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PABLOと石牟礼道子さん

2月10日は僕にとってはとても特別な日で、毎年この時期になると過去の景色をしみじみと思い、季節の寒さに反して心はほっこり温かくなったりする。

今から9年前の2010年の2月10に、僕は世田谷区代沢にPABLOというバーをオープンさせた。
2009年の8月に物件を借りてから、お金が有ったり無かったりしながら殆ど自分一人で内装をして、もちろん未経験で無知だったのでやりながら失敗しながら、結局何だかんだで半年もかかってしまい、これだったら業者に頼んだ方が早くて安かったのではと周りから散々言われたのだけれど、当時の僕は全部自分でやらなければ気が済まない性分だったので、楽しみながらこだわりながら、でもあるところは泣く泣く妥協しながらお店を作っていた。
そしてようやくオープンさせることが出来た日が2月10日なのだった。
翌日の11日が祝日というのも多分意識したのではないかと思う。
いや、あの頃は本当にバタバタしていて余裕なんてこれっぽっちもなかったので、もしかしたら単なる偶然かもしれないけれど。

2月はとても寒いし日数も少ないので、売上があまり見込めないのが商売のある意味常識のようになっているけれど、僕のお店はありがたいことにそんなことは全く無かった。
周年月というのと、周年日の翌日が祝日というのがとても大きかったのだと思う。
とにかく当時は、周りのみんなに助けられながら毎日毎夜一緒に楽しみながらカウンターに立つことが出来た。
その後3.11がきっかけで意識が変わったこともあり、お店は結局わずか二年一ヶ月で閉めてしまったけれど、この期間は僕の中では本当に財産であり一生忘れることはないと確信している。

もちろん去年の2月10日も、体調が悪くて思考回路はめちゃくちゃではあったけれど、何となく過去のキラキラした景色を思い出していたと思う。
そんな僕は、ふと覗いたSNSである情報を目にした。
それは「石牟礼道子さん死去」という訃報だった。
石牟礼さんの作品は『苦海浄土』しか読んだことはなかったけれど、アトピーで倒れてから心身がとても酷い状況の時に読んだこともあり、その内容である水俣病を取り囲む状況などを自分の状況と照らし合わせたりして、勇気をもらったりとても落ち込んだりしながら、時間をかけて最後まで読んだのを覚えている。
あれだけ読むのがしんどかった作品はあまりなかった。
しかし、あの作品には人々の裡あるそこはかとない強さがあって、それは何かをすぐに変化させるような強さではなく、絶対に諦めないという強さだったり、生きることを諦めないという強さだったり、闇と共に生きていくという強さを感じたのだった。

去年から2月10は、僕の中ではある意味両極端を意識するような日になった。
光と影、または闇。
しかしこれは僕の中に生じた幅のようなものでもあり、その縦と横の幅がいつか力になり余裕のようなものにもなっていけばいいと願っている。
いや、願うのではなく、その幅の中でもがきながらもどこか自然体で過ごしていけるような、そういった力なり余裕なりを身につけていこうと思う。

過去を振り返ることの良し悪しは時と場合と人にもよるけれど、過去に縛られるとは別の意味での「しがみつく強さ」というものを、僕はこれからも肯定して生きていきたいと改めて強く思った。

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