そこにはいつだって漏洩のリスクが介在する:(お子様が、起きるのだ!)
調子にのって牛乳をたくさん飲んだ僕はトイレと友達だった。トイレットペーパーを使い切りそうだ。時刻は深夜0時59分、聞こえるのは鹿の鳴き声だけという静寂だ。
そこに唐突な「お呼び」がかかる。そうだ、授乳時間が近づいているのだ。僕は拭くものも拭きあえず、一流のサウスポーの牽制(たとえば、横浜ディーエヌエーの今永投手)みたいに素早くトイレを出て、お子様のもとへ向かった。
泣いている声で家人を起こすわけにはいかない。僕が仕事をしているあいだ、家人は一人でお子様を世話してくれたのだ。夜は僕の領域というわけだ。僕は夜の守護者、何が何でも静寂を護らなくてはならない。
僕はお子様のオムツを見て、何も形跡がないことを確認する。この子はすごい。少なくとも今の僕よりも、漏洩の危険性がないことは確かだ。僕はお子様のお尻に「あたたかみ」がないことを確認し、そっと自分のお尻の「あたたかみ」も確認してみた。あまりにもおそるおそる確認したものだから、そこには冷やりとした恐怖だけがたゆとうていた。
お子様に搾母乳を献上しているあいだも、僕はずっと「この子は僕より偉い」と思っていた。僕はおそらく漏らし、彼女は漏らしていない。その差は歴然たるものだ。
ミルクを飲み終え非常に満足そうなお子様に、疑うわけではないがもう一度オムツチェックを入れた。それはほんとうに、真夏の積乱雲のように真っ白なオムツだった。ナチュラル・ムーニーが僕をあざ笑っているみたいだ。
「オムツをつけるべきなのは君のほうじゃないのかい?」
・・・そうして全てを終えると僕はトイレに戻った。引き締めていた気持ちとおしりをゆるめ、安堵するでも落ち込むでもない心境のまま大人のうんことお子様のうんこの違いについて考えた。どうして同じうんこなのに、こんなにも違うのだろう。月とすっぽんというレベルではない。まるでカブトムシとゴキブリみたいだ。カブトムシは昆虫の王様だ。ポケモンでいうピカチュウだ。みんなが素手で触りたがるし、みんなが採りたがり買い求める。一方でゴキブリを素手で触りたがる人は稀だ。あんなにつやつやしてできたてのチョコレートみたいな見た目なのに、まるで人生の宿痾のように万人から憎まれている。ところで僕は、大学生時代にゴキブリを素手でつぶしたことがある。その時は一時に三匹のゴキブリが発生跋扈していて、もうどうしようもなかったのだ。
ちなみに、ちまちました話で申し訳ないが念のために真実を申し添えておくと、僕は盛大に漏らしたわけではない。もしかしたら宇宙空間のデブリのように小さなかけらが悲惨にも飛散したかもしれないけれど、そんなことはきっと日常茶飯事の一つにすぎない。「明確な漏洩を確認することはできませんでした」、僕のおしりに関する僕の報告はこの一文につきる。微量のガス漏れみたいなもんだ。検知器を使っても原始的な「鼻」や「泡」を使ってもわからない漏れというものがある。そんな時はこう言うほかないのだ。「明確な漏洩を確認することはできませんでした。また異常があれば当社までお知らせください」。
これが、僕が子育てを初めて最初に記すことになるnoteだということがとても悲しい。お子様がかわいいとか、ほっぺにお肉がついたとか、沐浴の時にすごい力で暴れるとかそんな話題ではなく、報告すべき内容が「明確な漏洩を確認することはできませんでした」だなんて、宇宙で取り残された最後の人間になってしまったみたいに哀しい。
それでもなお素直に凄いと思ったのは、自分がどんなに危機的な状況(漏洩の)にあろうと、僕はお子様の安寧と家人の安眠を守らなければならないと思ったということだ。もし家人だけと暮らしていたのであれば、僕はトイレに籠ったままうなり続けたかもしれない。なんと言っても、そこにはいつだって漏洩のリスクが介在するのだ。
漏洩騒ぎが起きたのはこの記事を書く二日前のことだけれど、今日だって僕は漏洩のリスクと戦いながら夜中じゅうお子様が起きるのを待っていた。夜中じゅう、夜泣きを待っていた。待てども待てどもお子様は起きなかった。
そうして「お子様が起きるまではずっと長い時間を要するのだろう」という判断をくだし、僕はベッドに少しだけ横になる。ほんの少しのまどろみでいいのだ。僕はその一瞬で、ザナドゥの楽園もかくやと思われるような夢の宮殿へ旅立ってみせるのさ。
・・・刹那、あのアメリカ小説に出てくる「とても精度の高い地震計」のような敏感さで、お子様は目を覚ます。まるで球界のスピード・スター、阪神の赤星選手みたいなロケット・スタートだ。瞬間的加速はザナドゥの宮殿を吹き飛ばし、甘美なる楽園を残り香も許さぬほどに忘却の彼方へと追いやる。なんと言ったって、お子様が起きたのだ。そこには一切の行動選択の余地はない。お子様が起きたのだ!ミルクを、つくるのだ!!
こうして新たな日々は過ぎていく。とても慌ただしく、とても折り目正しい3時間ごとの物語。僕は父親としての務めなど果たせているかどうかもわからぬままに、夢見心地で哺乳瓶をふる。その中で揺れる黄金の乳。人工とは思えぬほどに輝かしい、黄金の乳。これはもしかすると、桃源郷の里から流れ出る・・・いや、飲めばすべてを忘却に葬り去ってくれるというレテの河の水なのかもしれない・・・あるいは、まさに此処こそが楽園・ザナドゥ、S.T.コールリッジの魔境・・・。
・・・さらば現世よ、僕は行かねばならぬ。何と言っても、お子様がもうすぐ起きるのだ。僕は一人の書き手から、父親にならねばならぬ。うだうだ言ってはおられぬ。
お子様が、起きるのだ!!!