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『榎本武揚の実像から学ぶ』横浜黒船研究会 代表代行 中山昇一さん

榎本武揚を中心に幕末史・明治史の研究をされている中山昇一さんにお話を伺いました。

プロフィール
活動地域:横浜がベース
経歴:早稲田大学理工学部電気工学科卒業。古河電気工業株式会社を早期退職し、本格的に榎本武揚の研究に着手~現在にいたる。
現在の職業および活動:歴史研究家。現在の研究対象は明治5年から明治41年の榎本武揚と産業との関り。榎本を調査すると榎本の言動の動機を調べる必要が生じ、時代背景や現代への影響も調べている。自身の調査結果と先人の方々のその時代に関する研究成果とを組み合わせ、榎本武揚の全体像の復元に努める。地元の歴史愛好家の集まり「横浜黒船研究会」で代表代行として会の運営を推進し、東京農業大学総合研究所、榎本・横井研究会では会員として東京農業大学開祖、榎本武揚の顕彰活動に参加している。
座右の銘:「わが道をゆく」「自由な発想」

『意志の強さが結果につながる』

Q1どのような夢やビジョンをお持ちですか?

中山昇一さん(以下、敬称略)榎本武揚(えのもとたけあき)の実像を通して歴史に登場してくる人達が、本当はどういう人なのか、格好いい英雄の面だけでなく、苦しみもあるし悩みもあるし失敗もした中で、自分の意志で生きていくところをみなさんに知って頂けたらと考えています。
また、歴史に登場する人物を身近な人として、むしろ自分と近いんだと言うことを知ってもらいたいですね。それでは、普通の人と何が違うのかというと意志の強さだと思います。意志の強さが結果につながるということを榎本を通して知って頂きたいと思っています。

記者 歴史上に登場する人物は沢山いますが、なぜ榎本武揚に着目されているのですか?

中山 戊辰戦争に負けて牢獄から出た後に、一年くらい北海道の現場で資源調査をやるんですけど、すぐに偉くなってしまうんですよ。大失敗(戊辰戦争に負けた)した時にどんな気持ちで生きていたのかに関心が湧きました。
他にも、10年経っても20年経っても、自分の言ったことを忘れずにやれるチャンスを待ち望んで、絶対にやるんだというところが榎本にはありました。最初描いたビジョンを何年経ってもやるんだという生き方を紹介したいと思いました。
それと一番驚いたのは、明治28年にドイツの新聞記者が来た時に、徳川の金バッジを付けていたんですよ。記者はビックリするわけです。榎本は依然として徳川の代表なんだという気持ちでいたと思うのですが、それだけでは意味は弱くて、徳川の精神的なものを継承している代表者であることを言いたかったのかもしれません。そのあたりがなぜなのかを解明していきたいですね。
そして、国利民福という言葉を使い始めます。国が軍艦を造るようになったし、鉄道も敷いたし、軍事技術は伸びてきているから、これからは国民のことを考えたいと言うのです。このあたりの謎も明らかにしていきたいですね。

記者 榎本のどういうところに注目されているのですか?

中山 私もサラリーマン時代に色々意見書を書くわけですよ。取り上げてもらったものもありますけど、ゴミ箱にポイっと捨てられちゃうものの方が多いわけです。榎本も意見書を沢山書くんですけど、みんな捨てられちゃうんですね。それでもめげずにやっていったのを知ると、サラリーマンと同じような生活を榎本もやっていたんだなと思うわけです。
少しでもお客様のために頑張りたいという気持ちも持っていて、私達サラリーマンと同じだという共感もありました。

Q2 その夢を具現化するために、どのような目標計画を立てられていますか?

中山 横浜黒船研究会は企業の退職者が多くて、色んな雑談をしていても話が通じるんですね。メーカー出身の人が多くて、その場で榎本武揚のことを何回かに分けて発表しています。
あと少しで大筋ができ上がりますので、それを集大成して自費出版する予定です。ISBN(世界共通で図書を特定するための番号)が取れれば図書館にも寄贈したいと思っています。それで一旦榎本武揚についてはけじめをつけます。これを残り1年位でやる予定でいます。それをやり終えた後には、元々は技術史が専門でしたので、サイバネティクスについてまとめ直したいと考えています。
サイバネティックスという学問は戦時中の軍事技術とか総合的な研究の中から誕生するんですけど、それは異質なものが同一の原理で動くと言う学問です。
実は私はこれが専門で卒論にも書いたんですよ。
その中に、人間はどう生きるかというキーワードも出てくるんですね。動物と機械は同じ原理で動いているから、動物の腕を切って機械の腕を付けても生きていけるんじゃないかとか。逆に人間的とはどんなことなのかとか。
他にも人工頭脳の話もあって、IQ100の人間が機械とくっついて仕事をすればIQ200の仕事ができるんじゃないかという研究も出ていました。AI(人工知能)の前前前夜ですよね。
そういう概念的なところを整理して、技術史としてまとめていきたいですね。

Q3 その目標や計画に対して、現在どのような活動をされていますか?

中山 資料をかき集めています。10年前は榎本の足跡を追っかけてカメラを持って長崎から函館まで行きました。本当はその先カムチャッカまで行かないといけないんですけど。当時榎本が行ったというのは自明なので、それを裏付ける証拠となる資料を集めるということです。それから他の人は榎本のことをどのように言っていたのかの資料を集めることです。
後はバックボーンですね。明治の社会がどんな社会だったのか、榎本がなぜそれをやろうと思って決意を変えなかったのかなどですね。
裏付け調査や動機調査、現況調査などはすごく大変です。本を10冊調べてみても使えるのがたった1行ということもありました。
国会図書館に何日も通いましたし、古本も買い集めましたし、資料が山のようになっていて家の中が凄いことになってます(笑)
サイバネティクスについては、学生時代にかき集めた資料と一度まとめた文章がありますので、それを引っ張り出して、現在の自分の経験を通してもう一度見てみようと思っています。

Q4 そのような取り組みをされるようになったきっかけは何ですか?

中山 私が大学進学を決める際のことですが、父が早稲田大学で指導を受けた高木純一先生がまだ早稲田大学にいました。私は経済歴史を勉強したかったのですが、その先生のところに連れていかれ話を聞いてみたところ、経済歴史の勉強は電気工学科でやってると言われまして。それは知らなかったなぁと(笑)
そして電気工学科に入ったら、全然話が違うんですよ!電磁気学が出てきたり、解析学が出てきたり。先生のところに相談に行ったら、4年間辛抱して勉強しなさいと言われました。モーターの原理とか大嫌いだったので大変でしたよ。そんな中でも、卒論の時にサイバネティックスのことをまとめたらどうかと思ってまとめてみたら面白かったんですよ。人間が機械と似ているとか。それで科学技術史を調べていこうと思いました。
その後、古河電工(古河電気工業株式会社)に入社しまして、そこで高木先生から榎本武揚についてまとめてくれと言われたのです。

Q5 そのきっかけを持つようになった背景には何がありましたか?

中山 電気工学科に進学するきっかけになった高木先生は、当時電気技術史の研究において第一人者でした。高木先生はとても歴史研究を重視していました。なぜかというと、物理学者エルンスト・マッハが歴史的・批判的に見た力学の歴史の本を作って、それをアインシュタインが読むんですね。それで特殊相対性理論を考えついたのです。ですから、歴史研究は絶対に重要なんだと確信を持っていましたね。技術史でもなんでも、批判的に見ていかないといけないとも言っていました。
そうすることによって、次の知識が発見されたり誕生してくるんだと。批判というのは悪いという意味ではなくて、多面的にみてという意味です。
そんな高木先生の想いが背景にあったのだと思います。

記者 最後に、読者の方に一言お願いします。

中山 榎本武揚を調べていったところ、自分が考えたことはいつまでも貫いて、チャンスがあったらやってみる、そういう生き方を羨ましいと思いました。もしみなさんも上司に企画を潰されたり、会社を辞めたりしたとしても、最初何を自分が考えていたのかを思い出して、今はそれができなくても、チャンスがあったらやるという生き方をして頂けたらと思います。

記者 中山さん、本日は貴重なお話をありがとうございました。

中山さんと横浜黒船研究会の詳細情報はこちらから
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【編集後記】
インタビューを担当した藪内と大藤です。中山さんから話を伺う中で旧幕臣で明治政府に仕えた榎本武揚の葛藤や矜持を感じることができました。榎本の他にも、激動の時代に様々な立場の人達がどのような選択をし、どう生きたのか、想像を膨らますこともできました。幕末史・明治史全般のお話もまたお伺いしたいです。

この記事は、リライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36

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