影響とかなんとか

人目を意識し続けるのは疲れる。
画面の向こうの人のことを考え続けるのは疲れる。
対面でしていることをSNSでしていたら、そりゃ心落ち着く暇なんてないでしょう。
自分の言いたいことを言うときに、誰かが傷つくとか誰かに勘違いさせてしまうとか、そういうことはよく考える。
でもそうすると本当に言いたいことをそぎ落とさないといけなくなる。
それが苦痛で仕方ない。

私ってそんなにしゃべるだけで誰かに迷惑をかけていますか。
そんなに私の言葉は棘があって、誰かを傷つけずにはいられないような、そんなものですか。
自分の境遇について悲しかったことや辛いことを言うのはいけないことですか。
人生の中で恨む人のひとりやふたりくらいいるでしょう。
個人を攻撃しているわけでもない。
だれも傷つけたくないし、誰かを傷つける発言をしたら一番傷つくのは自分だ。

人目から離れると人は弱くなる。
自分を見てくれるひとの言葉を失うと人は弱くなる、批判にも弱くなる。
改善点を伝えるような建設的な意見だって言い方がある。
心の状態によってはそういうことにもショックを受けることがあるということをよく知っている。
だからすごく気を遣っている。
今年の3月かなんかに、自分の発言が原因で人を傷つけた。
それで反省をした。
それから公衆の面前での発言にはすごく気を付けた。
Twitterだって公衆の面前に入る。
なるべく当たり障りのないことをつぶやくようにしたし、自分の主張をするときも反対意見があることを承知の上での発言を心掛けたし、怒りに震えるようなことがあっても言葉選びはできるだけ穏やかにした。
だけど、まだ言われるのか。
私の言葉はそんなに人に悪影響を及ぼすものなのか。

なんで私は発信をしているんだろう。わからないね。
自分のつらい体験を赤裸々に記録することによって、人生のどん底にいるような人が孤独感を感じないように、そして私の活動を見て生きる力がわいたらいいなと思って記録を始めた。
だけど結局そんなのはお節介だったんだろうか。
私のオリジナルの言葉というのには価値がなくて、結局人が作った歌を歌い、人が作った本を読んでいればいいんだろうか。
だれも私の紡ぐ言葉には意味を感じないのだろうか。
思い上がりだったのだろうか、自分の言葉が人のことを救うなんて。
信じたかったんだ。自分を、自分の言葉を。

私の言葉は本当に人に伝わらないんだな。
自分のなかで巻き起こる色々な感情を一生懸命に書き記してみても、それを読む人には悪い影響しか与えることができない。
私は自分の言葉を信じてきた。
自分の感覚や考えに従って、自分のやりたいことと誰かのためになれることをやろうと思ってやってきたつもりだ。
これまでの人生を頑張って生きてきたと胸を張って言える。
でも結局はそれも独りよがりだったのかと胸が苦しくなる。

結局私の善意の押し売りで、自己満足をしたいだけなんでしょう、きっと周りにもそう思われるんでしょう。
どんなに私が本心からこんな人達を救いたいと言って、色んなことをやっていても、それに結果が伴わないと人は私を偽善者扱いするんでしょう。
遠巻きから見て、また言ってるよあいつ、って。

夢を語ってバカにされるなら言葉にしないほうがいい。
バカにされるような夢なら叶えなくていい。
私は夢がない人生を生きたくない。

何で生きてるんだろ?

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