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[アーティスト田中拓馬インタビュー10] 古典を利用する! - ボナール篇

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2021年も始まりましたね。昨年9月から始まった「田中拓馬 /分-解/ プロジェクト」も、何とか年を越せました。これからも少しずつアートや田中拓馬に関するいろんな話を載せていきますね。本年もどうぞお付き合いください。
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このページは、画家・アーティストの田中拓馬のインタビューの10回目です。今回は、前回に引き続き、古典絵画を利用した制作について発想を聞いてみました。田中拓馬はなぜ古典を利用するのでしょうか?
前回の記事はこちらからご覧ください。
これまでの記事は、記事一覧からご覧ください。

今回の内容
1.ボナールの作品を利用!?
2.ただパクっているだけじゃない!?
3.古典は何がすごい?
4.とにかくイ〇〇〇〇がないとだめ!

 ー 前回は、フェルメールの作品を利用して描いた君の絵について話したけど、最近はこういうやり方を増やしているんだね?
拓馬 そうだね。他にはこういう作品がある。

黄色に染まれ - コピー

田中拓馬作 <黄色に染まれ>

拓馬 これは、ボナールっていう作家の構図を使って描いた「黄色に染まれ」という絵だね。元のボナールの絵はこういうのだね。
(ピエール・ボナールは19世紀~20世紀のフランスの画家。ポスト印象派とモダンアートの中間に位置する画家と位置付けられている。浮世絵など日本美術の影響を強く受けた画家の1人。)

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ピエール・ボナール <カンネの室内 / Interior at Le Cannet> 
イェール大学付属美術館

 ー うーん、すごいね。君の絵は全く人がない作品にばんばん人をいれていっているんだね。
拓馬 そうだね。
 ー 全く別の絵だね… もとのボナールの絵は、縦の線の入れ方とか、すごい大胆だね。
拓馬 いやー、これは普通ないよね。
 ー つまり、もとのボナールの絵があって、そこから構図や部屋の描き方とかを持ってきて、そこに人物とか、君のキャラクターとかを入れていって自分の作品にしていくということだね。
拓馬 うん。岡﨑さん(岡﨑乾二郎。造形作家・美術批評家。田中拓馬は四谷アート・ステュディウムにて岡崎の講座に参加。)が、描くヒントにできるのは過去の古典か自然界しかないって言っていた。今回は美術館にあるようなものを用いてみたっていう感じだね。

 ー いや、でもすごく面白いんだけど、ただパクッているだけじゃないということはちゃんと言っておかないと(笑)
拓馬 パクっているだけですよ(笑)
 ー いやいや(笑)
拓馬 まあでも、もとの絵をちゃんと超えていくことが重要なんだよね。超えていくというか、前の作品と全然違う作品にしていくことがね。
 ー うん、模写をしているわけではないからね。
拓馬 そうなんだよ。
 ー でも、違うということはどういうことなんだろう。元の絵を自分流に描いていったら、結果として違うものになるということでいいのかな?
拓馬 いやいや、そうじゃないでしょう。ボナールだったら、19世紀末ぐらいから活躍していた作家なんだよね。100年前の作品と同じだったら、作品価値がないんでね。
 ー 君が今の時代に描く価値がないっていうことだね。
拓馬 もとになった絵を現代風にどう捉えるかっていうのが、つまり、どう改造するかっていう話になってくると思うんだけどね。
 ー 現代性ということが重要なのかな。
拓馬 そうだね。現代性みたいなものを入れていくとか、自分なりの価値観で、もとの作品が現代にどうマッチするのか、その解釈を作品に入れていくとかだと思うけどね。あと、一歩進めて、何かの要素を足したり引いたりとかね。

 ー この辺りは、いろんなことが交差しているところだね。社会をどう見ているかとか、そういうところも絡んでいるのかな?
拓馬 そうだと思う。。
 ー だから、狭い意味での美術という領域の中で、どれだけ新しい技術が出来たとか、そういう話だけではないわけだよね。
拓馬 そうだね。
 ー もちろん、技術の話はそれはそれでで重要だとは思うけど。
拓馬 その話もあるとは思うけど、僕は、技術の話だけだとあんまり響かない気がするんだよな。というのは、アートは社会を塗り替えていくところがあると思う。塗り替えたものが価値がないと思われたら駄目で、塗り替えたものが価値があると思われたら、作品は残ると思う。
 ー 例えば、「黄色に染まれ」だと、どういう塗り替えを意図しているのかな?
拓馬 ボナールって、けっこう世俗的なところがあるんだけど、例えば画面の右側で“ネコウサギ”(黄色いキャラクター。田中拓馬の近年の作品に多く登場する。)が食事をしているでしょう。それから、左側で女の人が着替えをしていて、それもネコウサギが見ているよね。そういう風にして、世俗的なところを強調した感じだね。で、世俗的な女性がいるところにネコウサギが座っているという感じだね、良く分からないけど(笑)
 ー なるほどね。
拓馬 そのために、細かい所でいうと、ネコウサギの表情をそれぞれ変えていったりとかしている。
 ー 例えば、食事をしているということでも、コロナの時代なわけだから、社会的なところを意識しているのかとも思うけど。
拓馬 うん。そういうことはどうしても意識してしまうね。

 ー ところで、今回のボナールの作品を利用した「黄色に染まれ」といい、前回話したフェルメールを利用した作品といい、君は一定の数は古典から構図を持ってくるような作品をやっているよね。
拓馬 特に最近ね。前も、はっきりしたパロディはやっていたけど、最近はちょっとやり方が違うね。
 ー 最近はどういう意図でやっているの?
拓馬 例えば、前回も話したフェルメールのパロディだと、ある程度大きなサイズで描かないと迫力が出ないんだよね。日本だと、小さい絵のニーズがけっこう大きいんだけど、サムホール(注:小さめのキャンバスのサイズ)なんかで迫力を出すのは難しい。そこで、古典の構図を使うことで迫力を出していたりしているね。
 ー そういうことなんだね。
拓馬 前回に話したフェルメールなんかも、絵そのものは小さいからね。それで迫力を出しているんだからすごいと思う。
 ー 確かに、そういう目で見るとすごさが分かるね。

 ー 今の君の話でも面白いのは、君はあまり絵の“良さ”っていうことを言わないよね。“強さ”とか“迫力”とか、良さということよりも少し具体的な言葉を使うよね。
拓馬 良さについてか。良さは、でも、ぱっと観た時にインパクトがあって、近づいて観た時にもっと観たくなるということじゃないかな。前に絵の審査員をやっていた時にそういう話が出ていたんだよね。とにかくインパクトがないとだめなんだよね。
 ー うん。
拓馬 例えば、額に入っている作品と入っていない作品なら、額に入っている方がインパクトを与えられるでしょ。額もインパクトを与えるための道具だよね。
 ー そうか、君は額縁をそういう風に考えているんだね。
拓馬 うん。額は絵を引き立てるためのものだからね。
 ー なるほど。この話は販売のためとかではなく、そもそも君が絵画の良さというものをどう考えているかということに関わる話なわけだね。
拓馬 そうだね。絵がたくさんあるなかで、認められる絵と認められない絵がある時に、認められるためには、「おっ」と思わせないといけないからね。それがないと主張できないというかね。
 ー なるほどね。
拓馬 それは、もしかしたら、本能とかに関わる話かもね。
 ー つまり、人はどうして絵を観たくなるのか、観て感動するのかっていうことに関わるっているのかもしれないね。

※ 「黄色に染まれ」の額入りの画像も載せておきます。額なしと比べてみて、どう思いますか?

黄色に染まれ

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今回のインタビューは以上です。[アーティスト田中拓馬インタビュー10]を最後まで読んでいただきありがとうございました。次回はオーダーメイド作品の作り方について聞いてみたいと思います。お客様からの注文での制作でも好評をいただいているという田中拓馬ですが、どのようなやり方でオーダーメイド作品を作っているのでしょうか。ぜひ次回もお楽しみに!

これまでのインタビュー記事はこちらからご覧ください。

田中拓馬略歴
1977年生まれ。埼玉県立浦和高校、早稲田大学卒。四谷アート・ステュディウムで岡﨑乾二郎氏のもとアートを学ぶ。ニューヨーク、上海、台湾、シンガポール、東京のギャラリーで作品が扱われ、世界各都市の展示会、オークションに参加。2018年イギリス国立アルスター博物館に作品が収蔵される。今までに売った絵の枚数は1000点以上。
田中拓馬公式サイトはこちら<http://tanakatakuma.com/>
聞き手:内田淳
1977年生まれ。男性。埼玉県立浦和高校中退。慶應義塾大学大学院修了(修士)。工房ムジカ所属。現代詩、短歌、俳句を中心とした総合文芸誌<大衆文芸ムジカ>の編集に携わる。学生時代は認知科学、人工知能の研究を行う。その後、仕事の傍らにさまざまな市民活動、社会運動に関わることで、社会システムと思想との関係の重要性を認識し、その観点からアートを社会や人々の暮らしの中ににどのように位置づけるべきか、その再定義を試みている。田中拓馬とは高校時代からの友人であり、初期から作品を見続けている。

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