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ルール

将来もし子供を持った時にどう育てよう、一体どう常識などを身につけていってもらおうと考える事があるのでまとめてみる。
結婚すらしていない私がそんなことに考えを巡らすのは、育った家にいろいろなルールがあったからだ。
自分の気持ちを供養するために書いている部分が大きいが、せっかくこの記事を見つけた人にもメリットがあるように記事を書きたいと思い、一章目は愚痴になってしまったが、二章目は幸福論と子育て論について書いている。

1. 私の育った家

・18時までに帰らなければいけない
・21時30分には布団に入らなければいけない
・その際にはケータイは持って行ってはいけない
・ネットは15分までしか使ってはいけない
・テレビはない
・ゲームはだめ

他にも色々あったが、上記が中学高校の時に親から指定されたルールだった。そしてほとんど似たルールが大学も大学院にも続いた。5分寝る帰るのが遅れた日が少しでも続くと1週間は1時間早く帰ったりしなければいけなかった。成績が悪いと今度はどんなペナルティがあるか分からないので必死だった。

このルールたちは子供だった私の交流を大きく疎外した。
仲のいい友達にテレビやゲームが好きな人が多かった私は、友達がテレビの話をしている時は黙っていて、話を振られても曖昧な反応を返していた。ゲームがないのでゲームきっかけでの遊びの誘いもなく、もし誘われたとしても門限だからと言って18時(中学の時は17時30分)に帰らなくてはいけない事が、そんなに早い門限のある友達などいなかったので恥ずかしいやら寂しいやらでたまらなく苦痛だった。ブログやメールを通じて夜遅くまでコミュニケーションをとっている輪にも入れなかった。
青春時代に感じた疎外感と劣等感は底しれなかった。そしてそれを訴えても無駄だったし余計に人格否定を受けることがしばしばだった。

3人兄弟の長男だったのだが、兄弟は全員同じ年齢の時に同じルールを適用することになっていた。つまり、長男である自分が交渉しなければ、どう考えても時代遅れなルールが弟妹にも適用されてしまう。つまり、交渉することがほとんど私の義務であり責務だった。もちろん交渉をしようとはするのだが、親が納得できない交渉しかできないとお前は説得が下手すぎる舐めてるのかと怒られた。そしてほとんどの交渉が通ることはなかった。今思っても一体何を言えば納得したのかわからない。

ルールは「約束」という文句で親から提示されるのだが、約束をすると言わないのであればもっと厳しくすると言う。それは約束なのだろうか。そしてその「約束」を守らなければいけない理由は親のお金でご飯を食べさせてもらって学校に行かせて貰っているかららしい。何度学校をやめさせると言われたか分からない。素直に感謝などできるはずもなかった。あれは家族ではなく理不尽な社長によるワンマンで薄給の会社だった。私はそんなブラック企業から転職するまでの年数をずっと数えていた。

なんとかブラック企業を卒業しても未だにたくさんの負の遺産を抱えている。
生来人懐こく明るい性格だった私だが、人懐こい性格でこんな環境だったからか高校の途中くらいから暗くなってしまった。布団の中に入って23時過ぎにまだ寝れていない事が親にバレてしまうと怒られるので、寝なければいけないといつも思っていた習慣が抜けきらず今も不眠を引きずっている。何かをしたい(例えば友達とゲームしたいなど)と思ってもほとんどのことが実現しなかったので、自分の気持ちを抑え込みすぎて何をしたいのかが分からなくなった。「〜しなければだめ」という考え方が強い。ルールを守っていないことをバレてしまうとその瞬間に存在価値のない人間のレッテルを貼られてしまうからだ。「していない」「できない」自分を仕事でもプライベートでも責めてしまうし、私が思う「あるべき」ように仕事を「していない」他の人も責めてしまう。周りの人に厳しすぎると上司に注意された事もある。社会に出れば過去の経験を理由に許されはしないしそもそもそんな言い訳もできない。大人は自分の気持ちにも責任を持たないといけないらしい。なんとか責任を持って自分の気持ちをコントロールしようと必死だ。

人に話しても理解されず「世間でお前よりひどい環境の人はたくさんいるだからそう不幸ぶるな。過去の話だし」「親の事をそんなに悪く言うな。育ててもらったんだから」などと言われる。そんな風に人に理解されない疎外感は今もつきまとっている。誰でも何か抱えているとは思うが、それを受け入れられる土台があるかないかは大きいのではないだろうか。

なんのためのルールだったのだろうか。将来「ちゃんとした大人」になれるようにだったのか、常識を身につけて欲しかったのか。それは大事かもしれないが間違っても、「子育ては自分の責任だから管理のしやすいようにして自分の負荷を軽減したい」「物分かりの良い子供だと周りに自慢したい」などのように自分都合のものにしてはいけないはずだ。

2. 私の思う子育て

子育てとは何かをもう一度考えてみると、肉体的に育つだけでなく精神的・社会的にも育って幸せになることのサポートなのではないかと思う。

幸せとは恋愛・交流・仕事・趣味とそれらを正常に感じられる心から生まれてくると思っている(恋愛には家族まで含まれている)。そしてそれらを実現するためには健康な心身、スキルが必要だと思いそれを構成する要素を自分なりに書き出したのが以下だ。

●健康な心身
・健康な心
  - 倫理観
  - 理由のない自己肯定感
  - 理由のない他者受容
  - 自分の気持ちに気づくこと
  - 未来は明るいと信じること
・健康な体
●スキル
・内的スキル
  - 最低限の生活能力
  - 適切な金銭管理
  - 幅広い分野の浅い知識
  - 世間の新しい情報や環境へのキャッチアップ
  - 専門的な深いスキル
・外的スキル
  - コミュニケーション(発信)
  - 相手の気持ちを読みとる(受信)
  - ファシリテーション

健康な心を身につけるためには親の健全な愛情が重要なのは言うまでもない。また、健康な心、外的スキルを身につけるためには友人との健全な交流が重要な役割を占めそうだ。そしてその健全な交流には友人と自分が対等であると信じるには所属するコミュニティ内での平均的な生活が重要だと考える。健康な体のためには食事と運動と生活リズムが重要だろう。内的スキルに関しては普段から家事を手伝ってもらったり一人暮らしを経験するなどが良さそうだ。内的スキルには学校の勉強ももちろん重要だ。

結論としては、本当に子供の幸せを願うのであれば、ルールは平均的なもので良いと思う。平均とは子供の所属するコミュニティーのその時点での平均であって、自分の時代の平均でも全国平均でもない。
モノの時代からコトの時代になったと言われているが、その先にくる時代ではより精神性やファシリテーションのスキルが重要視されるようになるのではないかと予想している。その時代を生きる子供たちに健康な心や外的スキルを魅力として生きてほしいと願っている。

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