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閑話その1 角田光代訳源氏物語(忘れてた、これはフィクションだった)

どうも源氏の所業に怒ってばかりいたが、頭を冷やすなら、これはあくまでフィクションなのである。その目で見ないといかんことを今更ながらに気がついた。全くアホやねん。
なぜ気づいたかというと、前回、お話の中で似た構造が出てきたからである。

「薄雲」に出てくる。
・帝(桐壺帝・父)の女御(藤壺)と通じた源氏
・帝(朱雀帝・子)の女御(斎宮)と通じたい源氏

うーむ、構造が似ておる。そうじゃ、これ繰り返しやん。フィクションつくる時、使うやつやん。で目が覚めた。

覚めた目で見ていくと、人物造形にも、似たものが多くある。

六条御息所=明石の御方
(二条院から離れて住む癒しの存在)
藤壺=紫の上
(顔がクリソツ)
夕顔=紫の上
(源氏に連れ去られる)
葵=夕顔
(御息所にとり殺される)
典侍(ないしのすけ)=末摘花
(ユーモア担当)

他にもあるが、とりあえず、このぐらい。式部は、女性キャラクターを少しずつずらしながら、様々の恋のパターンを描いているのだ。
これは何を意味するのか。
もしかして、「雨夜の品定め」の能書をフィクション化して実地に展開しているのではなかろうか。想定できる恋愛のシチュエーションを並べてみせて歌を詠み、読者に恋の擬似体験をさせているのではなかろうか。言うならば、これは恋の教科書。

源氏物語は当初そういう目的で書かれ、それが理由で喜ばれ、広く読まれたのではなかろうか。少なくとも、このへんまでは、そうでなかったろうか。
 成程それなら、源氏が次々と恋にうつつを抜かす意味もわかるというものだ。滑稽にも、いちいち私が怒る理由もない。

 そう思ったのにはもひとつ訳がある。次の帖「朝顔」に角田光代先生は、こんなキャプションをおつけになっている。

朝顔 またしても真剣な恋

真剣な恋だという噂が耳に入れば、紫の上も不安になるというものでしょう。
朝顔の姫君は、拒み続けたということですが……。


拒み続ける女。逃げる女。どこかで見たぞ。ああ、空蝉。朝顔って空蝉と同じことするのかあ。まだ、読んでないけど。
あれ、こんなん空蝉以外にもなかったか? そういやあ、明石と六条、似てんなあ。
とかで気がついた訳でして。

とすると、も少ししてから、源氏物語が本当の源氏物語になるんじゃなかろうか。
恋の教科書を書き終わってから、源氏物語は何を書くのか。それが読みどころなんじゃなかろうか。
そうかな。違うかな。まあ、先を急ぎますまい。
変化することを楽しみに読み進めるとしましょうか。

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