきっとこれが関係してると思います。(これも勘です笑)

写真は強制的に世界を区切って「これ見て!これ伝わって!」ができるので見ている人に自分の世界の見え方とメッセージを届けることができるのは良い点だと思いますが、肝心の伝えたいメッセージの内容は見る人の解釈に委ねられているので受け手によって見出される価値が大きく変わってくるなとも思いました。


【終わりに】


という感じでばーっと書かせていただきましたが、、、

この記事で言いたかったのは、

写真は他人に世界の見え方を伝えたり、新たに価値を見出すことができるパワーを持っている

ということです。全然パッとしない結論で申し訳ないです。笑

でもなんとなく言いたいことは伝わりましたか?かなり主観的に書かれた記事になってると思うので理解しにくかった方もいらっしゃるかと思います。そうだったら本当にすみません。

でもなんとかして今回自分が感じ取ったことを皆さんに共有できたらいいなと思って書かせていただきました。ちょっとでも写真の持つ魅力と新しい側面を知っていただけたら嬉しいです。

最後まで読んでくださりありがとうございました。


また気まぐれに書きます。

じゃあまたね〜

タケマサ

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